イチローも転向しましたが…

王投手から伝説のバッターへ

2012.06.28 THU


2009年に東京ドームで行われたWBCの始球式で、マウンドに登った王 画像提供/Getty Images
巨人に在籍し、通算本塁打数868本を記録、世界の本塁打王として日本初の国民栄誉賞に輝いた現役時代。球団史上初のリーグ優勝、日本一に導いた福岡ダイエーホークス(現ソフトバンクホークス)の監督時代。さらには日本代表監督として、プロ野球の国別世界一を決める第1回WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で頂点にも立った、日本野球界が誇るスーパースター・王貞治。

数々の栄光に輝いた王だが、プロ野球選手としてのキャリアを歩み始めた当初は、実は挫折感あふれるものだったということを、ご存じだろうか。いや、野球のキャリア、という意味では、最初は順調だった。プロ時代の実績がすごすぎて見過ごされがちなのだが、王は高校野球の世界でも頂点を極めている。早稲田実業の2年時、関東勢としては初となる春のセンバツ優勝を経験しているのだ。

しかも、実はこのとき王はピッチャー。後の夏の甲子園でノーヒットノーランを達成するほどのサウスポーだった。当然、現在もそうであるように、優勝投手である王は甲子園のスター。高校卒業にあたっては多数のプロ球団から誘いがあった。当時はまだドラフト会議がない時代。王は自らの意志で巨人を選ぶ。それが挫折の始まりだった。

甲子園優勝投手だった王だが、当時の水原茂監督に入団後ほどなく打者転向を命じられたのだ。王は優勝投手であったが、一方では甲子園で2試合連続本塁打を放つなどスラッガーとしても知られており、打者として才能も評価されていたのである。ただ、複数の関係者が証言しているが、このときの王は高校時代の無理もたたったのか、プロの投手としては力のないボールしか投げられなかったという。プロ入り時における投手から打者の転向は、あのイチロー(マリナーズ)もそうであるように珍しいことではない。ただ、王の場合、イチローのように打者の方が大成できるというポジティブな理由というよりも、打者としても評価はされていたとはいえ、きっかけは投手としての力量が足りないというネガティブな経緯。しかも、当時の王は夢をふくらませてプロ入りした甲子園優勝投手である。その胸中ではプライドと屈辱が複雑に交差したであろう。後に本人も投手としては高校2年がピークだったと語っているが、その一方で打者転向はやはり寂しかったともらしている。後の世界の本塁打王は、そんな不安のなか、打者人生をスタートさせたのだ。
(長谷川一秀)

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