「誰もやっていないから」

みうらじゅん

2006.03.09 THU

ロングインタビュー


みうらじゅん
つねにお客を意識する無為に全力をかける

「怪獣の写真をノートに貼ってアレンジを加えて…“スクラッパー”としてのデビューが小学1年生でした。やってたのは基本、人に見せるため。ウケなかったら、ポリシーは平気で曲げます」

普通、趣味のスクラップで読者は意識しない。いまや仏像方面でも有名だが、そちらに目が向いたのは小学4年。

「当時怪獣はブームだったから、クラスで怪獣博士の称号を得るのは厳しかったんです。となると、どうするか。一人会議が開かれて “仏像ならば誰もやってないだろう”と。スーッとシフトしたわけじゃなくて、結構あざとかったんです。いつもそんなことばっかり考えてた。流行がキライだったし、とりあえず、誰もやってないようなところだったらいい具合にいけるんじゃないかと。それで流行を追っかけてるヤツらにはウケたかった。俺個人でできることに対して団体の意識を向けるところに興味があった気がします」

いまでいう“マイブーム”だ。少し誤解されているが、みうらじゅん的にこの言葉を説明するなら“自分だけのブームをきちんとメインブームにすること”である。誰にも注目されていないままではいやなのだ。だから、つねに読者を意識する。

仕事の種は小学生時代に植えられていた。ぐんぐん育つのは高校時代。

「ボブ・ディランになりたくて。モテたくて、1日4曲とか決めて歌を作ってました。それで高3までに持ち歌が400曲という気持ち悪い状態になってた。よく、旅先で現地録音もしました。家出して金沢の兼六園で、『ライブ・イン金沢』を録ったり…度を越したら他人が引くということを知らなかったんですね。普通なら2~3曲作って“昔、やってたよ”で終わるんだけど」

だがいまも実は、それほどおかしいとは思っていないようだ。安斎 肇とのユニット『勝手に観光協会』では47都道府県のご当地ソングを作っている。現在2枚CDが出ているが、ほとんどが現地の旅館での“リョカ録”を採用。

「結局これって、『ライブ・イン金沢』と一緒なんですよね。わざわざそこに行って録音する」

おかしくないのは、高校時代と今が地続きだからだ。過去として完全に切り離されているわけでなく、延長線上にあるから。誰に咎められるわけでもないのに、わざわざ現地に行って嘘のないように録音。無駄とも無為ともいえるこだわりは、確かにいまの多くのみうらじゅんワークスに影を落とす。

“自分なくし”の末に自分が見つかる?

高校時代のもうひとりのヒーローが横尾忠則だ。ある日、あれほどなりたかったボブ・ディランにはなれないということに電撃的に気が付く。

「“この人ガイジンで英語だ!”って。それで2番目にかっこいい人を見つけたのが、横尾忠則さんだったんですよ」

高校でみうらじゅんはどこにも属していなかった。そもそもマイブーム体質だし。ノルマの作詞・作曲や自分ひとりの同人誌の編集、マンガの執筆など、あまりにもやることが多かった。「どのジャンルにもいなくて。美術系というところしかないだろう」と、2浪の末、武蔵野美術大学に入学。

みうらじゅんは“自分なくし”を謳っている。「人に憧れてマネをしてなりたくてやってみて、でもなれない。自分探しっていいますけど、そんなの探しても見つからない。この人にもなれないあの人にもなれないって、なくしていった末に、これにしかなれないっていうところがある」というものだ。

自分なくしの末の美大で、横尾忠則になりたい日々が続く。

「イラストレーターになるっていっても、いきなり出版社に牛の絵を描いて持っていってもたぶん通らないですよね。で、大学2年のときにマンガを描いた。友達に見せたら “『ガロ』にしか載らない”って言うから、あー『ガロ』には載るんだと思って持ち込んだら、載らない。そのあと『漫画アクション』とかにも行くんですけど、“ガロに行ったほうがいいよ”って。さっき持っていったのに(笑)。唯一そこにしか載らないところに載らないのはイカンと思って、意地で1年間毎月『ガロ』に持ち込みました」

