ビジネスパーソンインタビュー
「悠々自適に暮らしている」というウワサも…
「5億円稼いだら辞めると決めていた」カカクコムを創業し、28歳でリタイアした男の今
新R25編集部
『価格.com』や『食べログ』を運営し、13期連続増益、営業利益率は50%弱を誇る超優良企業『カカクコム』。
同社の創業者であり、『価格.com』の立ち上げ人でもある槙野光昭さんは、会社も自身も伸び盛りの28歳のときに会社を売却し、突如ビジネスの第一線から退く決断をします。
引退後はメディアに一切姿を現さず、ネットでは「悠々自適の生活を送っている」という噂も飛び交っていましたが、十数年の時を経て、槙野さんはまたビジネスの世界に戻ってきました。
その舞台は、なんと美容室。
あれから一体どんな生活を送り、なぜ起業家として復活し、美容室を始めようと思ったのか。“20代でアガった男”の人生を追体験できる貴重なインタビューをお届けします。
〈聞き手=渡辺将基(新R25編集長)〉
【槙野光昭(まきの・みつあき)】1973年7月29日東京都生まれ。大学卒業後、パソコン周辺機器メーカーで営業に携わる。退職後の1997年『価格.com』の前身となるサイトを開設。同サイトが成長を続ける中、2001年、28歳という若さで会社を売却。2014年に美容室『ALBUM』を創業し、業界に旋風を巻き起こしている
渡辺
槙野さん、会社を売却してからは一切メディアに露出してないですよね。
こうやってインタビューを受けるのは相当珍しくないですか?
槙野さん
そうですね。「槙野ははぐれメタルだ」と言われてました(笑)。
カカクコムを辞めたあとは、一切メディアに出たくないって言ってたんですよ。
百害あって一理なしだし、もう僕が目立ってもしょうがないと思ってたんで。
渡辺
なぜ今回は取材を受けてくれたんでしょうか?
槙野さん
今やってる美容室の事業がうまくいきはじめたので、これからは自分が積極的に出ていったほうがプラスになるなと思ったんですよね。
これは、僕が一発屋じゃなかったことを証明する戦いでもあります。“業界の有吉”を目指してますから(笑)。
渡辺
なるほど、ちょうどいいタイミングで打診できてよかったです!
店頭のメモリの価格を調べていた営業マン時代に、ビジネスの種を見つける
渡辺
今日は引退後の生活や現在手がけている事業のことをメインで聞きたいと思っているんですが、その前にカカクコム創業時の話をカンタンにおさらいさせてください。
創業前はメルコ(現バッファロー)という会社で働いていたんですよね?
槙野さん
はい。パソコンショップにメルコの製品を置いてもらう営業をしてました。主にメモリですね。
渡辺さん、当時のパソコン環境ってどんな感じだったか覚えてますか?
渡辺
20年以上前ですよね? ちょっとわからないですね…
槙野さん
『Windows95』が出たあとくらいの時期だったんですけど、当時はパソコンに搭載されているメモリが4〜8MBくらいしかなかったんですよ。
渡辺
GB(ギガ)じゃなくてMB(メガ)!? ちょっとイメージできないです。
槙野さん
だから、16MBで3〜4万円ぐらいする増設用のメモリがバカバカ売れてたんですよね。
メモリは規格品でどこの製品も同じだったんで、ショップに置いてもらうにはとにかく価格戦略が最重要。
当時僕は下っ端だったんで、いろんなショップにあるメモリの値段を調べる係をやってました。
渡辺
かなり地道な仕事ですね…
槙野さん
はい。同じ製品でもショップ毎に値段が違う上に、メモリにも種類がたくさんあって。たとえば、「富士通のパソコン用のメモリ」だけ見ても8MB、16MB、32MB…があったりする。
これらをいちいち調べるのがすごいめんどくさかったんで、同じようにリサーチをしてるライバル会社の営業マンに話しかけて、お互い調べた分を交換しようよと提案したりしてましたね(笑)。
渡辺
そんなことをしてる間に、こういった価格比較情報は消費者にもニーズがあるんじゃないかと気付くんですよね。
槙野さん
そうです。当時秋葉原に来ていた人たちに、僕が「一番安い店に連れて行ってあげるよ」と言ったら、すごい需要があったと思います。
これはチャンスだと思ったし、当時の上司も嫌いだったんで、結局1年で会社を辞めちゃいましたね。
『パソコンの価格がわかるページ』をオープン。ヤフーに取り上げられ、一躍人気サイトに
渡辺
そのあとに自分でWebサイトを立ち上げたんですか?
