「時代によって出てくるものに僕は敏感に反応したい」

ムッシュかまやつ

2009.03.05 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 堀 清英=写真 photography KIYOHIDE HORI
ムッシュの音楽遍歴と人生とニューアルバム

アルバムはムッシュの人生のショーケースのようだ。

「ゴロワーズ~」はヒップホップになっていた。94年にもムッシュはこの曲をリメイクしている。ロンドンのアシッド・ジャズ系ミュージシャンやDJたちからのリスペクトを受け、現地で彼らをバックにレコーディングしたのだ。「ゴロワーズ~」のオリジナルは、75年発売のあるシングルのB面だったが、90年代前半に“日本のレア・グルーヴ”としてロンドンで再評価されていた。A面だったのは「我が良き友よ」。吉田拓郎との親交のなかで贈られた1曲。結果的に90万枚を売り上げ、ムッシュ史上最大のヒットとなった。今回のアルバムでは11曲目に収録されている。その1年ほど前ムッシュはアニメ『はじめ人間ギャートルズ』の主題歌を手がけた。エンディングテーマの「やつらの足音のバラード」は、小泉今日子やスガシカオにもカバーされたが、今回は布袋寅泰とのロッカバラードで。5曲目でトータス松本と歌った「どうにかなるさ」はムッシュ31歳のときのソロ・シングル。この約1年後にスパイダースは解散する。日本を席巻することになるフォークブームはそこまで来ていて、ムッシュも新たな何かを嗅ぎ取っていた。そんな時期の曲。プロデビューは高校時代だが、そのときのバンドはカントリー&ウエスタンだった。「どうにかなるさ」は、そのテイストにも通じるところがあって、「スパイダースでやっていたような音楽からまたそっちに戻りたいという気持ちもあったんでしょうね」。

スパイダースからは「ノー・ノー・ボーイ」「あの時君は若かった」「バン バン バン」など5曲をセレクト。ムッシュは25歳から31歳までメンバーで、バンドの音楽的支柱でもあった。

「わけわかんなかったけど、僕のなかでは20代から30代前半がいちばんクリエイティブだったかな。怖いものがなくて、ただ“自分が考えたことを実行したい”ということができた“旬”の時期ですよね。このあいだ堺 正章さんとも話したんだけど『俺たちスパイダース時代にやっていたことで食っているところがあるよね』って(笑)」

堺 正章、井上 順の、スパイダースボーカルコンビとも「エレクトリックおばあちゃん」で共演。松任谷由実が書いた新曲を経て、森山良子・直太朗との“親戚コラボ”「懲りない2人」では、ムッシュのすべての音楽の入口であるジャズ風味のナンバー。最後は息子のTAROかまやつとのデュエットで音楽人生を振り返って、感動的に終わる。

ムッシュの父上、ティーブ釜萢もミュージシャンで、ムッシュは75年に共演したアルバムも作っているが「バトンをきちんと渡されなかった気がした」と言う。だから「僕は息子にバトンを渡したかった。それはできたような感じがしましたね」。

慣れた所にとどまらず、新しい、やりたいことを

このアルバムにはいろいろな音楽が入っているけれど、さもありなん。ムッシュは変わって変わって、いろんなものにハマッてハマッて生きてきた。

「僕にとって音楽は快楽です。できればそのピークでわけわかんなくなったり死んだりしたいですね(笑)」 

死は、“いずれ来ること”として、なんとなくずっと考えているという。70歳になったからではなく、意識し始めたのは66年の秋、スパイダースがヨーロッパ公演にでかけたとき。

「ヨーロッパの人は、物心ついたときに、死ぬことを考えるらしいんですね。で、やりたいことをきちんと見据えてやっちゃおうと。“やってお見事、やり残したら残念”みたいな感覚らしいんです。そのツアーで友人のフランス人とかにけっこう詰め込まれちゃった(笑)」

スパイダースでビートやギターサウンドを展開したかと思いきや、フォークに行き、でもそこで大ヒットを飛ばしたら、すぐにスルリと違う場所へ。

「基本的にカルチャーというのはぶっ壊してナンボ、というところがあるんでしょうね。だから僕はピカソの絵がいつまでも高いっていうのはよくないと思ってるし。人間は生まれて生きているうちにどんどん価値観をぶっ壊していくことが面白いんじゃないでしょうか。それによって僕の場合、“自分が生きている”という実感が得られる気がするんですよね。あの、ぶっ壊すっていっても世間の価値観じゃなくて、自分の内部の問題ですけどね」。

最初に実感したのは60年ごろ。

ムッシュは青山学院附属高校在学中にミュージシャンとしてデビューし、50年代半ばから六本木で遊んでいた。遊び仲間だったレーサーでモデルでデザイナーの福澤幸雄経由で川添象郎を知り、彼の家が飯倉片町に『キャンティ』というイタリアンレストランをオープンさせるのだ。

