「自分のルールを守り続けること」

東山紀之

2006.02.02 THU

ロングインタビュー


東山紀之
食べる“形”がまるで殺陣のように美しい

ヒガシは4年ぶりの連ドラ『喰いタン』で、食いしん坊の探偵を演じている。とにかく登場シーンのほとんどで食いまくる。機内食を食い、殺人現場の寿司を食い、中華街すべての麻婆豆腐を食う。そして味やレシピや素材の違いから、犯罪を暴いていく。食いしん坊とグルメを両立させた男である。

「撮影現場では思いっきり食べてます。毎日、腹いっぱいで。こんなに食べると思わなかった(笑)。観てる人が、ドラマの最後におなかが減るようになれば最高だと思いながらやってますよ。劇中ではいつもガツガツ食べていたいんで、いまは3食抜いてます」

食にものすごく執着がある人物像。だからといって、空腹である様や、がっつく部分だけを見せればいいわけではない。 “食べる演技”が大切。

「うまそうであることとガツガツ感を出しながらも、キレイに見せたいんです。礼儀作法や食文化としての形をきちっと見せないといけないなと思ってます。監督は“侍の精神で”って言ってました。その辺は話し合いながら作ってきましたね。今回、自分はマイ箸を使ってるんですが、刀を扱うような気持ちで扱っています。滑稽に映ってくれると、うれしいですね」

背筋がビッと伸び、流れるように箸が使われ、着実に料理が消えてゆく。その大げさな感じがおかしい。

「ショートコントの集合体みたい。でもね、人生はコントみたいなものです。マジメ腐るよりそっちのほうが面白いですよ。今回はね、馬鹿馬鹿しいことをいっぱいやってます(笑)。だけど、そこを一生懸命きちっとやることに意味が出てくると思ってるんです」

その食べる形はまるで殺陣であり、身体の表現はダンスに相通ずる部分もある。ビシッと決まって見せることができるのは、動きの基礎があるからだ。普段はスポーツ栄養学に基づいてトレーナーの設定したメニューを参考に、食事もある程度管理しているという。でもいま、現場ではドカ食い。

「帰りはいつも走って帰ってます。だいたい10kmは走りますね。家まで1時間弱ぐらいじゃないですかね。トレーニングもしてますけど、食べてる分は大体それでナントカなります」

本当の話。いまのところ、撮影に入ってからも体重の増減はないという。もっと言うならば、ヒガシは17歳から体型が変わっていない。

自分で決めたルールを自分で守るのが、プロ

「“仕事だ”という意識を持てばできないことはないんじゃないかな。ボクサーなんか完全にそうですよね。階級がある。それを超えたら選手として認められない。メジャーリーガーも契約の中に体重が入ってるんですよ。選手として認められなければ、試合に出られない。“じゃあ、試合に出るためにはどうすればいいか”。自分のなかで絶対的なルールを決めて、それを守ればいいだけの話なんですよね」

ジャニーズ事務所に入ったのが13歳。15歳で少年隊のメンバーとなり、19歳の冬にレコードデビュー。ヒガシはずっと“当然のこと”としてマイ・ルールに従って生きてきたわけだ。が、果たしてそれはいつ制定されたのか。ローティーンの、まさしく少年のころだったとすれば相当だが…。

「最初は部活の延長みたいな感覚でした。周りにはホラ、いまのうちのメンバーもシブがき隊もいるし。先輩はトシちゃんにマッチ、川崎麻世さん…楽しかったんです。仕事がどうこうなんて考えてなかった。“誉められたいな”っていうことは、思ってましたけど」

自分のなかでのルールは“プロである”という自覚とともに生まれたという。

「当時はレコード出すと出さないとでは大きな隔たりがありました。レコード出さないと、デビューとみなしてくれなかった。周囲もプロとして見てくれないですしね。先にシブがきがデビューして、周りの扱いが変わってるのも見ていました。だから、一層、“デビューしたらプロ”っていう意識が強くなったんじゃないでしょうか」

幸いにもすぐさま多くのプロたちと仕事をする機会を得た。そして彼らの考え方や仕事への姿勢に共感を持った。

「87年のドラマ『新選組』で、松方弘樹さんとお会いしました。そのあとにやった『源義経』は、滝沢(秀明)と同じくらいの歳だったかな。そのときは若山(富三郎)先生とか、萬屋(錦之介)先生。若山先生怖かったんですけど、あとで良くしていただいて。別のときには森繁(久彌)先生に“オマエが東山か”と呼び止められて…ホント、いろんな先輩たちとご一緒させてもらって勉強になりました。プロのモノの考え方が自分にとってはカッコイイなって思ったんです。精神性とか、作品に対する真摯な姿勢が僕の本質的な部分としっくりきたんですよ」

ヒガシのルールは“体重を増やさない”ということではない。それは、ルールを守るための要素にすぎない。大切なのは、要求に応えること。

「仕事の要求、お客さん、ファンの人の要求にどれぐらい応えられるか。僕らはデビューして20周年ですけど、自分自身が昔ファンだった人がものすごく太ってるのを見るのはイヤです。少なくとも僕はそうなりたくはない。もちろん老いてはいきますが、いい歳のとりかたをしていきたい。仕事もいろいろあります。面白いもの、悲劇、踊りとか歌…すべてのことにおいて、求められるものに応えていきたい」

だから、ヒガシの形は変わらない。

もっと知りたい。新しいことをやりたい

連ドラの制作は、時間とのタタカイでもある。今回の作品も、実は相当がんばって作っているらしい。

「スリルがないとね。スリルがあると、ドラマをやる楽しさがさらに増えます。余裕よりも勢いがあったほうがいいですね。そのほうが精神が研ぎ澄まされるし、いろんなことを思いつきますから」

若いころに自ら設定したルールに忠実に生きている。それはマンネリズムではなくて、ひとつの大きな幹である。

“スリル”発言を見てもわかるが、コツコツを積み重ねながらも安住しない。「やったことのない仕事は大好き。『喰いタン』もいいお仕事です(笑)。大変なのは最初っからわかってました。それをクリアしたときには心地いい瞬間が来ますからね。ダラダラしてるより緊張感のあるほうが面白い、何事も真剣にやったほうが面白いんですよ。草野球だって…鬼ごっこだって(笑)」

すごいな、とつぶやいたら、「すごい人はもっといますよ」と言われた。天然で努力ができる人はある種の天才だ。

「僕のターニングポイントはこれからじゃないかと思ってます。知らないことがいっぱいあるんですよ。僕にはやらなきゃいけないことはいっぱいあります。それを楽しみつつ、やっていきたい。結局ね、仕事ができる男がいちばんカッコいいと思います。それぞれの道でなすべきことがある。その道のプロとしての意識をちゃんと持って、何がそれに必要か考える。そういう感性を研ぐというのが一番大事なんじゃないでしょうか」

プロに囲まれ、おのずとプロの自覚を身につけ、実践してきた。これはエンターテインメントの世界のみならず、あらゆる場所で有効な姿勢であろう。が、誰しもそんな“怖いけれど恵まれた環境”で仕事をすることはできない…。

「そんなときは、そうじゃない人のことは反面教師にして、自分がとにかくプロになればいいんですよ。そのほうが絶対スムーズにいきますよ」

東山紀之は、いまだかつて、チャラチャラしたことはない。これはたぶん本当のことである。

1966年9月30日、神奈川県生まれ。13歳でジャニーズ事務所入り。15歳で少年隊に加入。近藤真彦らのバックダンサーやコンサート活動などを経て、85年、錦織一清・植草克秀とともに『仮面舞踏会』でレコードデビュー。翌年から始まった少年隊ミュージカル『PLAYZONE』は昨年で20周年を迎えた。キャリアの初期から歌のみにとどまらないエンターテインメント志向を見せていた。87年『新選組』では松方弘樹演ずる近藤勇の下で沖田総司を演じ、90年『源義経』では若山富三郎と共演するなど、ドラマ方面でも活躍。現在、『喰いタン』(日本テレビ系土曜21:00~)にて食いしん坊にしてグルメの探偵・高野聖也を演じる。

■編集後記

デビュー5年目。少年隊としての活動に加えて、メンバーそれぞれのソロ活動も目立ち始めたのが91年。ヒガシ自身も舞台やテレビドラマへ積極的に動いていた。「華やかに見える世界ほど、地味な作業が必要なんで。だからそういう世界にいる実感はないですね」とヒガシは言う。「とくに暗闇にいる時間のほうが長い」。舞台に力を入れ、エンターティナーとしての地力をコツコツと身につけていた時代でもあった。

東山紀之

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