「迷いは進化の入口だと信じてる」

本木雅弘

2008.09.04 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA サコカメラ=写真 photography SACO CAMERA …
自分のやり方がある。正解か否かはわからない

本木が演じるのは、東京のおしゃれなチェリスト。オーケストラの解散で故郷に帰り、ちょっとした勘違いから納棺の仕事に就く。見も知らぬ他人の“死体”と直接ふれあう作業に畏れ、戸惑いながらも、十数年前の本木自身と同様に魅了されていく。生きていく自分の日々や人間関係を強く意識する。

遺体を清め、仏衣を着せ、化粧を施し棺に納める。本木が背筋を伸ばしてスッと行う一連の作業は儀式めいていて、むしろ“美しい”といってよい。

「人がこの世に生を受けるときには人の手を借り、亡くなったときもやはり人の手で送られる。人の手というのは想いですよね。故人との別れを受け入れ、できるだけ安らかに次の世界へ旅立ってほしいというシンプルな想い。たぶん時代によって方法は変わるだろうけど、人間がずっと行ってきた営みだと思うんです」

撮影に際しては実際にプロから納棺の手ほどきを受け、最終的にはひとりでほぼ完璧にすべての作業をこなせるようになっていた。同時にチェロの弾き方もマスターした。

「役を演じるとき、最終的にいちばん必要なのは心ですよね。形が見えない心をどれだけ表現できるか…それが“役者が画面からはみ出せるか否か”“ちゃんとお客に刺さるか否か”を決める重要な部分だと思っています。いろんなものをフラットに見られる目を持ち、何がその出来事の中心にあるのかを捉えられる。そしてそこからどのくらいジャンプしたいのか、どのくらい潜って表現したいのかを見極める…ことが大事! でもそこで迷ってしまう。すべてが正解で、すべてが誤っている気がして。だから私は形から入るんです。まずは肉体に言い聞かせ、無理のない形を整える。器が決まれば、心も入れやすく、佇まいも見えてくるだろうと。あとは現場に立ったとき何に気づけるか、という最後の賭けを残して臨むわけです」

フラットな目を持ち、心のありようを決められるというのは、この作品で共演した山崎 努への賛辞でもある。

「あの深い思考と決断力はすばらしいなあと。でも人間はいろんな種類がいるし、私は山崎さんのようなアプローチで何かを獲得できるかというと、きっと無理」

人一倍「自分」については自覚的だ。

この世界に入ったのは15歳のとき。学園ドラマで人気に火がつき、翌82年、ドラマの“クラスメイト”たちとシブがき隊として歌手デビュー。当時のアイドルは、今では考えられないほどまっすぐで、清純で、さわやか(であることを義務づけられていた)。いつごろいまの「自分」を獲得したかを尋ねると、「わからない」と本木雅弘は言った。そして、91年、25歳のときに篠山紀信と撮影した自身のヌード写真集の話になる。

探し続け、もがき続ける変われる、まだ伸びる…。

「特別なことじゃなく、私が断ればリストのなかの次の人間にオファーが行ったんだろうけど。先駆けの立場を逃すのはもったいない…と。それだけじゃなく自分なりの挑戦があった。日ごろから世間に自分を晒すような仕事をしているが、どこか不自由だ…で、現実的に裸になることによって、もう一歩突き抜けられるんじゃないかと。でも、残念ながら結果的に、何も変わらなかった。フフッ(笑)」

グループは22歳11カ月で“解隊”し、モッくんから本木雅弘になった。

「いつも内側で爆発したい、突き抜けたいという欲求があるんですよ。そこにある自分に何か不満足で虚しい。自分の弱さ、情けなさにウンザリし、自分の頑固さに振り回されるときもある。人は自分で思っている以上にどうしようもない存在ですよね。それでもそれをどこかで否定したい。まだ変われる、まだ伸ばせるという、そんな想いがずっとある。本当は、いい意味で諦めてラクになりたいんですけどね(笑)。いつも理想を追っている」

獲得どころか、探し続けているのだ。仕事をするずっと前から、子どものころからずっと自分を俯瞰してきたと言う。だから、アイドルのころは疑問がついて回った。

「うれしいとかありがたいじゃなくて、“何で俺でいいの?”みたいな。慣れはしますけど、大抵のことは大人に操作されてやっていると自覚し、“自分は偽物だ”という乾いた意識はつねにありました。だからそれこそ旅に出て、流されてずぶ濡れに。現実感のある『自分』の人生があるなら、芸能界を辞めるべきだという気持ちも半分以上ありました。でもその前に、この世界で個人としての価値はどうなんだと…ずっと3人でしたからね」

『ファンシイダンス』(89年)で周防正行監督や竹中直人と出会った。『GONIN』(95年)では石井隆監督に、『双生児』(99年)では塚本晋也監督に演出を受ける。“私は私”という意識を持ちつつ、数々の監督や俳優から刺激を受ける。

「非常にややこしいんですけど。自分自身は冷めた存在でいながら、相手のことは拒絶しないのが理想ですね。できるだけ熱い人間に近づき、冷めた自分と混ぜてちょうどいい温度になるみたいなね(笑)。願わくばお互いに生かし生かされる関係ができればと。相手も、仕事の環境も、自分の人生をデザインしていくための材料にしたいし、私のこともそう思ってもらいたい」

42歳である。が、まだまだ惑う。

「本当は、自他ともにに納得できる作品を残して、40代でリタイアしたかった。体も頭も動くうちに次の人生に飛び込みたかった。30代前半からそんなイメージに憧れたけど、いまますます息苦しく伸び悩んでいる(笑)。不惑のはずなのにね。現代人は孔子の設定より10年ずつ遅れてるらしいですね。成人も精神面では20歳どころか30歳くらいになっちゃってるし。たぶん私の場合も50歳を過ぎたら、ようやく自分なりの言葉が語れるようになるでしょう。早くありのままを認めて、開き直っていくことができればいいんですけどね。まだちょっと私はもがいてますね。ただ、迷いは進化の入口だと信じてる。そして、もがける余地がある…からこそ、面白く生きていけるんじゃないかなと思っています」

1965年生まれ。81年ドラマ『2年B組仙八先生』に出演、82年アイドルグループ「シブがき隊」のメンバーとして「NAI・NAI 16」で歌手デビュー。88年シブがき隊“解隊”。俳優活動を本格化する。おもな出演作に『226』、『ファンシイダンス』(89年)、『シコふんじゃった。』(91年)、『GONIN』(95年)、『双生児』(99年)、『スパイ・ゾルゲ』(03年)など。NHK大河ドラマ『徳川慶喜』など、テレビでも活躍。09年には『坂の上の雲』で秋山真之を演じる。『おくりびと』は9月13日公開。

■編集後記

20代の最後に結婚、31歳で父に。仕事とは違う「変革が訪れる」機会だった。「親になったときは発見の連続で面白かったですね。子どもは成長するにつれ、自分とは別の人間であることがわかってくる。でも私の遺伝子が入っているから、まるで自分が映し出されたような弱点を見せるときがあって(笑)。愕然としましたね。でも、内心、自らを励ますように誉めてあげると、ぐんと可能性を広げてくる…だから子どもとの関係は面白いんです」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
サコカメラ=写真
photography SACO CAMERA
斉能 裕=スタイリング
styling YUTAKA SAINOU
山崎アキラ(オフィス ムー)=ヘア&メイク
hair & make-up AKIRA YAMAZAKI

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