「子供が夢中で粘土遊びをしている感じ」

伊武雅刀

2009.05.14 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA
イイ声ゆえに声の仕事に。そしてスネークマンショー

「映像で活躍する俳優」という目標は中学時代から持っていた。

1949年東京生まれの東京育ち、故あって名古屋の高校に転入したが、なかなかの不良だったらしい。だから、ドラマでの役柄は、ほぼ“素”。

2年出演して、上京。『劇団雲』の養成所に入るも1年でクビ。

「いろいろな養成所とか劇団に行ってみたんですが、そのときある演出家に『キミは声だけはイイネ』って言われて。“声だけかいな”と(笑)。それから仲間たちと小さな劇団を立ち上げて。人生のなかでいちばん金がなかった(笑)。でもいま考えたらいちばん楽しかった時期かもしれないね」

20歳から23歳ごろ、劇団での日々は、まさに大学のかわりだったと言う。

「恵比寿の陽の当たらない三畳間で最低限の生活だったけど、1日のうちに自分の心のなかで“なんかのお祭り”がありましてね。芝居の稽古とか、デートとか、新宿をブラブラしていて知り合いと偶然会って飲むとか…毎日そういう小さいお祭りがあってね。充実してた。睡眠薬飲んだり、一歩間違うと危ないこともやってたわけです」

楽しいのはいいけれど、芝居は仕事にはならなかった。その一方で、“イイ声”に需要が生まれていた。23歳のとき、あるCMナレーションのオーディションに合格。その流れで、渡辺貞夫のFMラジオ番組『マイ・ディア・ライフ』のナレーターに起用される。25歳のときにはアニメ『宇宙戦艦ヤマト』の敵キャラクター・デスラー総統役に。

「べつにデスラーをやってうれしかったということはないんです。まあ、役は良かったかもしれないですけど」

映画やドラマに出る俳優になるはずが、声だけがどんどん認知され、商売になっていくのであった。

が、声の商売のおかげで誕生したのが『スネークマンショー』である。

FM局で、当時人気DJだった小林克也と出会い、彼が音楽プロデューサーの桑原茂一と取り組んでいた、ある洋服屋さんの中で流す音楽番組へ参加。それが76年、ラジオ番組として始まり、YMOのアルバム『増殖』に参加、オリジナルアルバムやビデオもリリースし、シュールでハイブロウでベタでワイセツで反権力で社会批判に満ちた世界観を呈示した革命的コントユニットだ。

「これは商売ではなかったなあ。ラジオのとき月~金曜日の帯番組で月に20本撮らなきゃいけなくて。少しはお金をもらうんだけど(笑)…。テレビでもアニメーションでも、作品にはたくさんの人が携わってるから方向的に違うところには行けないし、スポンサーがいて何千万という制作費がかかっている以上、失敗もできない。『スネークマンショー』にはそういうものが一切なかった。子供が夢中で粘土遊びをしている感じで、自分たちが好きなように手のなかでラジオ番組を作っちゃって発信してただけ。他の番組の傾向とか、若者の嗜好とかまったく顧みず、俺たち3人の感性だけでやってたんです。遊びみたいなものなんですね。自分が面白いと思うものを誰にも邪魔されずに自分の個性で発表できる、というのはものすごくいい経験でした」

かつては芝居をやるうえでのコンプレックスで、後には仕事の幅を狭めることになっていた“イイ声”を、スネークマンショーでは逆手にとったのだ。そしてラブホテルの名を連呼し、避妊具が買えずに困る紳士をケレン味たっぷりに演じたりした。

「小さいもの作りの場で、番組には放送作家もいなくて。どうすればよりよくなるか、妥協せずにディープに潜り込んでいって。小林克也にも桑原茂一にも刺激を受けて。苦しみながら、ゼロから何かを生み出すという努力もひっくるめて気持ちいい時間でしたね」

スネークマンショーが2枚のアルバムを出すころ、伊武雅刀は32歳になっていた。サブカルの寵児であり、売れっ子CMナレーターだったが、「映画で活躍する俳優」にはなれていなかった。

俳優の仕事を手にするために。仕事を面白がるために

「どこかで、区切りをつけないといけないと思ってました」

ナレーションを突き詰めていっても、到達できるのは“声の大御所”の境地だとわかってしまった。

「その先に見えた自分の未来像が、自分が好きな、映像のなかで体を使って表現することを生業にする俳優とは違っていて。ものすごく悔いが残るじゃないですか。お金になっても、大御所になっても、自分の生き方にイライラすると思うんですよ。中年から『俳優です!』って始めるわけで、若くてフレッシュで未来を感じさせる青年じゃないから。監督やプロデューサーと飲んで人となりを見てもらったり、オーディションに行ったり、そういう努力を集中的にしないと何も広がらないでしょ。そんなときに、『すみません、今日はちょっとコマーシャルの仕事が入っちゃってるんで』なんて最低ですよ。それで声の仕事はプツッと辞めた」

