「ひょっとしたら俺、役者に向いてるのかもしれない」

六平直政

2009.02.12 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
だいたいみんな仲良し。仕事は選んだりしない

「陳 凱歌は仲良しになっちゃって、東京でプライベートで2度ぐらいメシ食ったよ。学芸大学のおいしい和食屋と、府中のイタメシ屋にも『高速でおいでよ』って呼びつけた(笑)。俺がいつも笑わすから「リューピン先生はすばらしい。こんなに気を遣って面白い人はいない」って喜んでくれて…あ、リューピンって“六平”の中国読みね」

六平さん、陳 凱歌がメガホンを取った『花の生涯~梅蘭芳~』という映画に出演している。中国の伝統芸能、京劇の伝説的スターの人生を、レオン・ライ主演で描く。劇中、40年という時間が流れる。様々なことが起こる。男同士の固い友情にはひびが入るし、ひとつの愛が謀略と死を呼ぶ。意外にも男っぽい大河ドラマだ。六平さんは、日本の軍人役。居丈高で融通の利かない帝国陸軍中将をクールに演じている。

「丁寧に撮るよー。テストからちゃんとカメラ回しておいて俺たちを呼ぶんだね。撮ったところを見せて、『レオン、ここの笑顔がヨクナイね』『リューピン先生の怒ったような目が好きです』って。それをくり返して、シュート(撮影)」

演技を実際に見て具体的に改善点を求められるのは珍しいことらしい。

「でもそれでいいんだよ。北野(武)組に行ったら、テスト1回ぐらいで撮るし。深作(欣二)さんなんて30回も40回もテストする人だった。映像は演劇とかと違って監督のものだから。それがいやだったら、出ないしかないんだよ。いくら俺たちがいい芝居だって思っても編集で監督が切っちゃえば終わりだもんね。それがわかってるから現場で文句なんか言わないもん。いつもニコニコおとなしく…おとなしくねえか(笑)。監督とふざけてばっかで」

映画だけでおそらく100本以上に出演。テレビはドラマにもバラエティーにも出演する。選ぶ基準を問うと、先生と慕う96歳の映画監督・新藤兼人からの言葉を引用した。

「『仕事は何だっていいんです、六平さん。仕事に上下はありませんよ』ってね。バラエティーも陳 凱歌の映画もおなじ。どっちも俺が出なけりゃ他の人が出るだけ。オファーが来るだけでありがたいんだって」

しゃべり続ける。そして大声で笑う。でもじっくり見ている。すごいヤツには“何か”が見えるのだという。

「卓球の福原 愛ちゃんね。3歳ぐらいのとき、雑誌の取材で卓球対決したんだけどさ、現場にいたお母さんに『この子は絶対有名な選手になるよ。もしならなかったら俺、何億あげてもいい』って言った(笑)。オーラっていうか磁場っていうか、そういうのあるよね。テレビ越しでも…今日、マンチェスター・ユナイテッドの試合観てたんだけどさ、やっぱりクリスティアーノ・ロナウドはオーラがあるな。殺人犯なんかでもこわいオーラが出てる…」

ヘンな人を見、この日も舞台で共演する田中裕子のかわいさを見、壁に掛かった額の水平・垂直も見る。

「なんだろうなあ、それは俺が美術をやってたせいもあるかもしれないね」

35年ほど前、六平直政は武蔵野美術大学で彫刻家を志していた。師事したのは、篠田守男。金属とワイヤーを使った『テンション&コンプレッション』シリーズで、「ドイツの『ドクメンタ』っていう世界的に有名な画廊でも個展をしたすごい人だよ。ヘンリー・ミラーとも親友でさ。とにかく俺は役者になんかなるつもりはなかった」。

溶接技術のせいでどんどんアングラの道へ

「当時つきあってた油絵科の彼女が状況劇場の大ファンでさ、連れて行かれて何回か観るうちに面白いなあって」

状況劇場は、唐 十郎が主宰するアングラ劇団の雄だった。

「でもそれだけ。俺は彫刻やってたから。ある日、八王子にある小松製作所の工場にいたら…そこで篠田守男の作品作ってたんだけど、そこにあった朝日新聞に『状況劇場スタッフ・キャスト募集』っていうのが出てたわけ。『ロッペイくん、これ受けてみたら?』って、篠田守男が言うんだよ。俺が観に行ってて唐 十郎に才能があるとか思ってること知らないで。偶然にだよ」

“ロッペイ”は六平さんのあだ名だ。劇団では舞台美術も作れるし、演劇は総合芸術だから、様々な表現を展開できる、というのが主張だった。かくして素直な六平さん、状況劇場を受験し、見事合格。同期には、金 守珍や佐野史郎などがいた。

「あとで不破万作さんに聞いたら、俺が溶接の免許持ってたのが『テントの杭とか施設の補修したりするのに便利だから』って入れてくれたらしい(笑)。結局、23歳から9年ぐらいいてさ。徐々に階段を上るんじゃなくて、階段を踏み外すように役者になってったわけよ(笑)」

