イチロー、落合博満も「天才」と称した

祝! 2000本安打達成前田智徳の素顔とは?

2007.10.04 THU



写真提供/時事通信
1990年に広島東洋カープに入団し、2年目の91年にはレギュラーを獲得。そして、92年から94年まで3年連続の打率3割以上…早くから将来を嘱望され、野球関係者の誰もが「天才」と称した前田智徳選手が、プロ18年目の07年9月1日、ついに悲願の2000本安打を達成した。

シーズン打率3割以上が通算11度(歴代5位タイ)という、日本を代表するアベレージヒッターでありながら、彼の2000本安打までの道のりは険しいものだった。絶好調で迎えた95年の試合中に右足アキレス腱を断裂。以降、足に爆弾を抱えたままプレーすることを余儀なくされたのだ。

「結局、右足をかばっとるうちに左足のアキレス腱も痛めてしまったからな。満身創痍の体でようやっとったよ。僕が監督をした99年も前田はよう打ったけど、実際のところは本人も『(ケガの痛みと再発の恐怖から)裸足でガラスの上を走っているような思いでプレーしている』と周囲に漏らしてたよね」(元広島監督・達川光男氏)

ケガの翌年にすぐさま戦線復帰し、当たり前のように3割以上の成績を残した前田を、メディアは「天才復活」と絶賛した。しかし、その裏には並々ならぬケガへの苦悶が隠されていたのだ。

「天才ちゅうても彼はね、努力の天才ですよ。アキレス腱を切る前も後も、練習量はチーム一。キャンプのバッティング練習でも、ようピッチャーにフォークを投げさせとった。普通の人は、この時期は監督にアピールしたくて打ちやすい球しか要求せんのよ。でも、彼は常に試合のことを想定して、自分をギリギリまで追い込んどったよね。こりゃあ大変なことですよ」

決して才能だけでつかんだわけではなかった2000本安打。前田は偉業達成の後、「ケガをして、チームに迷惑をかけて…それでも応援してくれてありがとう」とファンの前で涙したが、この言葉にこそ、彼の苦労と野球に懸けた思いが凝縮されているのかもしれない。


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