そして82年、『ウィークエンド・シャッフル』で映画デビュー。

「スネークマンショーって、すごく大きかったんですよ。台本をいただいたときに、役の膨らませ方として、正統的にやるのもいいけど、スネークマンショー的にやるならこうだなっていう膨らませ方ができるから。そういうふうに考えることはほぼ無意味です。でもそこには、0.1ミリだけ意味がある。“作った役”ではないふわっとした感じが生まれたり、怖い刑事の役だとしても、そこからスッと外れる人間の二面性みたいなものがふと出てきたり」

役柄に、杓子定規ではない人間の薄皮みたいなものが1枚加わるのだ。

伊武雅刀が「映像で活躍する俳優」なのは、ご存じの通り。その後『汚れた英雄』『金曜日の妻たちへII』、NHK大河ドラマ『いのち』、スピルバーグ監督作『太陽の帝国』などなど、洋画・邦画・ドラマ問わず、まさしく。

我々が目にすることのできる最新の仕事は紀里谷和明監督の『GOEMON』。日本人がもっともインターナショナルだった安土桃山時代を背景に、真に自由だった男・石川五右衛門の活躍を描く。伊武雅刀が演じるのは徳川家康だ。従来の時代劇にはない“日本であって日本でない”世界を作り上げるため、背景の多くはCG。俳優は合成用のグリーンバックでの演技が多かった。

「イヤ、完成したものを観たら、すごかったですね。驚いた。アニメでしかできなくて『悔しい』と思っていたことが、できてるんだもの」

基本、仕事は嫌いだと言う。

「それはそうですよ。今日みたいな日は絶対に働きたくない、でしょ(笑)。普段は解放しておきたいんですよね。どこかに行ったりとか、何も考えないで一日中寝ていたり。勉強するというようなことはありません。仕事に入ると集中力が増すタイプだからね」

この作品でも、家康が能を舞うシーンがある。入れ込んだ。

「『に~ん~げ~ん~ごじゅうね~ん』っていうアレね、歌と舞と両方やらなきゃならなくて、能の先生のところにかなり通いました。頭から最後まで歌って踊るのを3回も4回もやって、結局編集されて。腹立ったなあ(笑)、でも実を言うと助かった。いくら一生懸命やっても、何十年とやってる気配はそう簡単に出るわけじゃないんでね」

紀里谷監督とは初顔合わせで、台本に惹かれてオファーを受けた。

「一本一本新鮮な対決というか、新鮮なコミュニケーションができるというところが楽しみだから、知らない監督さんとやるのはいいものですよ」

面白いことをやるのは大好きだけれど、仕事を面白がってできる境地にはなかなか到達できないという。だから、

「スネークマンショー、やりたいですねえ。今度は“50歳以下は見ちゃいけない”っていうやつ。世の中には圧倒的に老人が多いのに、テレビ作りが相変わらず若者をターゲットにしてる。『老人チャンネル』を作ったら絶対いけると思うんだけどな~。たとえばギリシャの田舎のほうに行くと老人ばっかりのバーがあるんです。そこでは“人生の定年”というのがあって、その歳になると一切働かなくなってそのバーに入ることができる。代々そうなんです。その歳になったらあそこに入れるんだ、って子どもたちも努力して」。

ジジイになる資格を得るのだ。

「そう。音楽でもテレビでもなんでも、“50から仲間に入れるもの”を作ったら、いい50になる努力をするでしょ。きっと嫌な50がいたらイジメられるんですよ。みんなわいわいやってるのに、ひとりで寂しく飲んだりしてね(笑)」などと言いつつ、今年も伊武雅刀は仕事に追われるのである(まさにこのインタビューのあとは花見だけど)。

1949年東京都生まれ。23歳のときFMラジオ番組『マイ・ディア・ライフ』のナレーターに、74年にはアニメ『宇宙戦艦ヤマト』のデスラー総統役で一部の人気を博す。76年、ラジオ大阪で『スネークマンショー』スタート。80年にはYMOのアルバム『増殖』に参加、スネークマンショー名義でも数々のアルバムをリリース。84年には映像作品スネークマンショー『楽しいテレビ』がヒット。09年にDVDとして発売される。83年にはシングル「子供達を責めないで」が大ヒット。88年の映画『太陽の帝国』以降、映画、ドラマに多数出演。今季ドラマ『臨場』(テレビ朝日系水曜21時~)に出演、7月からはNHK土曜ドラマ『リミット 刑事の現場から2』に出演。現在、映画『GOEMON』が公開中。また、5月30日『ルーキーズ劇場版』、秋には『ヴィヨンの妻~桜桃とタンポポ』が公開される。

■編集後記

ドラマのオーディションに合格したときは、本物の不良だった。現場で落語を披露したのが勝因だった…と自己分析している。「おじいちゃん子で落語が好きでした。浪曲も聴いてたし」。普通、映画俳優を目指す者は、ラジオ番組のためのコントなんてなかなか考えられないが、まさに三つ子の魂百まで。「いまでも仲間を集めて、野に解き放たれたような映画を撮ってみたいですね。『ロッキー・ホラー・ショー』とかメル・ブルックスとか『モンティ・パイソン』シリーズみたいなね」。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA

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