「やっと自分が見えてきた気がします」

筒井道隆

2007.05.17 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
納得できさえすればむしろ厳しい方が!

鹿児島の知覧飛行場を舞台にした特攻隊の映画だ。死地に赴く普通の若者たちの背景と、母親のように慕われた軍指定食堂のお母さんとの交流を、戦後にわたって描く。筒井くんが演じたのは、出撃しては基地に戻って来てしまう田端少尉。この時代に「日本が負ける」と公言する、現実的な男だ。

“堅苦しく考えなくても”という思いの裏側には、特攻していく兵隊さんも普通の青年なんだという思いがある。「当時の写真集とか、たくさん本を買いました。飛行機のことや当時の歌を調べたり。調べるの、好きなんですよ。それが直接画面に出るわけじゃないんですが…僕らが昨日見たテレビの話をするみたいに、やっぱり彼らだって、流行の歌を聴いたり歌ったりするだろうし。バックボーンを知ることは、彼らを知るうえで大切だと思うんです」

撮影前には、兵隊を演じる俳優たちが自衛隊に体験入隊。その後、総勢約100名の丸坊主が、軍事教練のように東映大泉撮影所を練り歩いたという。

「とくに厳しく育てられたから、この当時のほうが意外と自分に合ってるかもしれないと思いました。自衛隊のときには、頭ごなしに怒られて反発もしたけど、 “これは大丈夫だ”って1回納得できれば、全部いけちゃう方なので」

役柄に関しても納得できるまでは突き詰めて考える。

「今回の台本には疑問点はなかったですけどね。わからないときも、それを理解するのが自分の仕事なんで。その工程がまた楽しいんです。好きですね。わかったときの感慨もひとしお(笑)」

ともかく軍隊式の空気のまま、撮影入りしようとしていた監督の意に反して、現場にヘラヘラとした空気が流れた瞬間もあったという。

「若者が多いので、“おまえらやる気あるのか!”と思いました(笑)。こういう命の大切さに関わるような作品だから集中していかないといけないと思ったんですが…別にいいです、すみません(笑)。現代劇なら、ノリで楽しんでもいいと思うんですけど。何せ、うちは厳しく育てられたもんで」

監督の新城 卓は丸坊主の若者たちをきわめて淡々と撮る。死を明日に控えた夜の、田端少尉の許嫁との逢瀬も、窓の外から、覗き見るように撮る。

筒井くん、映画は監督のものであるという。

「そういう教えられ方をしてきたので。デビューのときに松岡(錠司)監督に。そのあとも厳しい監督ばかりで(笑)。やっぱり監督のものだと思いますね。責任を押し付けるのではなくて、委ねる。監督が僕たちにさせたいことを踏まえて、その延長線上で上回るものを出していければと。そうしてみんながベストを出し、監督がまとめることでいい作品になればいいと思うんです」

武士みたいですね、というと、「厳しく育てられましたんで」と笑った。

楽しさにのめり込み、己を知った昨今

厳しく育てたのはキックボクサーにして武道家の風間 健。筒井くんの父上である。その知り合いが、いま所属する事務所の社長だ。

「こういう仕事って大っ嫌いだったんです。芸能人ってすごくチャラチャラしてる気がしたから。でも実はすごく厳しいところがあると。それで、そもそもは礼儀の勉強をしようと思って事務所にお世話になることになったんです。高校卒業した年の4月1日から、就職気分ですよ。それでいまに至る」

その年にいきなり、映画『バタアシ金魚』で主演。“厳しい松岡監督”は、この作品を手がけた人物である。

「なめてました。このときに叩かれて怒鳴られて、周りではケンカなんかも起こってるし、全然チャラチャラしてない。むしろハードで(笑)。これはヤバいぞと」

だからこそ、厳しく育てられた性に合ったともいえる。ともかく「一度始めたことは何でも3年はやらねば」という信念のもと、俳優という名の修業は続いた。3年やったら辞めて「父の仕事に近いことをやるんだろうなと思ってたんですけど、アレアレアレと…恵まれてたんでしょうね」。

92年秋、『二十歳の約束』。93年には木村拓哉を脇に回して『あすなろ白書』に主演、翌年には『君といた夏』と、実に3年連続いわゆる“月9”に登場。きわめてトレンディな俳優と化したのであった。ただ、いま筒井道隆という俳優は決してそういう存在ではない。

