スポーツと道具の進化の関係

「飛ぶボール」問題から考えさせられたこと

2005.04.27 WED

今季からいろいろな改革が行われているプロ野球。「低反発球」、いわゆる「飛ばないボール」の採用もそのひとつである。ただ、メーカー側には「ここ20年、特に品質を変えてないのに…」という戸惑いもあるようだ。たしかに本塁打の激増はバットの影響や、ドーム球場の空気の流れ、純粋な選手のパワーアップや打撃技術の向上(または本塁打志向の打撃スタイルへの変化)という原因だって考えられる。飛距離が伸びた責任を、ボールだけに押しつけられたような気がしなくもない。反発係数という「飛ぶ飛ばない」の基準が明確なぶん、原因・解決策としてもスケープゴートにしやすかったのか…。「飛ぶボール」問題が叫ばれ始めたころ、ボール職人の一人が「なんだか悪い物を作っているようでつらい」と漏らしていたのが思い出される。

スポーツと道具の関係は密接だ。コンマ1秒、1cm、1mmの差に執念を燃やす選手と技術者の努力は美談として捉えられる。そんなことを考えていたら、道具の問題がドーピング問題と似ていることに気がついた。「よい結果を求めて道具を改良することは、ルールの範疇内なら悪いことではない」。この文の「道具」を「肉体」に変えても意味は通じる。

「ボールが飛びすぎる」と指摘されたメーカーは低反発球を開発した。その一方で、実は軟球、いわゆるゴムのボールを使っている軟式野球界では、来年度より「飛ぶボール」が公認球として採用される。ボールの性質上、軟式野球はあまりヒットが出ない。そこで点の取り合う試合を増やしたいという要望が出たという。メーカーとすれば客の要望に応えるのは自然のこと、か。

道具にしろドーピングにしろ定義・ルールを決めるのは人間である。それを守るか破るか決めるのもまた選手たる人間。なんだか、いつの間にか「フェアプレー」というスポーツに求められる理想の話に行き着いてしまった。飛ぶボール問題、あなたはどう思いますか?

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