「いつでも準備はできている」

石橋 凌

2007.10.04 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
つねに準備は怠らない。アメリカでもアジアでも

『ローグ アサシン』は、ジェット・リー演じる伝説の暗殺者ローグと、ジェイスン・ステイサム演じるFBI捜査官ジャックとの死闘を描く。

石橋はヤクザの親分・シローをケレンミたっぷりに演じた。ジェット・リーとのハードなバトルシーンも、ある。

「監督のフィリップとプロデューサーのスティーヴンが東京に来たんです。ジェット・リーの作品だし、ジェイスンのことも『トランスポーター』で知っていましたし、『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』も観ていました。非常に個性のあるいい俳優さんだと思っていて、一緒に仕事ができるのであればぜひ、と」

93年に日米合作の『Vアメリカ』というシリーズの3作に参加している。北野 武監督の『キッズ・リターン』や三池崇史監督の『オーディション』を観て、石橋に注目したらしい。

妻に先立たれた男が、オーディションで募った再婚相手の若い女性への盲目的な恋の果てに…(以下秘密)。 

カルトムービーとして世界で人気を集めたこの作品も「近ごろでは、一般の映画ファンが支持してくれているみたい」だという。

ともあれ、過去の実績を認められてのオファーは最高であろう。

「それはありますね。僕のなかでは別にアメリカだけじゃなくて、アジアでもヨーロッパでも声をかけてもらったらいつでも行ける準備はしていたつもりなんですね。たとえば英語に関してもそうです。独学ですけど、コツコツやってきました。アクションシーンに応えられるような体作りも」

そしてこう続ける。

「決して大きくはない作品でも、一つ一つ大事にやってきていました。海外からオファーがあるときには、自分が最右翼だと思っていたんです。だから僕は非常に悔しい。『ラストサムライ』という作品が、まったく知らないうちに進められていた事実に。この4年間は耐えてきていたというか(笑)」

ストレートな物言いに驚いていると「それはね」と、昔の話になった。

音楽をやりたいだけだった。それが普通にできなかった

石橋 凌は福岡生まれの51歳である。19歳のときにARBというバンドに参加、上京する。デビューは21歳。

「現実を見て、すごく落胆しました。九州のアマチュア時代には、“東京に行ったら、プロのミュージシャンとして音楽を糧に生きていけるんだ”と信じていました。それだけの土壌があるんだと思っていたんですよ。それでも1、2年は夢も持っていたし、一方で“こういう世界なのかな”って慣れていきそうにもなったんですけど…」

それは経済的な土壌ではない。

「僕が小・中学生のときに影響を受けたビートルズとかストーンズとかCCRとかボブ・ディランは、アルバム1枚の中であらゆるテーマを歌っていました。社会的なこと、政治のこと、戦争のこと、核のこと、もちろん男女のラブソング、セックスの歌、ドラッグの歌…僕にとってのロックミュージックはそういうもので、すべてがラブソングでした。それを日本語で歌いたかったんですが、明確に言われました。 “社会的なことや政治的なことは、一切歌わないでくれ”って」

最初の事務所を解雇され、メンバーチェンジを経て、日本全国のライブハウスをワンボックスカーで回った。

日本の音楽業界全体に失望していた。

「いちばん悶々としていたのが25歳ごろです。周りの全部が敵に見えて、酒を飲んでは暴れていた。本当にもう、自暴自棄。もし今、25歳の自分に町で…いや、会いたくないですね(笑)」

そして目覚めた。社会で何が起きているかを知り、暗澹たる思いに。

「もしかしたらこの国って、音楽の世界だけじゃなく、政治も社会も学校も会社も、みんな同じ成り立ちでできているんじゃないかなって。経済に関しては資本主義だから、拝金思想だって構わない。ただ、文化や芸術の面でそれが先行してはいけない。僕らは、ただ音楽をやりたかった。でも、単純に音楽をやった時間は2~3割。あとの7割はそのための土壌作りでしたね」

それは何も変わらない。石橋は考えた。芸術や文化をまず生み出すのは、一人の人間である。彼のアイデア、想像力、熱情がコアにある。共感する者がいて、お金が集まり、世に出る。

「日本はそうじゃなくて、まずお金を集められそうな人を呼ぶ。逆転してるんですよね。才能のある個人の力や一所懸命さは、蚊帳の外なんです」

目覚めてしまって得た思い、それを融解することになったのが―。

「松田優作さんとの出会いでした」

映画で知った、自分の思い。松田優作の遺志と悔しさ

出会ったのは新宿のスポーツクラブのプールで、「27~28歳でした。直感的に“相談できる人はこの人しかいない”と思ったんです」。

石橋は自分の作品をすべて抱えて優作邸に赴く。松田優作は黙って石橋凌の言葉に耳を傾けた。そして「お前が言うことはわかるよ」と言った。

「残念ながら、日本には欧米のようなプロデューサーシステム…才能を持った新人を大事に育てる機関がないんだと。だから日本ではセルフプロデュースしかない。自分で土を耕して、種をまいて、水をやって、出た芽をちゃんと育むしかない。“だから、それをやればいいじゃないか”と。その作業は絶対に誰かが見ているから、そういう人が近づいてきたときに、ブレイクするんだって言ってくれたんです」

