「やっぱりなんにも考えてない」

上島竜兵

2009.04.23 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
SEXWAXの香り、夏の恋。弾ける波、思い出作り

08年、夏の1カ月。志田下海岸にサーファー向けの部屋を借り、上島竜兵・当時47歳はサーファーを目指した。

「マッコイ(斉藤:このドキュメンタリーの監督)さんが、“普通だったら50の区切りになんかやるんでしょうけど、上島さん、50になると守りに入るんじゃないか”って。俺にもそんな思いはあったんです。70でも80でも無茶したいんですけど、そんなじいさんが熱湯風呂に突き落とされたりアツアツのおでんを顔につけられたりしたら、観てる方もきっと引くでしょ。個人的にも、いまはジェットコースターにすら乗れなくなってる自分がいるわけで。だから50になる前に“これは!”ということをやっておこうと」

それがサーフィン。

聖地と呼ばれる志田下海岸で、上島竜兵は、ローカルのサーファーたちと交流し、恋に落ち、飽くなき好奇心でサーフィンに取り組んでゆく。

「マッコイさんが耳元でボソボソつぶやくんですよ。“竜兵さん、なんに使うのかわかんないんですけど、こういうのあるんですよ”って、SEXWAX出してくるんですよね。俺だって根っからバカなわけじゃないから、そりゃボードに塗るぐらいはわかりますよ。でも“あ、これでちょっと遊んでみようか”って思ってやり始めるわけですよね」

そして有吉の股間がヒリヒリ…。それはさておき、奔放に振る舞い、海にいれこんでいく上島は、消滅していく海岸を守るための会議にまで出席する。

「悪かったなあ、アレも。ビクビクしたもんなあ。『会議出ましょう』って言うからオーケーしたら、『でも上島さん、会議は決して面白くないですよ。2時間ぐらいありますよ』と。真面目に聞いていようがいろんなことし始めようが俺の自由なんですけどね…」

もちろん、後者である。そして、

「撮影するマッコイさんが肩を震わせてるから、“ああ、こっちなんだな”と…。アレはホントみなさんに悪いコトしたけど、会議はホントに面白くなかった(笑)」

海面から撮られたサーフシーンは、弾ける波の音もリアル。浜からの視点は、波を軽やかにすべる彼らの姿を映し出し、夏のワクワク感と、それが過ぎ去ってゆく寂しさを見せてくれる。

「俺、泳げないんですよ。救命胴衣つけて水面に顔を出してても溺れますもん。パニック症候群で過呼吸」という上島の夏は、あり得ない結末を迎える。

「面白かったですか? 最後、最高でしょう? 俺、大好きなんですよ」

上島竜兵、心底うれしそうに笑う。この作品でグダグダさや弱さやかっこ悪さばかりをむき出しにされてるのに。

「結果的に笑いにつながれば、どういう笑いでもいいんですよ。あ、人をさげすんだ笑いはイヤですけどね。笑われようと、笑わせようと、そこに笑いさえあれば、変わりはないと思ってます」

非常にカッコいいお笑い原理主義だ。が、85年、ダチョウ倶楽部になったときは「“お笑いで売れて、好きな芝居をやろう”って思ってたんですよ」。

前に出て行き、パチン!役割を得て、芸風を貫く

“ダチョウ”誕生までを駆け足で…兵庫県の高校を卒業後、上京した上島竜兵は、青年座養成所に入る。が、家庭の事情で一度帰郷。改めて上京したとき、ある劇団で出会ったのが寺門ジモンだった。お笑いの道に誘われ、“ダイナイトボーン”を結成、アクティブなジモンに引っぱられて渡辺正行に会い、その紹介で南部虎弾(現・電撃ネットワーク)が主宰していたパフォーマンス集団“キムチ倶楽部”に参加。そこにリーダーの肥後克広がいた。大人数だったのが徐々に減り、残ったのが南部含めて4人。初期ダチョウ倶楽部だ。

「リーダーはお笑い志望で、子どものころから研究とかしてたし、俺たちはスマートなコントをやりたかったんですよ。でも、最初のダチョウはよくも悪くも南部さんでしたね。あのめちゃくちゃぶりでそこそこTVにも出してもらえましたから。だって夜中の3時に『竜ちゃん、ビー玉飲めるか?』って電話してくるような人だもん(笑)」

2年後に南部が脱退したとき、残った3人は「ようやく本来のコントができる」と喜んだという。ところが仕事が激減。月イチのライブと、いまも続く『ものまね紅白』などの特番が月に1~2本あっただけだった。

「30歳の誕生日、丸ノ内線に乗ってるときに0時が来て当日になって。途方に暮れたことを覚えてます。当時の俺は、30ともなれば、結婚して子どももいてある程度売れてて…っていうイメージだったから。同い年のサラリーマンより絶対収入も低かったし」

“お笑いで売れたら俳優”。“売れるためのお笑いはスマートに”このテーマは叶えられそうになかった。ネタでは評価されてもフリートークでは目立たない。3人は“ものまね紅白”の打ち上げで笑福亭笑瓶さんに相談した。

「そしたら“パターンを決めたほうがいい。ボケは竜ちゃんやな”って。俺それまでツッコミだったんです。で、MCやらメインの人にいやがられようが何しようが、とりあえず前に出ると。それをリーダーが処理する。たとえば、ちょっと間が空いたら前に出て“すいませんちょっと5万ほど貸してもらえませんか”。で、リーダーがパチン! 当時よくリーダーと飲みながら言ってましたね“とにかくあきらめないで俺を叩いてくれ”と。わけわかんないことを言って、それが面白くなくてもリーダーが叩いたら大丈夫って」

上島が前に出て、リーダーがツッコミ、寺門がにぎやかす。このスタイルは、『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で開花する。あるクイズのとき、“とりあえず井手らっきょを裸にして終わらせよう”という制作サイドのアイデアを、偶然耳にする。そして井手に先んじて海パンを脱いだ上島のア●ルにマイクがスムース・イン!

「現場でたけしさんが喜んでくれて。それがすごくうれしかった。いまでも、これはダメなのかもしれないけど、現場でウケるのが、何よりの充実感。たけしさんに“よっ、名人!”なんて言われたときには猛烈にうれしい。志村(けん)さんと舞台やったあとに飲んだら、“竜ちゃんよかったよ”と。あんまりほめない志村さんが“これ、業界のヤツらが観たら仕事増えるぜ”なんて言われるとすごくうれしい」

で、「昨日も…」と『めちゃイケ』の話。これぞまさに上島竜兵の芸風、とでもいうべき存在感を示して、大いにウケたのだという。

「…そういうときの達成感って(笑)、ものすごいね(笑)。“こんなことでおれウケてるんだ!”って(笑)」

上島竜兵は『お笑いウルトラクイズ』において、笑いを生み出すことの快感と、自分の役割に完全に目覚めたのだ。「テリー(伊藤)さんやダンカンさんたちがフリもゲームもきっちり設定してくれて、(たけし)軍団さんが、最後に俺が飛ばされて、真っ裸になるというオチに向かってチームプレーをしてくれて。みんなが俺を面白くなるようにしてくれたんです」

自分は面白いことを考えなくても、才能のあるものが考えてくれる。

「それもこれもリーダーとジモンがいたから。普通に相談しますもん。あいつらがいたおかげで、俺が面白くなるならそれでいい。自分で考えたフリをするつもりもないし。それに、“俺がやる”“俺がやる”“どうぞどうぞ”みたいな簡単なことでも、ちゃんとタイミングがあって、2人がいないとうまくできないんですよね。俺はセンスのあるヤツが好きなんです。ものを考えられる安田くん(デンジャラス)みたいなヤツとか有吉とか、土田(晃之)みたいに機転が利いて話の面白いヤツとかいろいろいますよね。アイツらとやると…こんなこと言うと、土田なんかは怒るけど、俺はホントに楽(笑)。やっぱりなんにも考えてないですね」

現在、48歳。野望を聞いた。

「大層なものはないですけどね。いくつになってもおでんや熱湯風呂をやったり、俺流の笑いは続けていきたい。ドラマとか映画もべつに興味がないわけではないですけど、いま現実にやってることで結構叶ってるというか。今度また舞台で志村さんとご一緒させていただくし、若い人たちとも楽しくやってるし。俺がMCで番組やろうとは思ってないし、話があれば、グダグダでもよければやるし。“絶対これがやりたい!”っていうのはね、ないですね」

そして、言う…思いついたように。たぶん思いついたのだろう。

「あ、報道をやりたいな!」

1961年兵庫県出身。ダチョウ倶楽部のボケ担当。リアクション芸人。25歳のとき、ダチョウ倶楽部を結成し、31歳ごろから『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』などでのリアクションを中心とした独自の芸風を開花させる。ビートたけし、志村けん、松本人志などにこよなく愛される一方、デンジャラス、土田晃之、有吉弘行、インスタントジョンソンなどの才能ある後輩たちを擁した「竜兵会」の代表としても君臨する。『志村屋です。』(フジテレビ)にレギュラー出演中。近年では映画『花よりもなほ』(06年)、ラサール石井演出の舞台『わらしべ夫婦双六旅』(08年)などに出演、高い評価を得る。初主演映画の『上島ジェーン』は5月9日、シアターN渋谷でレイトショー公開。

■編集後記

上京したのは81年、青年座養成所だから、いまのものまねの十八番でもある西田敏行の、一時は直接の後輩だったわけだ。1年通った後、実家でお母さんが倒れて帰郷。83年に改めて上京するも、なぜか同じ青年座には不合格。夢の遊民社や文学座などなど、メジャーな劇団に次々アタックしては玉砕していた。結局テアトル・エコー夜間部に合格、昼間部にいた寺門ジモンと知り合う。ジモンのアテンドで2人は、コント赤信号のリーダー・渡辺正行に会いに行く。このとき最初は、ストリップ劇場での修業を命じられたという。でも拒否!

武田篤典(steam)=文
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稲田 平=写真
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