「全部好きだから全部やる」

中村獅童

2008.08.21 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 堀 清英=写真 photography KIYOHIDE HORI …
やみつきになりそうな人生初監督

獅童をはじめ、浅野忠信、須藤元気、ILMARI(RIP SLYME)ら6人がそれぞれ国道246号線をテーマに撮ったオムニバス作品『R246 STORY』。その一編『JIROル~伝説のYO・NA・O・SHI』がそうだ。“義理と人情とロックンロール”であり、チャンバラである。清水の次郎長一家が、なぜかスーツ姿の黒駒の勝三一家と斬り合い、森の石松はキャデラックで246を疾走し、現代の東京にやってくる。

「昔、静岡の方にロケで行ったときに道路標識に“246”って書いてあって、“こんなところまで続いているんだ”って。それを思い出して、田舎を描きたいなと。で、静岡とか清水とかいうと“清水の次郎長”が浮かんじゃうんで、それが現代にくるのもいいなと思って(笑)」

“JIROル”とは“キャロル”を洒落たもの。念のためにいうと、矢沢永吉、ジョニー大倉、内海利勝、ユウ岡崎のバンドだ。劇中、次郎長一家がオープンカーで都内を走りながらインタビューを受けるくだりがあるのだが…。

「アレは日比谷野音のキャロル解散ライブのビデオのシーン(笑)。国会議事堂の前とか、まったく同じルートで撮りました。“寒いところにいるアザラシみたいだよね”っていうセリフがあるんだけど、それもビデオのなかのインタビューでジョニー大倉さんが言ってるのと同じ」

めちゃくちゃ楽しそう。出来上がった作品もハチャメチャで自由闊達。“新人”らしい小心さは微塵もない。

「やっぱり楽しいですよ。お話をいただいてから自分の世界観みたいなものを考えて、それがひとつひとつ形になっていくとか、自分の好きなことをやらせてもらっているわけだから。時代劇もチャンバラもロックンロールも好きだし。自由にやらせていただいたので」

エンディングに流れるメイキングで「やみつき!」と叫んだ。

中途半端ななかから見いだした“自分のやり方”

「まあ、僕は中途半端でしたね」

中村獅童は歌舞伎俳優である。が、立場的には少し特殊だ。祖父は大正から戦後まで名女形として名を馳せた3代目中村時蔵、叔父は時代劇俳優の故萬屋錦之介に中村嘉葎雄。申し分のない家柄である。幼いころから日舞や長唄などを習い、初舞台は8歳のとき。

だが“初代・中村獅童”であった父は、彼の生まれるはるか前に廃業し、映画会社のサラリーマンとなっていた。御曹司なのに後ろ盾も、継ぐべき大きな名跡もなかった。逆にいうなら、歌舞伎に縛られる必要もなかった。

「大学の授業で歌舞伎を観に行ったんです。いち生徒として切符を買って、外からの視点で観て、芝居についてレポートを書く。その当時で15年ぐらい自分が育ってきた歌舞伎の世界を、初めて本当の意味で客観的に見たわけです。“おもしれー!”と思った。このなかで一生生きるのも、いいぞと」

だが、同世代の俳優たちとの差は歴然。子役時代は横並びだが、続々主役を演じ始めた彼らに対して、獅童にいい役はなかなかまわってこなかった。

「半端に血筋があるものだからよそに弟子入りもできないし、かといってこの世界に父親もいない。時間だけはたくさんあったので、やりたいこととか“じゃあ俺にしかできないことはなんだ”ということをいっぱい考えました」

そして映画のオーディションを受けまくった。本名で。

「歌舞伎で育って、歌舞伎役者という肩書きを取り除いたときに、ひとりの役者としてどこまで通用するんだと」

中村獅童が世間的に認知されたのは2002年の映画『ピンポン』。頭髪も眉も剃り落として演じた凶相の敵役・ドラゴン。これもオーディションから。「20代に葛藤の日々が続いてて、それはつねにチャレンジしようという気持ちになるわけで、そんな中村獅童の想いが爆発したのがドラゴンでした。“やっとつかんだ”と思いましたね。そういう役に巡り会えることがあるんです。自分のパッションと役柄との気持ちがぱたっとはまるときがね」

