「出会いのままに、これまで来た」

北大路欣也

2009.10.15 THU

ロングインタビュー


武田篤典(steam)=文 text ATSUNORI TAKEDA 稲田 平=写真 photography PEY INADA 井口…
35年前と今、同じ思い。伝えるだけでいいんだよ

ニクソンを演じるのは、『フロスト/ニクソン』という作品である。民主党本部を盗聴したことが明るみに出た、いわゆるウォーターゲート事件で、アメリカの歴史上、唯一任期途中で辞任した大統領だ。

77年、イギリスのTV司会者、デビッド・フロストが彼に対して行ったインタビューをベースに作られた戯曲である。事件によるイメージを挽回して政界への復帰を目論む元大統領と、彼から正式な謝罪を引き出すことで、TV界でのランクを上げようと躍起になる司会者。まったく正義や良心のためだけはない、男たちと、彼らのブレーンによる頭脳戦。

「独身で若くて野心を持ってそれを実現しようとするフロスト。家族を持ち、責任ある立場で仕事をしてきたニクソン。それぞれに順風満帆ではなく、つまずいて鬱屈したものを抱えながら“もう一度復活するんだ”とあがく二人。アメリカ大統領とイギリスのジャーナリストという、自分たちから遠く離れたところにある話ではなくて、大人で、ある程度の経験を持った人なら、フロストかニクソン、どちらかにきっと共感できる部分を持っていると思う。それを観る人たちと共有したいなと思ってます」

77年当時のニクソンは64歳、北大路欣也は現在66歳。「年齢と役のあいだには微妙なふれあいがある」という。

「役は、ホントはその年齢を超えてからいただくものだと思っています。今回は順当な流れでしょうね。僕にとってこういう傾向の舞台は、31歳の時に、劇団四季で田中明夫さんとやらせてもらった『探偵スルース』以来」

イギリスの二人芝居の名作だ。上流階級の推理作家が、妻を寝取った若者を屋敷に呼びつけ、復讐のための策を巡らせ、二人は火花を散らせる。彼が演じたのは、当然若者の方だった。今回、相手役を演じるのは仲村トオルだ。

「それが今度は、僕の方がウンと年上の役なんだからね(笑)。昔、“スルース”をやったとき、僕がドキドキしてるのを見て、イギリスから来たデザイナーが言ったんだ。“何を心配してるんだ。これは、再演に再演を重ねたすばらしい脚本だ。キミは何も余計なことを考える必要はない。ただそれを伝えるだけでいいんだよ”って。今、『フロスト/ニクソン』を前にして、そのことを思い出してる」

人生を正すガツーンはいつも最良のタイミングで

「“独眼竜”のあとも、年齢の設定がないような時代劇の主人公をずっとやっていたし、大人の役がこないまま終わっちゃったら大変だなあと思っていました。年齢なりの役が来るようになったのはここ数年のことだよ」

大きなきっかけは、07年のドラマ『華麗なる一族』で、木村拓哉演じる主人公・万俵鉄平の強大にして冷徹な父・大介を演じたこと。

「木村拓哉さんという稀代のスターをいじめるお父さんですからね。くせがあって、いい面ばかりが出る人間じゃなかったから。今回の舞台に“人生に意味を与えるのは目的だ!”っていうセリフがあるんです。それを言うと自分でドキッとする(笑)。僕は、目的というものを持つよりも先に、13歳で、この世界に入ってしまったから。自分がやりたいことを積み重ねたのではなく、出会いのままにここまで来た気がしますね」

知る人にとってこんな蛇足はないけれど、“『華麗なる一族』~ソフトバンクのお父さん”的認識のヤング諸君には少しだけ解説が必要だろう。

北大路欣也は、いわゆる二世俳優のはしりである。父は東映時代劇映画の超スーパースター・市川右太衛門。彼が勝 小吉を演じた映画『父子鷹』で、息子の海舟役に抜擢されてデビューした。

幼少のころから紙芝居や舞台が大好きで、デビュー作のオファーを受けて盛り上がった。1週間悩んで、父に「やりたいです」と切り出すと…。

「ものすごい形相で僕をにらんだ。“ホントにやるのか! 大変だぞ! やるのか!”って言われて“あ、やめた方がいいのかな。でもやるって言っちゃったしなあ”…もうワケ分かんなくなっちゃって。相当厳しいぞっていうことを言いたかったんでしょうね」

なんとなく憧れのままに入り、意識しないまま続けてきて、ときどきアタマをガツーンとやられたという。たとえば18歳で源 義経を演じていたとき、大先輩の東野英治郎にセットの角で。

