

「これまでは、とにかく失敗だらけでした」
芸歴25年をかけた準備。古坂大魔王が「ピコ太郎」をバズらせたのはただの運ではなかった
新R25編集部
幸運にも、大金を手にした人はどんな人生を送るんだろう?
「一攫千金」した人に話を聞いてみたい…!
幸運といえば今から3年前の2016年夏、1本の動画で世界的な有名人になった「ピコ太郎」。2019年1月現在、「PPAP」の動画再生数は約4億回を超えました(Ultra Musicと公式チャンネル合算)。
その生みの親である古坂大魔王さんは、人気芸人・くりぃむしちゅーなどとほぼ同期。まわりがどんどん売れていくなか、世間からは「消えた芸人」として扱われていました。
そんな彼が、たった1本の動画のバズでどんな変化を経験したのか? 今回は、その話をしっかりと聞いてきました!
〈聞き手:福田啄也(新R25編集部)〉
【古坂大魔王(こさかだいまおう)】青森県出身、1973年生まれ。1990年代に「底ぬけAIR-LINE」として『ボキャブラ天国』に出演。2003年にはお笑い活動を休止し、「ノーボトム」として音楽活動に専念している。2016年にはプロデュースする歌手「ピコ太郎」が世界的に大ヒットした
「ピコ太郎」の月収が、25年間の収入と同額だった

福田
「PPAP」がジャスティン・ビーバーに取り上げられたことで、世界中に「ピコ太郎」の名前が知られるようになりました。
日本でも、この話題から「PPAP」を知った、という人がほとんどだと思います。

古坂さん
そうですね。ジャスティン・ビーバーのシェアがあってからは、1日に100万回以上も再生されていて、まったく現実感がわきませんでした。

福田
一番気になるところが「お金」についてです。
実際このブレイクでどのくらい収入が増えたのかを教えていただけますか…?

古坂さん
正直、収入がいくら増えたかは正確に把握しきれないんですよ。
ただ、ボクがこれまで25年間やって稼いだ収入と、「ピコ太郎」の月収が同額だったことがあります。

福田
おお…! もちろん生活は大きく変化したんですよね?

古坂さん
うーん、あんまり変えないように意識はしたんですよ。
ただ、結婚と出産があったので、そこにちゃんとお金は使いました。あとは、スタジオの機材を整えたり部屋を少し広くしたりしたくらいです。
最も変化があったのはスケジュールですね。

福田
たしかに、日本のみならず海外からの取材も多かったと聞きました。

古坂さん
「PPAP」がヒットしたあとは、「ピコ太郎」と一緒にテレビやラジオを含めて1日10カ所以上をまわる日々になりました。1日にCMを3本撮って、その合間に取材を受ける。
また、台湾に行ったときには、新聞やWEB取材が1日で40社もあったんですよ。
ブームから2年半。「PPAP」は今も世界から求められている

福田
「ピコ太郎」の一大ムーブメントから2年半が経過しました。
日本では、すでに飽きられてしまっている印象も受けますが…

古坂さん
ボクからしたら、たった1分の動画がよくここまで長く続いたなって思いますね。
たしかに以前のような勢いはありませんが、最近は「PPAP」って新しい捉え方をされているんですよ。
たとえば、「PPAP」の歌詞を考察する論文が出ています。また、科学的に「PPAP」は子どもを寝かしつけやすい曲に認定されたんですよ。

福田
アカデミックな扱いを受けていますね…!

古坂さん
そうです。海外では「PPAP」は平和へのメッセージもあるという話がでています。
1周まわって、伝統芸能みたいなポジションになってきました(笑)。
『ボキャブラ天国』の仲間が売れていく…「音楽でヒットを飛ばせばイケるかも」?

福田
ここからは、「PPAP」のヒットにいたるまでの話を聞かせてください。
そもそも古坂さんは、「底ぬけAIR-LINE」として『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)に出演されていましたよね。
ただ、2000年代に入ってからは、テレビであまり見る機会がなかったような気もします。

古坂さん
そうですね。
『ボキャブラ天国』のブレイクが収束してきて、お笑いの流れが『爆笑オンエアバトル』(NHK)に移っていた時期、くりぃむしちゅーさんやネプチューンさんはどんどん売れていきました。
しかし、ボクらにはテレビの仕事があまり入ってこなかったんです。

福田
一緒に頑張っていた仲間がどんどん売れていくのを見ているのはかなり焦りますよね…

古坂さん
そうですね。
「これは何かしないといけないな」と思ったとき、ヒントになったのがバブルガム・ブラザーズさんでした。

福田
バブルガム・ブラザーズといえば、「WON'T BE LONG」が大ヒットした2人組ですよね。
それがどうしてヒントに?

古坂さん
バブルガム・ブラザーズさんってもともと漫才師だったんですよ。
漫才師としてはそこまで有名じゃなかったんですけど、「WON'T BE LONG」の大ヒットで一気に芸能界でも一目置かれる存在になりました。
だから、ボクらもそれに近いことをやろうと思ったんです。

福田
お笑い以外でヒットを生み出そうと。

古坂さん
そうです。もともと音楽が好きだったので、音楽業界でヒットを出したら、階段飛ばしで売れている芸人の仲間入りができるんじゃないか、と考えたんです。
それで2003年にお笑いを一時休止して、「ノーボトム!」というユニットを組んで音楽活動に専念しはじめました。

古坂さん
実は音楽活動を始めるとき、レコーディング機材を全部そろえて、自分たちの音楽をプロレベルまで持っていけるようにしたんですよ。
当時の音楽業界って、作詞、作曲、編曲、歌手、演奏など分業制が多く、自分でスタジオを用意して作詞、作曲、編成などをすべて1人でやっている人がほとんどいなかったんです。
だから、作曲からレコーディングまで1人で行い、かつそれをプロレベルに持っていければ、絶対に勝てると思ったんですよね。