槙野さん
そうです。HTMLは書けなかったので、『FrontPage(フロントページ)』っていうマイクロソフトが出してるホームページ制作ソフトでつくりました。
はじめは『コアプライス』とかカッコつけた名前にしてたんですけど全然見られなかったので、途中から『パソコンの価格がわかるページ』みたいな名前にして(笑)。
渡辺
そのページにどうやって人が来るようになったんですか? 今なら個人でもSNSなどを活用して集客できますが…
槙野さん
ヤフーですね。
当時のヤフーって、いろんなホームページへのリンク集だったんですよ。そのパソコンカテゴリに紹介されるとすごいアクセスが来て。
渡辺
そうか…当時は「ディレクトリ検索(※)」全盛の時代ですね。
※『Yahoo!カテゴリ』は2017年に「役目を終えた」として終了しました。
槙野さん
あとはアスキーや日経BP、ソフトバンク、インプレスなどのパソコン雑誌に紹介されたりして、パソコンに詳しい人たちから口コミで広がっていきました。
渡辺
まだまだ雑誌の影響力も強かったんですね。
そこからどう事業化していったんですか?
槙野さん
当時はパソコンやプリンターの価格が安い店を勝手に10店舗くらい選んで掲載してたんですけど、たまに入れ替えをすると(掲載を落とした)ショップから電話が来るようになったんですよ。「なんでウチ外れたの?」って。
渡辺
それだけショップの売上に大きく影響を与えるような人気ページになってたと。
槙野さん
でもボランティアでやるつもりはなかったので、「じゃあ広告費いただければ載せますよ」みたいな交渉をして、目がチカチカするようなバナーを月5万円くらいで掲載しはじめました。
そんな感じでだんだん売上が立つようになって、5万円×20店舗=100万円/月くらいまでは自分だけで更新してましたね。思いっきり手作業でしたけど。
渡辺
でもそうなると、だんだん勝手に掲載してるショップと広告とのすみ分けが難しくなってきませんか?
槙野さん
なので、最終的には広告だけしか載せないという戦略にして、掲載していたすべてのショップから広告費を出してもらえるようになりました。
渡辺
なるほど。そうやって今の事業モデルの原型ができたんですね。
「5億円手に入ったら会社を辞めると決めていた」28歳で経営をバトンタッチ
渡辺
槙野さんは、もともと経営者になりたいという気持ちがあったんですか?
槙野さん
いや、そんなになかったですね。「いつかなりたいな」くらいの気持ちはあったかもしれないですけど。
経営者になりたいというより、束縛されない自由な時間が手に入ったら、働きたくないと思ってたんですよ。
僕、就職活動をしてるときから「5億円手に入ったらすぐに仕事を辞める」と宣言してましたから。
渡辺
当時の起業家のなかでは珍しいタイプだと思います(笑)。
ちなみに、なぜ5億円だったんでしょうか?
槙野さん
当時サラリーマンの生涯賃金が3億円くらいだと言われてたんで、普通の生活をするなら5億円あれば十分だと思ったからですね。
渡辺
結果的に槙野さんが辞めたのはカカクコムが上場する2年くらい前だったと思うんですが、上場させてからとか株を売ろうとは思わなかったんですか?
槙野さん
いやー、全然思わなかったですね。当時かなり疲れてたんで、早く辞めたかったんですよ。
それにさっき言ったように、もともと5億円稼ぐことが起業理由だったんで、それが見えた段階で穐田さんにバトンタッチしました(※)。
※槙野さんは2001年12月、カカクコムの出資元であったICPというベンチャーキャピタルの代表だった穐田誉輝さんに経営を引き継ぎます。
穐田さんはカカクコムを上場させた後にクックパッドの代表に就任し、両社を成長に導いた“プロ経営者”。2017年には女優の菊川怜さんと結婚したことでも話題となりました。
渡辺
なるほど。でも今となっては時価総額5000億円ですよ。
槙野さん
ちょっともったいなかったですね。今タイムマシンがあったら、間違いなくそのときに戻ります(笑)。
素直に後悔の念を明かす槙野さん
渡辺
ちなみにネットで調べたところによると、当時25億円で売却と書いてありましたが…
槙野さん
あー、はい。近いですね(笑)。
渡辺
槙野さんに関しては、ネットの情報もだいたい正しいということがわかりました(笑)。
理想通りの“悠々自適な生活”へ。資産運用で毎月500万円の不労所得
渡辺
そして、ここからが本題です。
28歳にして莫大な資産を手にしたあとは、どういう生活を…?