「“甘い! オマエは甘い!”って。“ここの空気も甘い! ダメだ! 外へ出て勉強しなきゃ!”って。ものすごくカツ入れられたの。目が父親と同じぐらい怖かったね。その後1~2年、間が空けて、これでいいのかって自問することになるんですよ」

早稲田大学第二文学部に入り、演劇学科の仲間たちと席を同じくした。

「僕のなかに、芝居が仕事だというプロフェッショナルな意識はなかった。学友たちの演劇や映画に対する情熱に触発されてね。ゼロからこんなにがんばってる人がいるのに、自分はレールまで敷いてもらって何をやってるんだろうと。で、そのときに“オマエ、どうせ一生チャンバラやるんだろ? だったら今のうちにシェイクスピアやっとけよ”って『リア王』のエドガーという役をやらせてもらったんです」

それをたまたま、あるプロデューサーが観て、日生劇場の舞台『シラノ・ド・ベルジュラック』に抜擢。

「信じられなかった。いつも、いつも突然そういうふうに動いちゃう…だからいつも備えなんてなかった。厚かましいですよね(笑)。それでもやれてきたのは、声をかけてくださったみなさんの懐の大きさだったと思う」

撮影所で「おい、アルバイト~」と呼ばれていたのも同じころの話。

「大学の先輩で、辛らつにものを言うプロデューサーだったんだけど、励ましである一方で“オマエ、ホントに真剣に役者やっていくのか”って言われたような気がして。そうだ、アルバイトではダメだよなと思った」

そうしてずっと最高のタイミングで、うまい具合にガツーンとやられてきたという。出会いに従い、流れのままに、「今この役がきたということは、今これをやれということなのだろう」と、半ば運命論者のように考えながら。

「僕はたくさんのすごいパワーを持った先輩たちの人生や仕事の仕方を目の当たりにしてきた。ウチの父は58歳で“主役以外やらない”って決めちゃったんです。そこから92歳で亡くなるまでほとんど仕事してなかった。僕自身は、時代がまるで違っていたので。テレビも舞台も映画もやってきました。流れに沿うように…ただ、一番抵抗したのは、ここかもしれないね」

北大路欣也は、もう一度卓上の『R25』を指した。“独眼竜”の話だ。

「ここまでは主役をやることを意識していたよね。僕は父親の生き方を見ていて、それもいいと思っていた。でも選択の仕方は変わっていく。思えば、『独眼竜政宗』は大きな転換点だったね。あそこで僕は意識が変わった気がする。父親役だってありなんだって」

『独眼竜政宗』第8話、父・輝宗に政宗が挨拶に来るシーン。オンエアでは、父の部屋に上がる場面はほんの一瞬だ。だが撮影のセットでは、政宗はずっと遠くから歩いてきたという。

「忘れもしない、謙ちゃんの足音。遠くからドンドンドンドンドーンって近づいてきて、ガタンって僕の前に座るまでの勢い。いかに彼に気合が入っていたか。役として、俳優として、人間として。いや、すごかった。今、小さなおこちゃまだって僕のことを知ってるでしょ(笑)。それは僕の目的ではなかったし、いまだに目的がどこにあるのかは分からない。でも、あのとき拒否していれば、まったく人生が違ったんじゃないかな。いい出会いは、自分をイメージさえしていなかった方向に開拓してくれるんだ」

1943年京都市生まれ。13歳のとき、父・市川右太衛門主演の映画『父子鷹』でデビュー。舞台デビューは早稲田大学在学中の21歳、日生劇場の『シラノ・ド・ベルジュラック』で。『仁義なき戦い 広島死闘篇』(73年)、『八甲田山』(77年)、『漂流』(81年)や『独眼竜政宗』(87年)『ご存知!旗本退屈男』(88~94年)など、映画・TVを問わず出演作多数。『華麗なる一族』(07年)では万俵大介を演じて話題に。近年ではソフトバンクのCMでの犬のお父さん役やゲーム『龍が如く4』など、活躍の場をさらに広げている。『フロスト/ニクソン』は問銀河劇場チケットセンターTEL03-5769-0011 

■編集後記

今から30年以上前に、アメリカでシアトル・マリナーズのゲームを観ていたときのこと。「身分証明書を持っていなかったんだけど、スタジアムのおじさんが僕にビールを売ってくれないんだよ。“未成年はダメだ!”って(笑)。“オレは30歳以上だ”って言っても“ノーノー!”」。ちょうど映画『八甲田山』のころ。コーディネーターが間に入って、ビールは買えた。だが、それほどの童顔。正統派の二枚目。俳優として進むべき道に悩む時代でもあった。

武田篤典(steam)=文
text ATSUNORI TAKEDA
稲田 平=写真
photography PEY INADA
井口しょう子=スタイリング
styling SHOKO IGUCHI

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