崖っぷちからロンドン五輪へ

悲運の柔道家・福見友子の軌跡

2012.07.05 THU


女王・谷を2度も破った実力者。得意技は背負い投げと小内刈りだが、冷静に戦って寝技にも持ち込める総合力の高さも彼女の魅力だ
画像提供/AFLO
「つらい経験も多かったし、遠回りもしたけど、それも自分らしいのかなと思います」

今年5月の全日本体重別選手権で優勝して柔道の女子48kg級ロンドン五輪代表になった福見友子。彼女の五輪までの道は、あまりにも長く険しかった。

高2だった02年の体重別選手権で、無敵の女王・田村亮子を破った。だが、期待される重圧に耐えきれず低迷した。それでもなんとか立ち直り、北京五輪前年の07年体重別では出産を経て2年ぶりに復帰した谷亮子を再び破って初優勝を果たした。だが同年9月の世界選手権代表には選ばれなかった。彼女の最終選考会の優勝より、04年アテネ五輪優勝の谷の実績の方が評価されたのだ。その世界選手権では谷が優勝。そこで谷の北京五輪代表が有力になり、福見の夢は途絶えた。

谷が第一線から退いた09年、福見はやっと世界選手権へ駒を進め、初の世界制覇を果たした。だが翌年からは世界選手権出場が各国2枠に。体重別女王として出場しながらも、2番手だった浅見八瑠奈に本番で敗れて2位に。さらに翌11年の世界選手権も浅見に敗れて、窮地に追い込まれ、五輪への夢も再び消えかけた。

それでも「あのまま終わるのも何か悔しいなと思って。だったら最後まで自分らしい柔道をいこうと。本当にそれだけでした」と振り返る福見は踏ん張った。1月のワールドマスターズでは浅見を下して優勝。2月のGSパリでも優勝して、浅見に追いすがった。そして「このまま終わるのも自分で変えるのも、色々なことがあったこの場しかない」という思いで臨んだ体重別で優勝。自分の柔道を貫き通そうという気迫が、悲願の五輪代表に導いたのだ。本番はもちろん圧倒的な優勝候補。

「精神的にもつらく、1年1年が必死だった。もっと強くなって、その思いを五輪にぶつけたい」

福見の目にはもう、金メダルしか見えていない。
(折山淑美)


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