「僕は10代のころ、アメ横でギンガムチェックのシャツやカウボーイブーツ、テンガロンハットでキメてて。そのまま初めて『キャンティ』に行ったら、完全にヨーロッパ文化なんです。それでカルチャーショックを受けて(笑)」

日本の遊び人だけでなくフランク・シナトラやイヴ・サンローランなど世界のセレブも集った伝説の店である。後のスパイダース欧州ツアーでフランス人と死生観を語り合ったり、ピエール・カルダン本人と出会うことになるのも、この店があればこそ、だという。「あそこに集まってた“ヨーロッパ文化の人たち”は、なんだか固いものをぶっ壊そうとしているように思えて。僕もそれに何かを感じたのかな。自分のなかで核分裂を起こすのが正しいと思うんです。自分の得意なところに掴まりっぱなしだったら、進化しなくなる。時代によっていろんなものが出てくるでしょ? 僕はそういうものに敏感に反応したいんですよね」

スイスイと変わり続けてきたのは、それだからなのだ。

「たぶん快楽の求め方は人によってふたつに分かれると思うんですよ。自分がいちばん得意なものに掴まってずっと生きるのが心地いいヤツ。それと、いっつも違うものが来るのを快楽の種にするヤツ。僕は完全に後者です。人間って自分本位だし、自分が生きててラクな方に行くのがいいに決まってるし。僕だって、前者のタイプの人と交流して一杯飲むのも楽しいし。なんか人生ってサロンみたい。考え方が違う人と出会って、赤ワインを飲んで会話ができるってことが幸せなのかなあ」

この日もまさに“幸せ”を実践してきたムッシュである。

「僕はずっと自分のことをアマチュアだと思っているんです。アマチュアでいない限り、ショービジネスになってアカが溜まっちゃうんですよね。好きで音楽を始めて、自由奔放にそのまま来ました。アマチュアとプロフェッショナルを分けるのは、決められたことをやるかどうかだと思いますよ。僕は台本も覚えられないしね(笑)…まあその、“成れの果て”です。いつもシナリオ通りにできる人間に憧れてきたんだけど、なれなかった成れの果て。“なれなかった”のは、50~60年代には、クソでしたよ。でも、今の時代はそういうものもクソじゃなくなった。とてもうれしいんですよ」

取材の最初、ムッシュは「人生最後のアルバム。今後この1枚でずっといくんですよ」と笑った。そんなの嘘だ。だって「何日か前にZAZEN BOYSとコラボして」って嬉々として言うのだから。最後なんて完全な嘘なのだ。

「僕のなかの次のテーマを言ってしまいます(笑)。ZAZENみたいな人たちとコラボしたり、ルーツミュージックもやりたいんですよ。ブルースとか、カントリーミュージック。永井“ホトケ”隆さんのブルース・ザ・ブッチャーというバンドにたまに参加させていただいてるんですよ。盛り上げようともせず、コビを売ることもないスローブルースから始まってくのに、2時間後ぐらいには客が、もうスゴいことになって! 沼澤尚というドラムとか、KOTEZというハーモニカとか、中條 卓というベースがいて、これがすごい! 面白くてねえ、今勉強させてもらってますよ…」

――ね。

1939年、東京都生まれ。父はジャズ・ミュージシャンのティーブ釜萢、叔父にトランペッターの森山 久(森山良子の父)という環境で育ち、10代半ばから米軍キャンプで音楽活動を開始。19歳のとき、カントリー&ウエスタンのバンド“ワゴンマスター”に加入。21歳のとき、ソロ・デビューを果たす。このころすでに何本かの映画に出演。23歳のときハワイ~アメリカ本土へ音楽留学。64年、スパイダースの正式メンバーに。「フリフリ」「バン バン バン」などのヒット曲を作る。70年には一人で多重録音したソロアルバム『ムッシュー かまやつひろしの世界』をリリース。71年のスパイダース解散後はソロ・アーティストとして活動しつつ、“One Night Stand Brothers”や“ウォッカコリンズ”“ソン・フィルトル”などのバンド活動も展開している。

■編集後記

23歳のとき、ムッシュはハワイでステージをこなし、LAを経由してNYへ。そもそもは仕事だったのに、半年ほど気ままに暮らしたという。そこで時代の新しい息吹と出会うのだ。グリニッジヴィレッジで生活し、ジャズ三昧の毎日だったが、ボブ・ディランがちょうど台頭。フォークソングのムーブメントが起き始めていた。帰国後、輸入雑貨店の片隅で発見したビートルズのアルバムを聴き、NYで得た時代感と合致するものを感じたムッシュ…スパイダースに参加するのが25歳である。

武田篤典(steam)=文
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堀 清英=写真
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