とにかく楽しくて、自己評価だけでなく多くの賞も得た。うれしかった。

「“ああ、この喜びは今日で忘れよう”と思いました。いつまでも喜んでいたら次に行けないなと思ったんです。だからあの後、悪役のオファーをたくさんいただいたけど、やらなかった」

現代劇で認められたけれど、安易に役には飛びつかなかった。三谷幸喜のバラエティドラマ『HR』でのお茶目な不良に、『阿修羅のごとく』ではダサい青年。舞台での丹下左膳に、『いま、会いにゆきます』では普通の男。型にはまらない役柄をバランスよく演じてきたことを「運がよかった」と笑う。

「人生は何が起きるかわからないから、どこかで腹をくくってないと。どんなことがあっても、必要とされなくて仕事がなくなったら自分のせいだと思ってるから。そこを焦ってあんまり欲ばるのもよくないなと思って。うん」

歌舞伎でも『義経千本桜』『毛抜』で初主演を務めたのは『ピンポン』以降。

「歌舞伎は絶対的な存在。芝居を勉強してきたベースだし。それがなかったら現代劇の中村獅童も存在しません。歌舞伎の劇場では“やっぱり獅童は歌舞伎役者だ!”と言われたい。でも、現代劇のときは“歌舞伎役者が現代劇をやっている”と見られたくはないんです。ひとつひとつ自分でチャンネルを切り替えて作品、役柄、空間に、違和感なくいられる人でいたい」

それは、役者を仕事にしようと思った時から変わらない。

「歌舞伎役者といっても、もともとそこらへんのガキだし。出始めのころ、ロックやファッションが好きだというとみんなびっくりしたけど…世間的に“歌舞伎役者”という枠組みが作られているだけで、それとは関係なく“俺は全部好きだから全部やる”という話なんです。役者という仕事にはなんにも決まりがないし『来週から仕事がありません』と言われればそれで終わり。だから自分で夢を思い描き、欲を持ち、不安も生じる。スポーツと違ってその日のうちに勝敗が出るわけじゃないけど、見えない未来に向かっていき、不安を喜びに変える。で、また不安にもなる。その繰り返し」

20代のころ、やりたいと思い描いた様々なことをいまひとつひとつ実現に移している。だから― 。

今…08年7月のある夜、下北沢にあるホールの会議室。これが、この時点での中村獅童の偽らざる気持ちだ。

「やっぱり役者という仕事は本当に楽しいなと思う。思っています、毎日」

1972年、東京生まれ。8歳で歌舞伎座で初舞台、二代目中村獅童を名乗る。03年に『義経千本桜』『毛抜』にて初の主演を務める。映画では02年、オーディションで『ピンポン』のドラゴン役を得て、ブルーリボン賞、ゴールデン・アロー賞、日本アカデミー賞、日本映画批評家協会賞、毎日映画コンクールの各新人賞計5冠を受賞。三谷幸喜作・演出のドラマ『HR』では金髪のお茶目な不良・鷲尾を演じ、注目を集める。03年には『阿修羅のごとく』で日本アカデミー賞優秀助演男優賞受賞。『アイデン&ティティ』でロックバンドのボーカルを演じる。06年『SPIRIT』ではジェット・リーと共演を果たし、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』にも出演。現在『ICHI』『レッドクリフ』の公開が待たれる。10月には舞台『黒部の太陽』も。そして初監督作品を含むオムニバスムービー『R246STORY』も。

■編集後記

中村獅童にはいろいろな面がある。歌舞伎を基にあらゆるジャンルの様々な役を演じてきた。が、一方で「何もない」という。「いろんな感情を芝居にぶつけてしまう。感情って…少なくとも僕は口では説明できなくて。それを役柄を通して表すことで清算しているのかもしれません。僕は役者じゃなかったらすごくいいかげんな男だし趣味もない。真剣にできることって、芝居だけ。“プレイボーイ”とかマスコミの人が言ってくれるのはありがたい(笑)。でもつまんない男ですよ」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
堀 清英=写真
photography KIYOHIDE HORI
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