槙野さん
辞めてすぐに結婚したんですけど、そこからしばらくは嫁さんと一緒に旅行に行ったり、ダイビングしたりしてましたね。
土日は外に出たくないので家でレンタルビデオを見て、平日に旅行するみたいな生活でした。
渡辺
いわゆる“悠々自適な生活”ですね…
槙野さん
まさにそんな感じです。すごい自由だったし、ある意味思い描いてた通りの生活でした。
渡辺
死ぬまでに一度だけでいいから、そんな生活してみたいです。
ちなみにですけど、当時は資産運用したりしてましたか?
槙野さん
一応やってましたね。オススメされた金融商品を買うくらいでしたけど。
当時すごい流行ってた『グローバル・ソブリン(※)』っていう投資信託があったんですけど、証券会社の人からとりあえずそれを5億円分買っておきなよと言われたんですよ。
※『グローバル・ソブリン』は、三菱UFJ国際投信が運用する投資信託。日本に比べて高い利回りを得られる先進国の国債に分散投資し、毎月一定額の分配金が出ることから、投資ビギナー層にも手の出しやすい入門ファンドとして一世を風靡しました。
同商品は、長年にわたって投資信託の純資産高トップの座に君臨。しかし、リーマン・ショック後は勢いを失い、配当金も大幅に引き下げられていきました。
槙野さん
そしたら配当だけで毎月250万円くらい入ってきて、「これはすごいな」ということで追加でもう5億円分買ったんです。
何もしなくても毎月500万円の収入があるという(笑)。
「不労所得」ってこういうことを言うんですね
渡辺
「資産運用は元手が大きい人のほうが強い」と言われる理由が完全にわかりました…
槙野さん
僕の生活レベルなら毎月そんなに使わないですし、「お金減るどころか、増えんじゃん」と思って(笑)。
渡辺
たしかに月500万円ってそう簡単に使える金額じゃないと思いますが、槙野さんはあまり浪費することもなかったんですか?
槙野さん
ないですね。僕、会社売ったときにとりあえずベンツを買ってみたんですよ。
でも結局、もう1台持ってたエルグランドばっかり乗ってましたからね。ベンツはバックカメラがなくて不便だったし、駐車するときも「傷つけないかな…」とかいちいち気を遣ってめんどくさくて。
物欲もないし、グルメでもないですし。当時はお金の使い方を知らなかったです。
『龍馬伝』に影響され…「男のロマンって何なんだろう?」
渡辺
自由なうえにお金も減らない日々だったということですが、どれくらいそんな生活を続けてたんですか?
槙野さん
子どもができるまでの2〜3年ですかね。嫁さんが動けなくなると、ひとりで遊んでるわけにいかなくなるじゃないですか。
ずっと家にいるので、出産近くなると僕が料理したり、洗濯したりするようになったんです。けっこう器用なんで何でもできるんですよ(笑)。
渡辺
そこからは子育て生活に移行したわけですね。
槙野さん
はい。でも嫁さんには申し訳ないんですけど、だんだんその生活に物足りなさを感じるようになってしまったんですよね。
渡辺
いや、息が詰まるのは当然だと思います。社会との関わりも薄くなりますし。
槙野さん
で、ちょうどそのときにテレビで『龍馬伝』をやってたんですよ。
それを見てるうちに「男のロマンって何なんだろう」って考えることが増えてきて。
槙野さん
少なくとも、今の俺がやってることは違うなと。
家族と幸せに暮らしていて悪くないんだけど、何かが足りないというか、命燃やしてないなと。
渡辺
昔から「働きたくない」と思ってたのに、そんなアツいことを考えるようになるんですね。
槙野さん
そうなんですよね…。今の生活は何か違うな、と思っちゃったんですよ。
渡辺
それで一念発起して、すぐ仕事を始めたんですか?
槙野さん
いや、そのあとなんとなく海外に行きたいなと思って、37〜38歳くらいでシンガポールに移住しました。
そこから2〜3年経って子育てがひと段落したタイミングで、嫁さんに「仕事していい? 本格的にやるから」と宣言して、40歳くらいから今の事業を始めたんです。
渡辺
ちなみに、そのとき奥さんはどんな反応を?
槙野さん
特に反対とかはなかったんですが、半分くらいは日本に行ってるし、はじめはちょっと疑ってたかもしれません。
「ホントにこの人仕事してるのかな? 遊んでんじゃないの?」って(笑)。
渡辺
そんな(笑)。でも奥さんの前ではずっと働いてなかったんですもんね。
槙野さん
最近はちょっとずつ結果が出てきてメディアに取り上げられることも増えて、やっと(ちゃんと仕事してるって)信じてもらえてる気がしますね。
なぜ美容室をはじめたのか? 起業テーマは「床屋談義をお金にする」こと
渡辺
『価格.com』をつくった槙野さんが次に選んだ事業が「美容室」だというのは意外でした。
このビジネスにはどうやってたどり着いたんですか?
槙野さん
「また何かやりたいな」と思ってからいろんなビジネスモデルを探ってたんですけど、僕がそのなかで一番有望だなと思ったのが、美容室が持ってる顧客のマーケティングデータの活用だったんですよ。
渡辺
というと?
槙野さん
たとえば美容師って、カラーしたりすると2〜3時間接客しますよね? そうするとお客さんの趣味だとか、いろんなことがわかるじゃないですか。
新しい髪型に合った洋服をオススメしたり、車がほしいと言っているお客さんがいたら地域のディーラーにつなぐとか。
渡辺
たしかに。美容室が代理店的な機能を持つイメージですか?
槙野さん
そうです。いろんなマッチングをサポートできると思ったんですよね。
この「床屋談義をお金にする」というのが僕の起業テーマでした。
ただ、これを実現するためには、まず美容室を増やさないといけない。それで『ALBUM』というサロンをつくりました。
渡辺
拝見しました。「最新トレンドヘアーを毎月通える価格で提供する“ファストサロン”」というコンセプトがいいですよね。
美容室はどういう戦略で拡大させていったんですか?
槙野さん
美容室って、ひと昔前だと「駅前に店舗を構えて、ビラを配って集客するビジネスモデル」が主流だったんですよ。
ただ、いろいろと業界を研究したら、今は「ホットペーパービューティーを使ったネット集客」と「業務委託の美容師を活用するビジネスモデル」がトレンドだとわかったんです。
渡辺
ネット集客はわかりますが、美容師の業務委託モデルというのは?
槙野さん
もともとこの業界って、美容師の平均年収がすごい低いじゃないですか。サロンオーナーの搾取が横行していたりして。
渡辺
そのイメージはありますね…。社会保険の加入率もかなり低いと聞いたことがあります。
槙野さん
ただ、完全歩合給の業務委託モデルが流行することで給料がよくなって、働き盛りの若手スタイリストが一気に動いたんです。
加えて、(業務委託モデルには)サロン側もどんどん店舗を拡大していけるというメリットもあります。
渡辺
なるほど。それで『ALBUM』も業務委託モデルで展開しているんですね。
槙野さん
正確に言うと、『ALBUM』には社員の美容師もいます。
新卒を採用してアシスタントとして育てる従来型と業務委託のいいとこ取りをした、業界では新しいハイブリッド経営をしています。
「インスタで有名なヘアサロン」として台頭。メディアにもなれるチャンスがある
槙野さん
ただ、業務委託の美容師も過当競争になってくると、最後はサロンもカッコよさとかブランディングの勝負になるわけです。
そこで『ALBUM』が何でうまくいったかというと、インスタなんですよ。
※30万人以上のフォロワーを抱える『ALBUM』のインスタアカウント。個人で10万フォロワーを超える人気スタイリストも複数在籍している
渡辺
なるほど。しかもインスタで人気になれば、美容師の採用だけじゃなくて、お客さんの集客にも効果がありそうですね。
槙野さん
そうですね。10年前くらいなら美容室は女性誌に営業活動を一生懸命やってたと思うんですけど、『ALBUM』はインスタに強いということで、勝手に名前が挙がるようになりました。
渡辺
インスタはどういう体制で運用しているんでしょうか?
槙野さん
社員スタイリストはそれぞれの個人アカウントを、広報担当者は『ALBUM』の公式アカウントを運営しています。
毎日ユーザーの反応を彼らにフィードバックしてPDCAを回してたら、ともにすごいフォロワーが増えていったんですよね。
他のサロンってIT化がすごい遅れていて、近代的な経営がほとんどできてないんですよ。僕は異業種から来て、普通にやってただけなんですけど。
渡辺
今の時代、インスタに強いサロン=『ALBUM』となれば先行者利益は相当大きそうですね。
槙野さん
はい。そしてインスタを攻めたら、今度はヘア系動画にポテンシャルがあるって気付いたんです。
渡辺
動画ですか? たしかにSNSでもヘア系のショート動画は人気ですが…
槙野さん
ウチはその動画の一次生産元なんですよ。
だから、美容室がメディアをつくれる可能性があるわけです。
渡辺
なるほど! 美容室なら、動画の制作コストもかなり抑えられますね。
槙野さん
そうなんです。たとえば普通のメディアがヘアアレンジ動画をつくろうとすると、スタイリスト、モデル、場所のアレンジが必要になってくる。
ウチの場合はそれらが全部不要で、業務のついでに撮影ができますから。
@album_hairがシェア
スタイリスト直伝のヘアアレンジ動画。人気動画の再生回数は10万回を超える
事業を成功させて「40代で1000億円の資産を築きたい」
渡辺
美容室ってやり方次第で、思っている以上にポテンシャルがあるんですね。いろいろと勉強になりました。
ちなみに、今の事業でこの先は株式公開(上場)を目指しているんですか?
槙野さん
はい。5年以内には上場したいと思ってます。
ただこの業界って、上場してる会社でも時価総額50億円くらいしかないんですよ。夢がなさすぎますよね。
渡辺
え、そうなんですか。厳しい業界ですね…
槙野さん
最近だと業務委託モデルでトップを走っていたAguグループが100億円でファンドに買収されたっていうニュースもありましたが、今はもうフリーの美容師も奪い合いになっているので、このモデルも行き詰まりが見えてきています。
(Aguグループは)だからこそ売却したんじゃないかなと。
渡辺
『ALBUM』の場合はインスタを武器にサロンを拡大しつつ、中長期では顧客のマーケティングデータの活用やメディアで勝負したいということですよね。
槙野さん
そうです。ただの美容室じゃない事業をつくってバリュエーションをつけて、(企業価値の)桁を変えたいと思ってます。
渡辺
隠居したいと思っていたのに再起した槙野さんですが、これからは一生事業家として生きていくつもりなんでしょうか?
槙野さん
事業が拡大したらそのステージにふさわしい人を連れてきて、経営はいつかバトンタッチしたいと思ってますね。
渡辺
あれ、またですか。
槙野さん
僕、やっぱりトップは5年くらいで変わったほうがいいと思ってるんですよね。
ただ、今度は株売らないですけど(笑)。
渡辺
経営は引き継ぐけど株は売らない?
でも、もうこれ以上「資産を増やしたい」みたいな気持ちはないですよね?
槙野さん
いや、ありますね。
渡辺
え。
槙野さん
龍馬伝を見て、「国を良くする」ってロマンがあるなと思ったんですよね。
30代は何もしなかった僕ですけど、40代で1000億円の資産を築いて、50代になったらそのお金で日本に貢献するというのが今の目標です。
渡辺
日本に貢献…? 気になるので詳しく教えてください!
槙野さん
いや、恥ずかしいのでそれはまだ秘密です(笑)。
ロングインタビューの最後に気になる発言が飛び出しましたが…答え合わせは10年後(?)のお楽しみということで。
久しぶりのメディア出演だったにも関わらず、赤裸々にお話いただきありがとうございました!
〈取材・文=渡辺将基(@mw19830720)/撮影=いしかわゆき(@milkprincess17)〉
ビジネスパーソンインタビュー
またスゴいことを始めた前澤さんに「スケールの大きい人になる方法」を聞いたら、重たい宿題を出されてしまいました
新R25編集部
【不満も希望もないから燃えられない…】“悟っちゃってる”Z世代の悩みに共感する箕輪厚介さんが「幸せになる3つの方法」を伝授してくれた
新R25編集部
「実家のお店がなくなるのは悲しい… 家業を継ぐか迷ってます」実家のスーパーを全国区にした大山皓生さんに相談したら、感動的なアドバイスをいただきました
新R25編集部
「俯瞰するって、むしろ大人ではない」“エンタメ鑑賞タスク化してる問題”に佐渡島庸平が一石
新R25編集部
社内にたった一人で“違和感”を口にできるか?「BPaaS」推進するkubell桐谷豪が語るコミットの本質
新R25編集部
【仕事なくなる?そんなにすごい?】“AIがずっとしっくりこない”悩みへのけんすうさんの回答が超ハラオチ
新R25編集部