「芸は一生の習いごと」

木村祐一

2006.06.29 THU

ロングインタビュー


木村祐一
漫才師になれたら面白そうだ…で、染め物職人から転身

芸に対するこだわりがある。それと同時につねに自然体でいたい、とも。そんな木村がお笑いの世界に飛び込んだのはちょうど20年前の春のこと。23 歳だった。それまではホテルマンや染め物職人として働いていた。当然…。「お笑いの世界に入れるとも、入りたいとも思ってなかった。お笑い番組を必ず観るっていう子供でもなかったし、新喜劇も漫才もそんなに観てへんし」

そんな彼がお笑いを志したきっかけは“中学校の同級生に誘われたから”。

「“漫才やろう”ってね。ちょうどそのころ着物の染め物にも飽きてたし、手に職がついてるからお笑いで失敗しても、また戻れるやろと。漫才師っていう職業になれるんやったらそれも面白いかな~っていうぐらいの気持ち」

早い話、お笑いの世界で大きな成功なんて全然求めていなかったのだ。だが、そんな彼の思惑とは裏腹に、二人が結成したコンビ“オールディーズ”はデビュー3年目の88年、関西の若手芸人にとって最もステータスのある賞レースの一つ、NHK上方漫才コンテストで最優秀賞に輝くことになる。

「まさに25歳のときですよ。エントリーしたときはね、僕らポッと出の新人であと周りは先輩ばっかりだったから、そんな状況で賞取れたらカッコええな~って。それくらいの気持ちだった。でも、賞をいざもらってしもたらね、人よりもっと面白くならなと思うてね。こらちょっと頑張らなアカンなって」

漫才師と呼ばれるためにはどうする? …それしか考えてなかった状況から一転、賞を取ったことで、緊張感と背中合わせの日々が続いた、という。

「ただね、最初から目標が大きくなかったことが幸か不幸か。明日イベントがあるからネタ考えるとか、テレビ出演があるから内容を把握しておかなアカンとか。そういう目の前のことを追いかけるだけやったのよ。要は会社から頼まれることをやってただけ。さすがにネタは自分のやりたいものを作るけど、自分から“あれやりたいこれやりたい”とかはあまりなかったよね」

とはいえオールディーズは当時、ダウンタウンの司会で絶大なる人気を誇った『4時ですよーだ』にも出演。順調に人気を獲得していく。だがそんな矢先、突然のコンビ解散。これにより木村はピン芸人の道を進むことになったのだ。90年のできごとだった。

瀬戸際の30歳。自分から初めて行動を起こした

与えられるがまま、これといった行動もしていなかった20代。一人でやっていくのは限界だった。切羽詰まるのは必然だったのだ。レギュラー番組も、他の仕事も大阪では何もない。気づけば30歳になっていた。

「そこが転機やったね。このまま何もしてへん自分ってなんやろって思って、30歳で初めて自分で行動を起こしたのよ。ダウンタウンさんやら今田さん、ずっと一緒にやってた社員の人とかも東京に行ってたから、“これ、東京行かなアカンのやろな”と」

こうして94年、仕事もないまま東京進出を果たす。そしてフジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』で構成作家デビュー。心機一転の再出発…いや、生きるか死ぬかの瀬戸際だった。

「『ごっつ』はね、ありがたいことにプロデューサーのほうから会社を通して作家のオファーがあったのよ。だから初めて自分で得た仕事っていう感覚やったね。あと『ダウンタウンDX』でね、最初のころに前説やってた。前説なんて若いコンビのコらがやるもんやけど、オレ一人では実際に演芸する場所もないワケやから、もう関係なかった。むしろ、年齢考えるとおもろうて当たり前みたいな感じでやらなアカンと。とにかく東京へ来て、初めて必死になったワケよね」

“この仕事を続けていこうと思ったのはこのときですか?”と尋ねると「やっていこうというよりも、やれていければええなっていう感じかな」とポツリ。いや、それより40代の今でも…。

「“やっていける”なんて思ってないです。いつやめてもいいとも思ってませんけど、やめなアカンようになったらどうしようかな、とは考えますね。ただ、今の自分には“写術”という芸があるから“どうしよう?”とも思わんけどね。だから、ホントさっきも言ったみたいにテレビに出てるとか、出てないとかの心配も全然ないねん。テレビなんて最初からないものと思ってるから、オマケなんよ」

“経験”からすべて生まれる芸は一生の習いごと

自分で撮った写真に絶妙なコメントをつけて笑いをとる“写術”。今や木村祐一のお家芸だが、このネタ作りにも“経験”がモノをいうと語る。

「発想とは思わないんですよ。発想って何もないところから生まれるみたいなニュアンスですやん。でも、そんなことってありえへんワケですよ。ボクのは“連想”。見聞きしたものの中からしか生まれてこないから。それをどれだけ膨らませるかっていうことやから、そういう意味では経験積んだ今のほうが引き出しとかネタの見つけ方は増えてるんじゃないですか」

最後に、木村の人となりを示すエピソードを紹介しよう。『ルミネtheよしもと』の舞台を、彼は自らのスケジュール上“仕事”ではなく“習いごと”の項目に分類しているというのだ。

「だって、ボクにとっては一生勉強ですから。まだ“芸人”になれてないから、自分でも芸人って名乗りたくないんですよ。事実、“あそこであれ言うたらよかった、これ言うたらよかった”って毎回その繰り返しやもの。で、逆にそこで思いついたものは自分の武器になりますからね。たとえ言葉であっても、しっかりと自分の心なり、頭なりに残しておく。要はどこに閉まっておくかなんですわ。“まぁ、いいわ、今度で”って軽く思ったら、その今度も出てこないですよ」

1963年2月9日、京都府生まれ。ホテルマン、染め物職人などを経てデビュー。ライフワークの“写術”で奇才ぶりを見せつける。木村祐一SHOW『写術』は8月26日、27日、恵比寿ザ・ガーデンホールにて。チケットはチケットぴあで7月8日発売。ルミネtheよしもと『7じ9じ』に座長として出演中。詳細はwww.fandango.co.jp/lumine/。役者としてはドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日テレ系)、映画『誰も知らない』(04年)、『ALWAYS 三丁目の夕日』(05年)『花よりもなほ』(06年)『晴れたらポップなボクの生活』(06年)などに出演。第59 回カンヌ国際映画祭で公式上映された『ゆれる』は7月8日より、渋谷アミューズCQN、新宿武蔵野館ほかで全国でロードショー。

■編集後記

デビューして3年目。NHK上方漫才コンテストで最優秀賞を受賞し、一つ勲章を得ていたころだ。だが、そんな快挙にも若き日の当人は冷静だった。「当時、うめだとなんばに二つ花月があって、それぞれ10日ずつ、月に20日舞台に出れたらええな~くらいにしか思うてないのよ。これは今もそうやけど、新人賞もろたので“これでいける”と思うとるヤツ、多分一人もおれへんと思うで。次の舞台でもお客さんに笑ってもらえるかなんて分からへんもの。安心なんてないわな」

木村祐一

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