堀江貴文・藤田晋著『心を鍛える』より

堀江貴文と藤田晋の“どん底”秘話。苦境で得た「ブレない心」のつくり方とは

仕事
仕事で大きな壁にぶち当たることってありますよね。

そんなとき、「一流のビジネスパーソンならどのように乗り越えるのか?」を知ることで、なにか解決の糸口が見つかるかもしれません。

そこで、実業家・堀江貴文さんとサイバーエージェント社長・藤田晋さんの初の共著『心を鍛える』から、「苦境で考えていたこと」や「バッシングの受け止め方」などを一部抜粋してお届けします。

お二人はなぜ、苦境でもくじけることなく“強いハート”を持ち続けられたのか。時代を築いた名経営者の頭のなかを覗いてみませんか?

堀江貴文「落ち込むことにさえ飽きて、世界に目を向けたくなった」

2000年4月6日、東証マザーズに上場した日。

華やかに行われるのが通例のセレモニーも、兜倶楽部(取引所内の記者クラブ)での会見も、寒い感じで終わった。

それは、僕がTシャツとジーンズといういでたちだったからではない。

ネットバブルがすでに弾け、上場初日だというのに初値がつかず、公募価格を25%も下回る450万円の売り気配で引けたからだ。

「上場をすれば、莫大な創業者利益を手に入れられる」それが、世間一般の常識だろう。

僕だってそうなるはずだと予想していた。

しかし現実は厳しすぎた。

株価は下落しているので、僕自身の持ち株を売ることすらできない状況にあった。

当然、上場後、初の決算は赤字である。

下がり続ける株価は留まるところを知らず、その後はなんと2003年まで、公募価格を上回ることがなかった

時価総額は100億円を割り込み、もっと言えば、その半分をうかがいそうなほどだった。

赤字会社の社長となり、率先して経費削減に取り組み、役員報酬も上げられなくなるとは、まさに「想定外」だ。

上場直後は、家庭も大変だった。

1999年に結婚して、子どもも産まれ、妻の望み通りにマイホームを購入し、支出は増大。

ATMから現金を引き出そうとしたとき、残高不足のためにカードローンの通帳が自動的に戻ってきたときは、「落ちるところまで落ちたな」という感じだった。

でも、いつまでも落ち込み続けてもいられない。

生来、飽きっぽい僕は「落ち込むこと」にさえ飽きたのである。

そして、世界に目を向けたくなった

ある日、僕は決心した。

オン・ザ・エッヂを世界一大きい会社にする。それを目標に経営を続けよう

利益を生む構造をさらに作り上げることが、会社を成長させ、株価を上げるための唯一の方法と思えた。

僕も会社も、新しくてわかりやすい目標を必要としていたのだろう。

身のほど知らずと笑われようが、僕は本気で世界一を目指すと覚悟した。

そのためには国内でのインターネット事業だけにとらわれてはいけない

ネットバブルが弾けてからの消費者向けインターネットサービスは、どの会社も青息吐息の状態。

最大手のヤフーですら、本業の業績は不振であった。

また、僕らのように上場できた会社はまだマシで、ベンチャーキャピタルから投資を受けていた非上場のIT企業は、次々と手持ちの資金を使い切り、廃業や身売りを余儀なくされた。

オン・ザ・エッヂも、うかうかしていられない。

上場時に調達した資金は、まだ半分近くが未使用のまま残っていた

「活用しないなら株主に還元しろ」なんて声も上がってくるはずだ…。

世界一大きな会社へ向けての方針は2つ。

1つは、世界中のネットビジネスの覇権を奪うこと。

日本国内はネットバブル崩壊といっても、海外に目を向ければ、これから急激にインターネットが普及する国はたくさんある。

それらの国にオン・ザ・エッヂが日本でのノウハウを使って先回りすることができれば、きっと主導権を持ってビジネスを展開できるはずだ。

もう1つは、M&Aでさまざまな会社を傘下に収めること。

もともと多額の資本を必要としないIT企業は、M&Aをしないのなら上場している意味がないとも言える。

自社サービスの強化だけでは、市場から調達した資金の使い道がそれほどないのだ。

ITベンチャー冬の時代となり、有望なサービスを提供している会社を割安な値段で買えるタイミングだ。

海外にも目を向ければ、そういう会社は多数あるに違いない。

こんな極東の島国で、会社を1つ上場させたからといって何になる。

もっと面白い仕事に出会いたい。

世の中を変える仕事を成し遂げたい。

そのためにもっともっと会社を大きくしたい。

上場前後から、古参メンバーの離脱や株価低迷、赤字決算といった目先の問題に心を奪われていた僕だが、ようやく経営者としてのまともな意志を取り戻した

藤田晋「プライドはズタズタ、9kg激痩せ…苦境がブレない心を作った」

堀江さんは、さすがです。

苦境に立っているときに「自社を世界一大きい会社にしよう」とポジティブな発想ができることに敬服します。

私がどん底にいたときに心がけていたのは、「心を鍛えるチャンス」と捉えることくらいでした。

2000年12月。

初の定時株主総会は大荒れでした。

弊社の株価はそのとき、上場時の8分の1ほどにまで下落していました。

「藤田は、赤字の責任をどう考えているんだ」「株価はいつ回復するのか!」「そもそも上場時の株価は、なぜ1500万だったんだ!」

質問を受ける私は“蜂の巣状態”