在学中の80年『ガロ』でマンガ家デビュー。これもまた、自分なくしの末に到達した場所。82年には、創刊したばかりの『ヤングマガジン』でちばてつや賞の佳作を受賞。なんとなくマンガ家なのだが「だいたい『ガロ』って原稿料が出ないんです。そういうところから始めたから、デビューしてるのかどうかわからない状態で。仕送りも、結局27歳ぐらいまで入ってたし」。

おしゃれの反動を経てさらなる“素”へ

糸井重里は「勝手に決めた師匠」である。大学時代に友人経由で勝手に事務所に出入りするようになった。

「400曲を編集したベスト盤をかけたら怒られました。“違うところに行ったほうがいい”って。でも初めてお会いした有名な方だし、せっかくだからと思って、毎日顔を出してました」

もちろん給料は発生しない。そのうち『ビックリハウス』(注:80年代に燦然と輝くサブカル誌)を紹介される。

「行ったら“タダでしょ?”って。“絵は下手なんだけど情熱はあって、タダで絵を描くヤツ”って紹介してくれたらしくって。まあそういうキャッチフレーズだったんで、しょうがない(笑)」

冒頭のおしゃれ化計画が、発動するのはこの辺りの話だ。

「結局28歳ぐらいで限界が来ました。すっごい自分をだまくらかして生きてきたから。知らないことを知らないって言えなかった。ポリシー持ってやってたはずなのに、確実に魂を売ってた。新人類の人たちと“あー、そういうのクルよね”って(笑)。いったい何がクルんだかさっぱりわからないのに」

ウケるためにはポリシーを曲げる。でも、いつの間にか捨てていた。こんな状態をボブ先輩はどう思うだろう…。

「やっぱり肝硬変みたいなもので、1回患ってるロックっぽいことって治らないんですよね。ムリをするのはやめて、髪を伸ばして元通りになりました」

髪が伸びきったころ、バンドブームを生んだTV番組『イカ天』に出演。

「次の日、急に道で追いかけられた。『あ、これだな』と思いました。より一層“素”の状態になったほうがいいなって。それで隠してたいろんなことを出していくようになったんです」

それが受け入れられるように、時代が少しずつ変化していった。やっていること自体は、実際、小学生からあまり変わっていない。スクラップはテーマがエロへかわり、現在182巻。とんまつり(=とんまな奇祭)、ゆるキャラ(ゆるいキャラクター)、カスハガ(カスみたいな絵葉書)など、みうらじゅん以外の誰一人として博士になれない、新たなジャンルを生み出し続ける。

従来あるものにも光を当てる。たとえば回文。携帯配信番組の『回文道場』。

「回文を再現フィルムをつけて配信すると、また違うものになる。俺には回文を考える才能はないんですけど。回文は、とても世の中の役には立たないし、それでなんになるわけでもない、浪費されてるような感じが好きですね。そこが、自分のやってるところと近い気がする。本当はエロをやりたいんですけどね。エロ回文は使い勝手があるような気がします。昔、鶴光の『オールナイトニッポン』でやってた “イタリヤコンマ”みたいなやつ」

1958年2月1日、京都生まれ。武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業。大学在学中の80年『ガロ』でマンガ家としてデビュー。82年には『ヤングマガジン』でちばてつや賞の佳作を受賞。空白の3年を経て、89年『イカすバンド天国』にロックバンド・大島渚として出場。92年に描いた自伝的コミック『アイデン&ティティ』は03年、盟友・田口トモロヲの手で映画化。96年より仏友・いとうせいこうとThe Rock'n Roll Slidersを結成、『ザ・スライドショー』を展開。マンガ家でありイラストレーターでありミュージシャンであり小説家である。DVD『ザ・スライドショー9』発売中。

■編集後記

自分なくしは憧れの対象があって成立する。それがないまま自分をなくしていた時期。おしゃれギョーカイ人と化しながらも、完全に魂は売っていなかったようで。「レイヤードカットの女の人とか描くんですけど、脇が余る。その余白の部分に間 寛平とか、全然関係ない吉本新喜劇の役者の絵を描いてたんですよ」。この空白の時代を抜け出したとき、そこがメインになった。後に多く行われる吉本とのコラボのきっかけである。

みうらじゅん

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト