東日本大震災、被災地のR25世代/第3回

「お金や物資だけが被災者支援ではない」塩竈・高田彩

2011.08.30 TUE


何日もかけてヘドロをかき出し、文字通り真っ白な状態から再出発する「ビルドスペース」。高田さんの表情にも、ようやく笑顔が戻ってきた
高田彩さん(31)は宮城県塩竈市で生まれ育った。カナダ留学を経て地元に戻り、オルタナティブスペース「ビルドスペース」を立ち上げたのは2006年の話だ。以後、ここを拠点に様々なイベントやワークショップを通して多くのアーティストを招き、町に“アート”を根付かせてきた。その活動が浸透し始めた矢先の被災。津波でギャラリーが浸水し、所蔵していた作品の一部は大きな被害を受けた。絶望からの再出発。復興を願う彼女が見いだした希望とは…。

「震災直後、自分が築いてきたものがどんどん崩れ落ちていくのを目の当たりにして、なんてちっぽけなものだろう…と思いました。ヘドロまみれの作品がゴミのように見えたのは、本当に悲しかったですね。これからのことを考えようと思っても、『地震や津波が来たときに役立つ物をつくろう』『この震災の経験を教訓にしないと意味がない』みたいな発想しか頭に浮かびませんでした」

だが、高田さんの心境は少しずつ変化する。仲間のアーティストたちからワークショップや支援活動を持ちかけられ、被災した子どもたちへの文房具配布や避難所でのミニシアター上映などを行った。そうしているうちに自分を取り戻し、何ができるかを冷静に考えられるようになっていく。そこで実感したのは、同じ活動をしている者たち同士のつながりの強さだ。

「例えば、漁師さんに私が『大丈夫ですか、何かしますよ』と言っても、『お前にはわからない』と言われるだけでしょう。その人のプライドや作り上げてきた価値観を、畑違いの人間が共有することはできません。でも、漁師は漁師同士、本屋は本屋同士なら、『まずはあれが必要だよね』『これがあれば大丈夫』といったことを理解できるし、励まし合いながら助言できる。そういった行為を、スタッフや交流のあったアーティストたちがやってくれたときに、沈みきっていた気持ちがすごく救われました」

周囲を見渡すと、誰もが生活の再建で手一杯になっている。しかし、仲間のアーティストたちは、そうではない視点で町や人を見ていることに気づいた。

「彼らは、忍耐強く相手の発想を引き出したり、冷静にその時々の状況を把握したり、様々な意見を出してくれました。もともと私は、アーティストの様々な可能性を引き出すことに重点を置いて活動してきたので、改めて仲間の力を信じることができた気がします」

しかし、高田さんは「これがアートの力だ」と声高に言うつもりはない。

「被災地でアートを~なんて言われても、理解できない人もいるでしょう。私自身も、『そんなことより早く電気がほしい』という経験もしたので、その気持ちは忘れたくありません。でも、お金や物資の援助だけが被災者への支援ではないんです。これからの復興に向かうプロセスで、必ずアーティストという発想豊かな人たちが社会の役に立てる場面がある。そのときこそ、彼らの存在意義を見せていきたい」

相次ぐ余震によって、塩竈は今も不安定な状況にある。被災による経済的・精神的なダメージを考えると、「海外への移住を考えた方がいいのかもしれない」と思うこともあったそうだ。しかし、塩竈への思いが、彼女をこの地につなぎ止めている。

「この町がすっかり好きになってしまったので、ここから逃げられないというか、裏切れないというか。でも、それだけじゃないんです。地元の人々に話を聞くと、もう皆さん前を向いている。『さびれていた町が、これを機にきれいになれるかもしれない』なんて思いを持っている人もいる。だから、これからが本当に楽しみなんです。この町で、都会とはまったく違う素敵な暮らしができるんじゃないか。いとおしさと希望を持ちながら、みんなでこの現実と向き合っていこうと思います」

(菊地正宏/仙台経済新聞)

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