「やり始めて、ちょっといやだった部分もあったんです。こんなはずじゃなかった…っていうか、もともと地味な人間なので(笑)、人に何か言われるのもあまり好きじゃなかったし。テレビに出ることで人に知られてしまって、その影響力の大きさに戸惑いました」

少しずつ仕事の面白みを感じるようになってきたけれど、そもそもは勉強のためだもの。それはしょうがない。

でも、劇的な変化が訪れた。

「楽しむっていうことを、それまでしてこなくて。僕はまじめに生きていくだけだったんですけど“あ、もっと楽しんでいいんだ”と、そのとき初めて知ったんです。それがいまだにすごく影響を及ぼしてる。それ以来、両方をすごくちゃんとできればいいなと思ったんです。一所懸命生きることと、楽しく生きること。今も変わりません」

ずいぶんもったいつけて何ですが、

“それ”とは―『王様のレストラン』。三谷幸喜脚本のこのドラマが誕生したのは95年、筒井くん、24歳の春。はっきりと「転機でした」と言い切る一作。

「三谷さんに会ったことが転機。『王様のレストラン』に出ることが決まったとき、三谷さんの舞台を観せてもらったんです。東京サンシャインボーイズの『罠』っていう作品なんですが。それがすごく好きになって。衝撃を受けました。厳しく、厳しくって今までおれは何をしてきたんだ、と。それで『王様のレストラン』。あのチームには、西村雅彦さんとか梶原 善さんとか伊藤俊人さん、白井 晃さんに田口浩正さん…吸収できるものがすごくいっぱいあった。すごく楽しかった」

はらりと一枚ウロコが落ちて、仕事に「楽しい」という要素が加わった。

“王様”の翌年からは舞台にも出始めた。デビュー当初から“マイペース俳優”と呼ばれていて「まったくの事実」と本人も太鼓判を押すことだけれど、このあたりから一層磨きがかかった。 

「スロースターター」とも呼ばれる。これは99年に出演した映画『洗濯機は俺にまかせろ』の監督、篠原哲雄の弁。

「20代から自分がどういう人間かはぼんやりわかってたんですけど、30を超えてよりわかり、今年に入って確信を得ました(笑)。遅いんですけど、やっと自分が見えてきた気がします」

そういう点もスロースターター。だからいまは楽しくってしょうがないという。ただし、24歳の楽しさからは一歩踏み込んでいる。だって “くん”呼ばわりしているけれど、36歳なのだ。「ずいぶんお気楽に生きてきたので、もうちょっと考えようと…今年から思いました(笑)。やっといろいろわかってきたんです。社会の仕組みも、自分が今何をしなきゃいけないかも。仕事もそうですけど、人間としてしっかりしなきゃいけないなって。人を傷つけたり、人間性を捨ててまで俳優をやらなくちゃいけないことはないから」

それを両立していきたいと、消え入るように言って照れ笑いを浮かべる。発言がいい感じの方向に行くたび、笑ってごまかす“筒井くん”なのであった。

1971年3月31日、東京都生まれ。高校卒業後の90年、映画『バタアシ金魚』で主演デビュー。自然な演技で注目を浴び、第14回日本アカデミー賞優秀新人賞を受賞。92年『二十歳の約束』、93年『あすなろ白書』、94年『君といた夏』と、いわゆるフジテレビの月9ドラマにおいて活躍。一方『丘の上の向日葵』(TBS) では車椅子の青年という難役をこなす。95年『王様のレストラン』に出演。以降、『総理と呼ばないで』、大河ドラマ『新選組!』、舞台『彦馬がゆく』など三谷幸喜作品に好演。映画、ドラマ、舞台と幅広く活躍する。田端少尉を演じた『俺は、君のためにこそ死ににいく』は現在、全国東映系で上映中。

■編集後記

舞台デビューが25歳。「もともと映画からこの世界に入って、舞台にも何本か出させてもらって。俺は映像の方が好きなんだっていうことがわかってきて、かといって一方で舞台の面白さもわかるようになってきて…。いまは“さてどうするんだ”っていう段階だと思うんです。そういう認識が全然ないままやってきましたから。考えないといけないですよね」。一方で自転車も大好き。「そうなんですよ。メッセンジャーやってみたいなあ。それは野望として20代からずっと」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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