乙武洋匡の「自問多答」

[対談]乙武洋匡×宇野常寛(3)

2014.02.21 FRI

乙武洋匡の「自問多答」


「オリンピックでは、あらためて“サブカルチャー大国”としての日本を世界に見せる、いい機会になるはず」(宇野) 撮影=後藤 渉

乙武洋匡「オリンピックは“成熟”の契機になりうる」



乙武: 日本の文化をアピールする絶好の機会として、僕たちは6年後に東京オリンピック・パラリンピックを控えています。たとえば、「開会式の演出は誰が手がけるのか」と早くも話題になっていますが、宇野さんはどのようなイメージを持っていますか?

宇野: 実はすでにチームを編成していて、自分なりのプランを都に提案しようと考えているんです。現時点で考えているポイントは大まかに2つ。1つは、チケットを持っていない人たちをいかに参加させるか、ということ。会場で観戦できる層だけを相手にするのではなく、IT技術などを駆使して、現場にいなくてもかかわれる仕組みを考え、オリンピックを双方向なものに改変したいです。会場にいなくても「空気」を共有できるものに。

乙武: なるほど。全員参加型のオリンピックになれば理想的ですね。

宇野: もう1つは、カルチャー面のアプローチを再考したいということ。海外の知人が、「自分たち外国人にとっての“東京”とは、上野と浅草と秋葉原と東京ビッグサイトだ」といっていて、たしかにその通りだなと気付かされたんです。つまり、彼らにとっては都の東側がすべてなわけです。要するに、良くも悪くもスキヤキ・フジヤマ的な日本とサブカルチャー・ジャパンですよね。

乙武: なるほど。現に外国人観光客が多く訪れるスポットは、東京の東側に集中していますね。

宇野: ところが、実際に東京で暮らしている人々は、むしろ東京の文化は新宿や渋谷などの西側にあると思っていますよね。オリンピックを活用して、そのギャップを解消したいんです。

乙武: 僕は、開会式の1つのアイデアとして、“なにもしない”という選択肢があってもいいように思っているんです。選手団が行進をして、開会宣言して、それでお終い。

宇野: おお、それは潔くて新しいですね。

乙武: 近代オリンピックは回を重ねるごとにどんどん肥大化していて、いまや大国でなければ開催できない規模になっています。でも、これから伸びていく国、豊かになっていく国にも等しくチャンスが与えられ、発展の契機になってほしいと思うんです。前回の東京五輪がそうであったように。

宇野: 面白いですね。オリンピックを機にアゲアゲの日本を取り戻そうという意見も理解できますが、いまさらブロードウェイの劣化コピーのような演出をしてもしょうがないですしね(笑)。

乙武: 前回が東京にとって「成長」の契機となる大会であったのなら、今回は「成熟」の契機となるような大会にしてほしいな、と。日本は世界に先駆けて超高齢化社会に突入するわけですから、これからはこういう社会を目指していくんだというコンセプトを提示する開会式であってほしいんです。まあ、「何もしない」というのは現実的ではないとしても、ごくシンプルな、五輪の原点に帰るような式典であってもいい。

宇野: もうひとつ、僕が密かに実現できればいいなと考えているのが、“裏オリンピック”なんです。オリンピック開催年は、大きな会場が軒並み押さえられてしまうため、夏のコミケが開催できなくなってしまいます。そこで閉会式を終えた8月中旬、オリンピックより規模の小さなパラリンピックの時期に合わせて、空いている会場でアニメやマンガ、ゲームなどサブカルチャーのイベントを一同に集めてやるんです。

乙武: なるほど、どれも海外にファンが多いジャンルですものね。

宇野: オリンピックに合わせて訪れた外国人観光客に、あらためてサブカル大国としての日本を見てもらういい機会になりますよ。それに、僕みたいなオリンピックという体育祭にどうしてもノれない人間が楽しめる文化祭があったらいいと思うんです。

乙武: オリンピックというと、どうしてもスポーツの祭典というイメージが強いですけど、本来は“平和の祭典”であるはず。スポーツと文化の二本柱で国際交流を図ることは、本来のコンセプトに立ち返ることにもなりそうですね。

(構成:友清 哲)


【今回の対談相手】
宇野常寛さん
1978年、青森県生まれ。評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)ほか多数

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