「07年体制」なんて言葉も登場

「55年体制」ってどんな体制だったの?

2007.10.11 THU

政治の世界では、大きく政治システムが変わったときに「○○年体制」と名付けることがよくある。たとえば参議院で与野党が逆転した現在は、新聞各紙によると「07年体制」。本格的な2大政党時代の到来という意味らしく、小泉さんが郵政選挙で圧勝し、与党が衆議院で3分の2以上の議席を占めたときは「05年体制」なんて呼んだりもした。

でも「○○年体制」といえば、むかしからもっとよく耳にした言葉があったはず。そう、こういう呼び方をするはじまりとなった「55年体制」がそれだ。では、55年体制というのはいったいなんだったのか。

話は米国とソ連の冷戦真っただ中だった1955年にさかのぼる。当時、日本社会党(現在の社民党)は日米安保条約などに対するスタンスの違いから右派と左派に分裂していたのだが、国会で憲法改正が議論されはじめたことに護憲派の社会党は危機感を強め、右派と左派が再統一。革新の社会党が日本でいちばん大きな政党となったのである。この状況をヤバイと思ったのが財界。そのころの日本の政界は保守政党が乱立し、激しい政権争いをしていたのだが、財界からの要請もあって当時の日本民主党と自由党が合流(保守合同)。つまりそれが現在の自民党で、こうしてはじまったのが自民党と社会党による保守vs革新の2大政党制、55年体制だった。そしてこの55年体制は、93年に非自民の細川連立政権が発足し、自民党が一時的に野党になるまでじつに40年近くも続いたのである。

とはいえ、2大政党といってもそれはごく初期だけの話で、実際はずっと自民党が最大勢力だった。それだけに、参院で野党が多数派という状況に新聞各紙が「本格的な2大政党時代の幕開け」と騒ぐのもわからないでもない。思い起こせば、福田首相のお父さんである故福田赳夫氏が首相だった76年暮れからの2年間というのはまさに55年体制真っ盛りころ。参院で与野党が逆転した「07年体制」で、福田さんはどんなかじ取りをみせるのか。


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