実は入団2年目に脱走している。そもそも“溶接要員”として採用されたわけで、六平青年の劇団での日常は、やはりセット作りと補修ばかり。

「そのときまでセリフ1行もしゃべってなかったし、役者には未練なかった。みんなが温泉に行ってる隙に逃げて、自分のアパートで息を潜めて忍者のように隠れてた(笑)。それを佐野史郎と金 守珍に見つかって連れ戻された。で、佐野の方が先にやめてっちゃうんだから。あのときやめてりゃ、どっかの美大の教授にでもなってたのに、この才能と口で(笑)」

翌年には『お化け煙突物語』という作品で初めてのセリフ。逃げ出すことはなかったけれど、結局31歳で、彫刻の道に戻る。ところが、演劇の神みたいなものが、そうはさせてくれなかったのだ。

1年ほどのブランクの後、状況劇場をやめ、マダン劇という朝鮮の伝統的な芝居を演出していた金 守珍の稽古場を覗きに行ったときのこと。

「なんかみんな困ってたんだね。ワイヤーを客席に張りたいと。『じゃあ俺パパッと作ったげるよ』って言うと、金ちゃんが『ついでに舞台監督やってよ』って。まあそれぐらいならって1カ月ぐらい付き合ってるうちに『ロッペイちゃん、一緒に劇団作んない?』って」

またしても、溶接技術のせいである。第三エロチカの川村 毅や、劇団3○○の渡辺えり子(現・えり)らの台本を得、黒テントの金 久美子、鄭 義信らの参加を得て、六平さん、新宿梁山泊の旗揚げメンバーとなるのであった。今度は自分がトップ、楽しくアングラ道を突き進むことができるようになったのだ…が、食えない。 

当時、六平さん、すでに二児の父で、三人目も奥さんのおなかのなかにいた。

「それまで芝居やりながら、ありとあらゆることをしたよ。アジウマっていう黄色い機械で高速道路のドブさらい。武蔵美の先輩のツテで、怪獣の人形作りね…FRPを加工するからガラス繊維が毛穴の1本1本に刺さって…アーッ! 痛がゆいのなんのって! 思い出しても鳥肌立つ。下北沢の『太郎丸』って店で板前やって手までイカソーメンにしちゃったりね(笑)。大道具もあちこちやった。国技館の武田鉄矢のコンサートだ、『夜のヒットスタジオ』のセットだ、石原裕次郎さんの葬式に、郷ひろみの結婚式もやった」

34歳のとき、以前から親交のあった俳優の柄本 明に、彼の所属する事務所に誘われたのが転機。みるみるうちに仕事が増え、以来、役者一本。

「使う側としては新鮮だったんじゃないかな。如才ないから、俺、営業マンでも馴染んで結構やっていけたと思うんだよ。役者よりもずっと楽に食えてたかもしれない。でも役者っていろんな人生演じられるんだよね。何より、役者が好きになってたんだよ。篠田守男って目利きだからさ、『役者がいいよ』って予言したのが当たったのかもね。ひょっとしたら俺、役者に向いてるのかもしれない(笑)。蜷川(幸雄)さんに聞いてみようかな」

――2時間20分後、大ホールの舞台上。ボヘミアの年老いた羊飼いに扮した六平さんがいた。彼が現れると場内の空気が軽くなる。スイスイと演じる。 ――さらに1時間30分後、劇場楽屋口。壁に、手作りの公演スケジュール表。どの日が昼公演で、どの日が夜公演なのかがわかるように、日付ごとに丸いシールが貼られている。丸いシール…よく見たら、六平さんの顔だった。コピーして輪郭で切り抜いてある。

愛されているのだ。熟女にも、監督にも、楽屋でも。

1954年東京都生まれ。東京都立国立高校を卒業、武蔵野美術大学彫刻科で篠田守男に師事。23歳のとき、唐 十郎主宰の劇団、状況劇場に参加。87年、金 守珍らとともに新宿梁山泊を旗揚げ。その後、舞台にとどまらず、映画、テレビドラマ、バラエティーと出演作多数。北野 武映画の常連でもある。『旭山動物園物語―ペンギンが空をとぶ』『20世紀少年 第2章 最後の希望』(ともに公開中)、『GOEMON』(5月公開予定)、『引き出しの中のラブレター』など09年も出演作多数。『花の生涯~梅蘭芳~』は3月7日、新宿ピカデリーほか全国ロードショー。

■編集後記

この日の舞台はシェークスピアの『冬物語』。演出は蜷川幸雄だ。「蜷川さんとは相当付き合いが長いよ。俺が状況劇場に入ったときからだから、23のとき。『ネエネエ、ハゲのおじさ~ん』なんて呼びかけると、『なんですか?』って(笑)。他のヤツならぶん殴られるよね。実は陳 凱歌の映画、日程が変わって、蜷川さんの映画を降板して行ったんだ。マネージャーの佐藤がそのお願いに行ったら、『そりゃ、オレより陳 凱歌だよ』だって。さすが、世界の蜷川幸雄、エライよね(笑)」

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
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