「人間って、愛おしいなあ」

西田敏行

2009.01.15 THU

ロングインタビュー


兵藤育子=文 text IKUKO HYODO 稲田 平=写真 photography PEY INADA スチーム=編集 e…
マインドが開いていないと感情は表に出せない

「本当にいつも、申し訳ないくらい泣いちゃうんですよ。今回の作品の試写会でも、観に来ている人のなかで一番泣いていたのは、僕ですからね。主演にもかかわらず、ですよ」

関西発の人気テレビ番組『探偵!ナイトスクープ』では、人目をはばからず大粒の涙をこぼす姿が、いまや名物シーンとなっている。番組を見た人には「局長、あそこは泣きどころちゃうやろ?」と突っ込まれるのだとか。

「泣きのツボがいろいろあるんですよ。ポンと軽くプッシュされただけで、涙腺が一気に緩んじゃう。体がそういうシステムになってるから、止めることができないんですもん(笑)」 

涙の隣には常に笑いがあるのも、この人の魅力。感受性の豊かさは、子どものころに育った環境で培われた。

「マインドが開いていないと、感情はなかなか表に出せないもの。人前で泣くことに気恥ずかしさを感じる人は多いけれど、笑うことと同様、泣くことも大事だと思うんです。僕が子どものころ、『二十四の瞳』を映画館で観ていると、“先生!”なんてセリフを聞いただけで、どっかのお父ちゃんが泣き声を上げ始めるんです。それにつられて思わずこっちも泣けてきて、しまいには映画館全体が泣いていた。子どものころにいろんな人とそういう時間を共有したことで、うまい具合に情操が育まれた気がします。それはたとえば、部屋にひとりでいて“今、ちょっとジーンときたね”みたいな経験とは、スケール感が全然違うわけですよ。アナログチックだけれど、すごくかっこいい泣き方だと思うんですよね」

幼いころ、映画は最大の娯楽だった。大人も子どもも、同じスクリーンを観てハラハラドキドキする圧倒的な一体感がそこにはあった。そんな古き良き少年時代にフラッシュバックするできごとに、大人になって遭遇したという。そしてまた、涙がこぼれた。

「中国の大理に行ったとき、勧善懲悪のカンフー映画を観る機会がありました。敵を待ち構えている主人公を後ろから狙っている人がいて…。そのとき僕の後ろに座っていたおじさんが突然立ち上がって『(中国語風に)○×△□◎※~!』って叫んだんです。何事かと思ったら、敵が迫っていることを必死に教えようとしていたんですよ! それを見て妙に感動して、くう~っとまたひとりで泣いてしまって。おじさんも気持ちが完全に入り込んでいるから、ずっと立ち上がったままなんですよ。そんなとき僕は、“人間って愛おしいなあ”と思うんです。でも端から見たら、絶対にワケがわかんないですよね。“なんであんたがそこで泣く必要があるの?”って(笑)」

その状況を説明する西田さんも興奮して立ち上がっているわけで…。とにもかくにも、泣いて、笑って、の日々なのである。

裸になっても、役者という肌のある確信を持ちたい

役者になろうと決めたのは、小学5年生のとき。邦画好きの父と洋画好きの母とともに毎週のように映画館へ出かけた。感受性の強い西田少年は、中村錦之助や片岡千恵蔵、山形勲などといった往年の映画スターと自分を同一視、やがて“スクリーンの向こう側にいる人にならなければいけない”と思い込むようになる。しかも(?)当時目指していたのは、二枚目俳優だった。「二枚目以外はできないと思っていました。いや、ここは笑いどころじゃなくて。小学3年生くらいまでは振り向きざまに“かわいいわねえ”って言われるような美少年だったんです」

しかしそう思いながら、人を笑わせることに執着している自分もいた。

「中学時代のことですが、『人間失格』の冒頭と同じような体験をしているんです。『人間失格』は鉄棒だったけれど、僕の場合は跳び箱でした。体育の授業で、一段ずつ跳び箱の高さを上げていって、最後の3人に残ったんです。でもこれ以上は跳べないと思って、サービス精神を発揮して剽軽に転げ落ちてみた。そしたら大方はウケたのですが、ひとりの子が近寄ってきて“西田、今のわざとだべ?”って言われて、ビックリしてしまって。あのとき、笑いを取るということ、さらには見破られないことの難しさを自分のなかで学習したような気がします」

東京の高校に進学したのも、役者になるためには上京しなければ何も始まらない、という強い思い込みから。卒業後、演劇学校を経て、70年、青年座へ入団。

「当時は文学座、俳優座、民藝が三大劇団と呼ばれていて、はじめは文学座に行こうと思ったんです。そしたら“お前は、文学座の江守 徹っていう才能のある役者とキャラがかぶらないか?”と言われて、“それは損だ”とまた勝手に思い込んだ(笑)。ならば小さな劇団で派手にやったほうがいいと思い、青年座を受けたんです」

その選択は間違っていなかった。入団して1年後、23歳で『写楽考』という舞台の主役に抜擢される。

「初演から5年間毎年演じさせてもらいましたが、5年目くらいに写楽の気持ちがようやくわかるようになりました。だから“毎年同じお芝居をやっていて、飽きない?”なんてよく言われましたが、やっている人間としてはまったく飽きなかったし、ひとつのお芝居を作るためには、むしろこのくらいのスパンが必要だったんです」

以来、役者になって40年。飽きる気配は微塵もない。

「役者というアンダーシャツを着て、役者というセーターを着て、役者というコートも着ている感覚なんです。何枚脱いでも、まだ役者という服を着ていますよ、みたいなね。もっと言えば、裸になっても役者という肌がある、そんな確信を持ちたいんです」

一作ごとに役者という服を重ねて、やがてそれが血や肉となっていくのだろう。どっしりとした体躯には、あふれんばかりの役者魂と人情が詰まっているに違いない。

1947年福島県生まれ。70年、青年座に入団。80年、テレビドラマ『池中玄太80キロ』で活躍し、主題歌の『もしもピアノが弾けたなら』が大ヒット。88年からシリーズ化された映画『釣りバカ日誌』のハマちゃん役でもおなじみ。01年、関西の人気番組『探偵!ナイトスクープ』の2代目局長に就任。近年の主な出演作は、『自虐の詩』『丘を越えて』『ザ・マジックアワー』など。08年11月に紫綬褒章を受賞。ハリウッド作品初出演となる『ラーメンガール』では、ラーメン屋の頑固おやじを熱演。1月17日より公開。『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』は2月7日より公開。

■編集後記

25歳前後は、青年座の舞台『写楽考』の主役を演じていた時期。「毎日が芝居漬けでした。あ、でも元カノと別れて、今ヅマに会うか会わないかの微妙なころですかね(笑)。当時、僕は“結婚病”だったんです。結婚という重しを付けることで、根無し草の状態から脱したかったんでしょうね。ちょっと好きになると、2週間くらいで“結婚しない?”って言っちゃうから、危険人物視されていました。母にも“あんたはすぐに結婚を申し込むからフラれるんだわ”って言われたりして(笑)」

兵藤育子=文
text IKUKO HYODO
稲田 平=写真
photography PEY INADA
スチーム=編集
editorial steam

関連キーワード

注目記事ピックアップ

 

編集部ピックアップPR

ブレイクフォト