「よ~し、こいつにだけは負けへん」

間 寛平

2007.04.26 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 松尾 修(STUH)=写真 photography OSAMU M…
妖怪の世界って楽しい。オレは何者や!?

「すごい楽しいですよね。スクリーンに“ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ~”って流れてくると笑うもんね」

主人公の鬼太郎を演じるウエンツ瑛士のすっとぼけ具合! 大泉洋のねずみ男といい、室井滋の砂かけ婆といい、田中麗奈の猫娘といい、ナイスキャスティングの嵐。子なき爺の場合は、実際、とてつもなく似ているわけではないのに、この人以外考えられない。オファーが来たときの感想を聞いてみると「やっぱり、俺やな」。ニヤニヤする。で、急に真面目な顔になって…。

「じじいってね、妖怪なんだけど、別に何するわけじゃなくて、普通にその辺にいてるおっさんだもんね。これがねずみ男だったら、事件を起こして全部鬼太郎のせいにしてっていうキャラクターがあるけど…子なき爺って何やねん(笑)。ヘンな頭と服だけど、本当に普通のおっさんだからね」

意外とキャラが薄いのである。

「でも面白かった。湖のほとりの鬼太郎の家のセットはものすごくよくできていたもん! 京都の山奥にあるんですけど、クルマに延々乗せられてどこへ連れて行かれるんかなと思ったもん。子なき爺の頭つけて、ミノみたいな服着たまま連れて行かれんですよ。人が見たらびっくりするで、 “なんやこのおっさん!?”って(笑)」

アニメでもおなじみの鬼太郎の家、いわばツリーハウスだが、ベースとなる樹齢数千年の木も、実はセットらしい。役柄的には淡々とした妖怪だったが、「ぼくはテンション上がりっ放しでした(笑)。妖怪の世界って楽しい! 子どもに喜んでもらえると思うし、ぜひヒットしてほしいですね。」

さて、「寛平ちゃんとじじい」というテーマで考えると、“子なき”よりもずっと前に浮かぶジジイがいる…。

共演者も驚かせたい。人生を変えた出会い

少しだけ髪の残ったハゲヅラに三角目のメイク、和服に杖。あらゆる部分を杖で叩きまくり大暴れした後、逃げ惑う人々を尻目に「がんばっとるか~」吉本新喜劇における寛平ちゃんの当たり役であり、キラーギャグである。 

「めちゃめちゃですよね。コメディーですから、ジジイが外から普通に帰ってきてもダメ。杖持ってバーンって叩いたら“何や!?”ってなるでしょ。お客さんだけじゃなく、共演者も驚かせたいから。家の中に下駄履いたままあがって、タンス叩いたり水屋叩いたりふすまに穴開けたりしながら暴れてみんなが逃げ回るっていうのを…最初は何もわからないでやったわけです。考えたのはどこを叩いたら一番大きな音が出るか。それと杖。普通の杖でバーンって叩いて、折れて客席へ飛んでいったら大変でしょ。だから、竹の根っこの一番強いヤツを探しました」

初めてジジイが登場したのは25年ほど前、『吉本コメディ』という舞台のテレビ中継だったという。当時は吉本興業の劇場が梅田、難波、京都の3カ所あり、新喜劇は3つの座が10日ずつ各所で公演していたらしい。

「新喜劇を書く作家さんは5人ぐらいいて、劇場によって変わるんです。台本は普通にちゃんと書いてありますよ。

孫“おじいちゃんどこ行っとったんや”

ジジイ“競輪やあ”

でも、どんなふうに出てくるとか、どこを何回叩くとかは書かれていない。みんな自分で考える。」

吉本新喜劇に入ったのは1970年、20歳のとき。高校卒業後、いろいろなことをやってみたが、かなり本気だったのは、工務店を経営する計画。

「中学時代の友達が、中学出て大工の見習いへ行ったんです。僕が普通に高校に3年行ってる間に、彼はもう家建てられるようになってました。それでせっかくだから2人で建築屋やろうと。“オマエは家建てられるけど、オレは何したらええ?”って聞いたら、タイル屋がええって言われて」

タイル貼りの職人を目指す。友人との3年間の差を埋めるべく必死に。職場の大将もかわいがってくれた。

「なんとか貼れるようになって、風呂のタイル貼りに派遣された。朝8時ごろから夜8時まで。きれいに貼り終わった後、タイルについたセメントの粉払うために刷毛をかけるねん。コンコンってやると、なんかバタってタイルが落ちる。拾って今度は別のところをコンコン。バタッ、バタッ。やり直してたらバラバラバラ~って(笑)」

次の現場は、風呂場の床貼り。

「床やったらバラバラ落ちる心配あらへん(笑)。土間にきれいに砂入れて勾配つけて先に白セメント流して…これも朝の8時から夜の8時ぐらいまでかけてきれいにやった。そしたら3日ぐらいたって大将から電話や。“ハザマ、行ってこい!”って。見に行ったら、オレ、排水溝の水の流れるところまで全部タイル貼ってしまって(笑)。流した水全部たまっちゃう…嫌んなるわ」 

タイル屋さんは雨降りになると休みだ。ベースの砂が濡れてタイルが貼れなくなるから。ある雨の日、寛平ちゃん、住之江方面にクルマを走らせていた。すると道端で手を挙げるおっさんがいる。「悪いけど兄ちゃん、花園町まで行ってくれへんか」「ええよ」。4人のおっさんを目的地に送り届けたとき、お礼におこづかいをもらった。

かくして雨のたび、住之江方面にクルマを走らせていたが、幸運は長くは続かなかった。事故。そして入院。

「病院でラジオ聞いてて、“こんなしゃべる仕事やりたいなあ”って言ったら、見舞いにきてくれた中学時代の友達が“紹介したろか?”って。そんなこんなで現在に至る、ですわ(笑)」

“そんなこんな”を少しだけ解説。当時、大阪ミナミに『ループ』という喫茶店があり、ここからアメリカ村は始まったと言われているのだが、寛平ちゃんの同級生はそこでバイトしていた。で、そこのママさん・日限萬里子の紹介によって吉本興業入りが決定。

自身、「日限さんがおらな、今の自分はない」というほどの恩人だ。そして、吉本興業は1週間でやめたくなるのだが、ここにもう1人、今日の寛平ちゃんを生み出す力となった人物が…。

「ぼくの半年後に、木村進が入ってきたんです。九州では超有名な博多淡海さんの息子なんだけど、ぼくは知らなかった。そのころのぼくの出番って“おっちゃん、きつねうどんナンボ?”って聞くぐらい。おっさんが“300まんえ~ん”言うて、ドテッとコケる、それだけ。木村進の役、出番めちゃめちゃ多いねん。“どういうことや!?”と。意識するようになった。そいつに“オヤジが出てるから”って誘われて姫路の劇場へ行ったら、博多淡海さん。“こいつのオヤジめちゃめちゃすごいんや~”って。“よーし!”って」

ぼんやりと、ただいるだけの役者が「こいつだけには負けへん」と思った。「燃えたわ~。たとえば台詞1個もないチンピラ役ですわ。公園のベンチが1個あるところを下手から上手へ普通に歩くだけ。どうしたろか、と思って考えるねん。チンピラやから雪駄履いてるわね。それに長~いひもをつけて、おなかのところでたぐっとくねん。“おもろないなあ”とか言いながら出てきたらベンチにつまずいてボーンと雪駄を蹴って飛ばすのよ。客席の真ん中ぐらいまで。ピョーッと飛んでいくやんか、“誰や! ええかげんにせえよ”って言いながら、ひもをたぐって雪駄を回収するねん。客席にしてみたら“なんやそれ!”ですわ。ほんなら木村進がまたやりよんねん。あいつ、マドロスの格好で出てきてマフラーのかわりにトイレットペーパー巻いてて、“夜風が目にしみやがるぜ~”とか言うて、それでフンフンって鼻かんで客席へ飛ばしてスッとはけていくねん。そしたらみんなカーッて笑う。オレがそれ見てまた、“何かやったらなー”って」

入団4年後、寛平ちゃんと木村進は座長となり、以降、吉本新喜劇の黄金時代を支えていくのである。

ジジイのギャグが誕生した瞬間、寛平ちゃんは「共演者も驚かさなあかんし」と言っていた。木村進との間に生まれたライバル心と向上心みたいなものはずっと、その仕事へのスタンスの中に根を張っていたのだ。

「まあずっとそういう戦い。それで、今度こそ現在に至る、やな(笑)」

1949年高知県生まれ。12歳より大阪育ち。70年に吉本新喜劇の研究生となり、木村進(のちの博多淡海)とのコンビで74年より座長となる。75年にはシングル「ひらけ! チューリップ」が60万枚を売り上げる。文中のジジイのほか、「かい~の」「アメマ~」「血ぃ吸うたろか~」「いくつになっても、甘えんぼ」など、持ちギャグは本人曰く99にのぼる。89年、東京進出。バラエティや妖怪のみならずシリアスな演技もこなすマルチな俳優としても活躍中。映画『ゲゲゲの鬼太郎』は4月28日より全国ロードショー。

■編集後記

正確にいうと寛平ちゃん、まず吉本興業に入ったというわけではないのである。「ぼくが中学の友達に紹介してらったのは、鳳啓助さんのいた“東宝”でした。そこに行ったら、弟子が多いからって断られた」。これから芸人になるならストリップ劇場で修行だ、というアドバイスのまま「新世界のストリップ劇場に放り込まれてコントやったけど、やっぱり子どもや女の人が観にくるような劇場に出たいなあと思って、またその友達に相談してん」。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
松尾 修(STUH)=写真
photography OSAMU MATSUO

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