半年後に再会したとき、石橋凌は、ある台本を手渡されることになる。

「“オマエが言っていたことは難しいと思うけど、今のままでやり続けろ”と。“ただ、オマエがいる音楽の世界より、俺がいる映画の方が媒体がでかいから、映画で顔と名前を売ったらどうだい?”っておっしゃったんです」

86年に公開された松田優作初監督作品『ア・ホーマンス』。結果的に俳優・石橋 凌が誕生するきっかけ。

「あの現場で“基礎”を教わった気がします。もの作りにすごくこだわる人たちと接する感動があった。撮影が終わったとき、吹っ切れてました。自分の思いが間違っていなかったことを、奇しくも映画の現場で再確認することができたんですね。気持ちを新たに歌えるようになりました」

2人の共演はこの1本だけだ。が、酒場ではいろいろな話をしたという。

「“政治家とか財界人が海外でエコノミックアニマル、イエローモンキーと呼ばれているのを、文化や芸術でご破算にするのが俺たちの仕事なんだ”と。“アニマルでもモンキーでもない誇れる日本人の存在を、映画や音楽で示すんだよ”と。それを『ブラック・レイン』で成就したと思うんですね」

89年、この作品が公開された年の11月6日、松田優作は没する。カラテやサムライでしかなかった日本人俳優を、初めて「等身大」として認めさせたのだ、と石橋は言う。

「それで、自分のなかでいろんな角度から考えて、自分なりの方法論でなんとか優作さんの意思を継ぎたいと思って、いったん音楽を封印したんです」

34歳で、俳優としての活動を本格化。最初から世界を視野に入れ、『Vアメリカ』を始め、多くのアメリカ作品にも出演した。95年、40歳のときにショーン・ペン監督の『クロッシング・ガード』への出演を機にアメリカのSCREEN ACTORS GUILDに加入。名実ともに世界的な俳優となる。

「アメリカがすべてではないんです。アジアから話がくれば普通に行く。ヨーロッパにも普通に行く。そうした勉強も努力もしてきたつもりです。もし日本の中で映画作りが健全になされていたら、海外に目は向けていなかったでしょう…でも」

アメリカの作品が、石橋自身が問題視してきた日本的映画製作システムに乗っかって製作されたのが「悔しい」。それはまぎれもない心の声。熱さと怒りはきっと25歳と変わらない。

「それでもね、今回のように、監督さんとプロデューサーさんが声をかけてくださるケースもある(笑)。まだまだオーディションもいっぱい受けていくつもり。僕は51歳で、もう時間はないけれど、いま10代や20代の人たちはもっともっと夢もチャンスもいっぱいあるはずです」

1956年7月20日、福岡県生まれ。77年A.R.B.に加入、翌年デビュー。映画初出演は82年の『さらば相棒』。20代後半に松田優作と出会い、大いなる影響を受ける。86年には『ア・ホーマンス』で共演。A.R.B.の主題歌「After '45」がヒットし、石橋自身もキネマ旬報新人男優賞、熊本映画祭新人男優賞受賞を受賞する。89年の松田優作の死去を受けて、90年、音楽活動を封印する。93年には日米合作の『ヤクザvsマフィア』でヴィゴ・モーテンセンと共演。95年にはショーン・ペン監督作『クロッシング・ガード』に出演し、アメリカの映画俳優のユニオン(SCREEN ACTORS GUILD)への加入を果たす。『ローグ アサシン』は10月6日丸の内TOEIほか全国東映系でロードショー。
ついで『犯人に告ぐ』が10月27日公開。連続児童殺害事件に対し、劇場型捜査という斬新な手法を選択する神奈川県警トップの曾根要介を演じる。
08年には2本の香港映画が公開予定。現在はフランス映画に参加中。

■編集後記

ワンボックスカーで全国ライブハウスツアー。「生活のなかで感じたことをそのまま歌っていきたくて。共感者も増えていきました。ちょうど1970年代の終わりで、イギリスからパンクやニューウェーブが入ってきた時期でした」。ライブハウスは満杯になるものの、大ホールには至らず。「普通の人々にロックミュージックを聞いてほしかった。欧米では可能なのに、何で日本ではできないんだろうという…」業界への失望が大きくなり始めていた。

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