しかし、私は矢面に立って、すべての質問に丁寧に真摯に答えました。

そのせいか、私に情けをかけて「頑張れよ」と声をかけてくれる株主もいました。

でも、だからといって株価が上がるわけではありません。

もう情けなくて情けなくて、私は死に物狂いで頑張りました。

年末になり、私と経営陣は中期計画を策定し、発表しました。

2004年9月期に売上高300億円、利益30億円を目指します

それは、「期待に応えるまでに、あと3年の歳月が欲しい」という意味でした。

そもそも上場直前の弊社の売上高は、わずか4億5000万円。

そんな会社が上場によって225億円も調達してしまったわけです。

だから「大きな結果を出すまでに、あと3年の猶予が欲しい」とお伝えしたかったのです。

しかし、そんな中期目標は多くの株主にスルーされてしまいました。

「ご託を並べている暇があるなら、一刻も早く黒字化してくれ!」

そんな殺伐とした雰囲気が漂っていたのです。

しかし、私は「2004年に大きく利益を出すまでは、そのための先行投資を続ける」というビジョンを明確に描いていました。

つまり「大きな発展のために、一時的な赤字がこれからも続きます」という意味です。

そもそも、上場時に225億円も調達できたのです。

冷静に計算すると、毎年10億円ずつ赤字を垂れ流し続けても、会社は20年つぶれない計算になります。

これから3年間、さらに先行投資をして赤字を続けるー。

財務的にはまったく問題ありませんが、批判を浴びながらも、その状態を続けなくてはなりません。

そのときの私ははっきりと、そうした覚悟をしていたつもりでした。

しかし、後で考えれば、情けなくなるほど中途半端な覚悟だったのかもしれません。

ようやく激動の2000年が終わろうとしていました。

2001年に入り、ついに株価の下落が止まりました。

しかし、「止まった」とはいえ、弊社の評価が上がったわけではありません。

会社は現金で180億円程度も保有しているのに、時価総額がその半分の90億円程度まで下がったのです。

つまり、「会社を丸ごと買収して、解散すればすぐに90億円儲かる」というレベルにまで株価が下がりきっていたのです。

今の株価は、『藤田君に経営を任せておくと、どんどん金を減らしていく』という意味なんだよ

ある投資家には、そんな指摘もいただきました。

私の経営者としてのプライドは、とっくにズタズタになっていました。

しかし、投資家訪問を必死に続け、説明して回りました。

事業は先行投資して赤字ですが、将来に高収益な事業を確立するためです。黒字化しようと思えばいつでも可能です

でも、藤田君のサイバーエージェントは評判が悪すぎるんだよ

こんな批判をいただくことも珍しくありませんでした。

今思えば、私も心を病む一歩手前まで行ったのかもしれません。

食事がのどを通らず、9kgも痩せていました。

そんなとき、思い至ったのが「お金」のことです

「もしかすると、私の個人的な資産が批判的な感情を招いているのかもしれない」

そんな仮説を立てた私は、当時もらっていた役員報酬を全額返上しました。

そして、自分の保有していた株式のうち、当時の時価で7億円強(現在の価値に換算すると約100億円)を、全社員に無償で配ることにしたのです。

目的はもちろん、社員の士気を向上させることです。

「今は厳しい状況だけれども、配られた株式の価値をもっと上げるために、私とともに頑張ってほしい」

そんな一心でした。

ところがどうでしょう。

株を受け取るや否や、サイバーエージェントを退職する人が続出したのです

まさかの展開に私は動転し、胸が締めつけられました。

「同志」と信じていた社員たちにまで見限られるとは…。

このときは本当につらかったです。

追い打ちをかけるように、ある日、こんなメールを受け取りました。

昨年、サイバーエージェントを退職した◎◎です。藤田社長から株をもらわずに退社したのですが、今からいただくことは可能でしょうか?

結局、どんな返事をすればいいのか、考える気力も湧かず、私はそのメールを静かに削除させてもらいました。

しかし、そうした大きなストレスにさらされ続けたおかげで、私の心は強くなり、多少のことでは動じなくなりました。

簡単には済まないトラブルが不意打ちのように飛び込んできても、慌てたり、焦ったりすることがなくなったのです

ポジティブに考えれば、ストレスは“敵”でなく“味方”なのかもしれません。

つまり、ストレスにさらされても、心を鍛える絶好のチャンスと捉えたほうがいいのかもしれません

実際、数え切れないほどの批判にさらされたことで、ハートが強くなったのでしょう。

今では「藤田はブレない」と言われることも多くなりました。

IT業界を牽引してきた“盟友”が初めて語り合う「これまで」と「これから」

心を鍛える

心を鍛える

藤田さんは書籍の冒頭で、「『自分は心が弱い』と思う人でも心配することはありません。『ハートの強さ』は、努力や意識の持ち方次第で、後天的にどんどん伸ばしていくことができるはずです」と言います。

10代〜40代の4章立てで、お二人の「生い立ち」「起業」「キャリア」「未来のこと」を語り尽くす『心を鍛える』は、“どの時期”に“どのような試練”があって、それを“どう乗り越えたのか”を知れる一冊。

行き詰まったときに読めば、“強い心”を持って再出発するための新しい視点や発想が、きっと浮かんでくるはずです。
〈撮影カメラマン=HARUKI〉