東日本大震災、被災地のR25世代/2回

「次の世代につなげていくのが、僕の使命」 仙台・佐藤裕

2011.08.23 TUE


生後2カ月の愛娘・結衣ちゃんを抱く佐藤さん。「震災後の激動の中でも前を向いていられたのは、この子がいてくれたおかげ」と目を細める
仙台でWebデザイナーとして活動するかたわら、大学で講義を行ってきた佐藤裕さん(33)。さらに、地元で活動するWebクリエイターのための勉強会「dachas」やセミナーイベント「CSS Nite in SENDAI」などにも積極的に取り組んできた。いくつもの命が奪われたあの大震災後、佐藤さんは激動の数カ月を過ごす——。失った命と生まれた命、その間にいる自分ができること。

「地震直後は、すぐ車で身重の妻が勤務する病院へ向かいました。当日は、ワイパーが追いつかないほどの吹雪で大渋滞したんです。なんとか無事にたどり着いて、その日はそのまま妻と車で一晩明かしました。翌日からはライフラインの断たれたマンションに戻り、余震に怯えながら過ごす毎日です。もちろん、お腹の中の赤ちゃんのことが気がかりでしたよ。でも、妻が平静だったので安心しました。何かあったらすぐに逃げようと、ずっと身構えていましたね」

張り詰めた緊張感の中でもう一つの不安があった。それは、がんで仙台の病院に入院中だった父のこと。さらに、父方の祖母が壊滅的な被害を受けた大船渡市三陸町の施設に入居していたことだった

「テレビで流れてくる震災の映像を見ながら、父は祖母のことをずっと心配していました。祖母は今年でちょうど100歳を迎えていたので、『早く退院してお祝いをしなきゃ』なんて言っていたのですが…」

数日後、祖母が入居していた施設が津波で流されたという知らせが届いた。しかし、父には伝えなかった。佐藤さんは祖母の葬儀へ参列し、そこで三陸町の被害を目の当たりにする。葬式が行われている寺から下はすべて流されてしまっていた。父がかつて暮らした町は跡形もなくなっていた。

祖母の葬儀を終えて仙台に戻ったころ、父の容体が悪化。それから2週間後の5月14日に息を引き取った。享年63歳。

「結局、父には祖母の死を伝えませんでした。私の弟は、いまでも『話した方がよかったんじゃないか』と言っています。どちらが正しかったのか、私にはわかりません。ただ、生まれてくる孫の顔は見せたかった。それだけが心残りです。会わせてあげたかったなぁ…」

予定日を1週間以上過ぎた6月8日、愛娘・結衣ちゃんが生まれる。震災をお腹の中で経験し、魂のバトンを受け取った、3900gの大きな女の子だ。

「震災後はあまりにめまぐるしすぎて、感傷に浸る暇なんてないんですよ。次々と新しい出来事が起きていく。そんななかで、何度も地震があるし、津波もまた来るかもしれない。とても仕事をしていられるような状況ではありませんでした」

その仕事も、震災の影響で一時的に大きく落ち込んだ。

「取引先も被災しているわけですから、それはしょうがないことです。自然の脅威を目の当たりにして、Webデザイナーなんて電気がないと何もできない仕事だということを痛感しました。世の中の先端を走っている。そんなおごりがどこかにあったのかもしれません。最新技術を追ったからって何になる。Webはツールのひとつにしかすぎなくて、それを使ってもっとリアルな世界で人と人とをつなげていくべきではないか。人が集まって、面と向かって感じ合う場を作ることの大切さを再認識しました」

祖母が死んだ。父も死んだ。でも、娘が生まれてくれたから、前を向いて進める。日に日に成長していく彼女の姿を見ていると、自分だけ止まっているわけにはいかない。大学での講義にも以前とは違う感覚で臨み、同業者向けの勉強会も再開に向けて動き始めた。

「もともと、仙台のWebクリエイター仲間で開催していたイベントは、技術の向上や底上げを目的としていました。それはいまも変わらないのですが、さらにその先、技術を使ってどう商売にしていくのか。そのサポート役を担っていければと思っています。仕事のことも家族のことも、上の世代から受け継いだことを次の世代につなげていくのが僕の使命なんじゃないかな、と。そのために具体的にできることは何か。これからも考えていきたいです」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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