福田
そういえば、2003年ころには、『¥マネーの虎』(日本テレビ)にも出演されていましたよね。
※『¥マネーの虎』とは、2001年~2004年に日本テレビで放送されたリアリティ番組。出演者が、投資家審査員らにプレゼンテーションを行い、可決したら事業に出資をもらえるというもの。
古坂さんは「
お笑い芸人は辞めて、自分の好きな音楽で海外デビューをし、世界を驚かせてやりたい!
」とプレゼンしましたが、出資には至りませんでした

古坂さん
はい。当時はまだ音楽活動を始めたばかりだったので、まったく認められませんでしたね。
「人より10歩先に行っているのは、2歩後ろにいる人と一緒だった」

古坂さん
ボク、「誰もやってないことをやれば売れる」と思ってたんですよ。
でも結果として、ブレイクにはいたりませんでした。

福田
周囲との差別化はかなり大事だと思うんですけど、何がいけなかったのでしょう?

古坂さん
差別化を図りすぎたんです。
当時は「人より10歩先に進んでいる」ことが大事だと思っていたのですが、10歩前に進んでいるって、一見先に進んでいるけど、人より2歩後ろにいるってことだと気づいたんです。

福田
どういうことですか? 10歩先が2歩後ろ…?

古坂さん
これはファッション業界でもありえる現象なんですが、先を進みすぎていると、まわりに理解されない。
それって商売にならないんですよ。
結局、歩みが遅い人と変わらないんです。

古坂さん
音楽活動はとにかく空振りの連続でした。
お祭り音楽とテクノ音楽を合わせたものを作ってみたけどダメ。あとは、コスプレ・テクノ・バンドを作ってみたけど、これもハマらなかった。
でも、そこから数年経って2010年前後になったら、ようやくまわりがこの魅力に気づきはじめたんですよ。
今考えると、本当に先を行きすぎたなあ…
何でも手をだしてみる。失敗だらけの状況から生み出した「ピコ太郎」

古坂さん
ちなみに、音楽活動だけでは行き詰まりを感じ、いろんなことに挑戦しています。
千葉県のアイドルをプロデュースしたり、ゲーム音楽を作ったりしたこともありますね。
周囲から「迷走している」と言われましたが、とにかく何でもやってみる姿勢は持っていてよかったかなと。
「ピコ太郎」もそのなかで生み出されたものです。

福田
おお…そこでようやく「ピコ太郎」を見つけたんですね!
それっていつごろなんですか?

古坂さん
2011年です。初めて「ピコ太郎」をライブに出したとき、登場しただけでめちゃくちゃウケたんですよ。
「ピコ太郎」ってかわいい名前で舞台に呼ばれて、出てきたのがヤクザみたいな見た目の男。そのギャップがよかったのでしょう。
これは自分のなかでやっと売れるはずだと確信できました。

福田
やっとつかんだ手応えだったんですね。

古坂さん
そうです。それに、「PPAP」の音楽はプロの方にも称賛されたんです。
ベタな見た目とシュールな笑い、そして本格的な音楽。ボクが好きだったものがすべてかみ合った実感がありました。

古坂さん
ちなみに、「底ぬけAIR-LINE」のときに「テクノ体操」というネタがあったんですけど、そこで作った曲が「PPAP」の原曲なんです。

福田
へええ! そんな昔からあったんですね。

古坂さん
そうです。でも「テクノ体操」を『爆笑オンエアバトル』で披露したことがあって、そのときはめちゃくちゃスベりました(笑)。
ただ、当時審査員だった立川談志師匠に「オレにはまったくよくわかんなかったけど、元気があっていいじゃねえか。イリュージョンだよ」って褒められたんですよね。
伝説の落語家・立川談志師匠とはそこから付き合いがあり、「音楽をやるんだったら、絶対に辞めるんじゃねえぞ」と言われていたんだとか…
「ピコ太郎」のヒットは、タイミングが完璧だった

福田
「ピコ太郎」が初めて世に出たのが2011年。そこから2016年の大ブレイクまでかなり時間が空いていますね。
これってどうしてなんですか?

古坂さん
実はずっと隠していたんですよ。
「PPAP」ってクイズなんです。見ている人が、「『PPAP』って何だろう?」って聞きはじめて、最後に「ペンパイナッポーアッポーペンってそのまんまかい!」ってなる。
だから、このオチがわかってしまったら面白くないじゃないですか。

福田
なるほど…だからずっとライブだけにとどめていたんですね。

古坂さん
そうです。
そしたらあるとき、知り合いのプロデューサーが「ウチの子どもが『PPAP』好きなんだけど、あのネタって音源とかないの? ないなら絶対にCDとか作ったほうがいいよ」って勧めてきたんですよ。
「それならメジャーデビューさせようかな」と思って、2016年の年明けにレコード会社やテレビ局の人に企画を持ちこみました。
でも、どこも採用してくれなかったんです。

福田
その人たち、めちゃくちゃ後悔したでしょうね。

古坂さん
そうかもしれませんね(笑)。
結局、自分で動画を作ることしたんですが、この編集にはかなり時間をかけましたね。
朝昼夜と時間帯を変えて見るのはもちろん、暗い部屋で見るとどんな印象を受けるかなど、何度も検証を繰り返してようやく2016年8月25日にアップしたんです。
ただ、今考えるとこのタイミングがよかったんだなと思います。

福田
どうしてですか?

古坂さん
日本でコンテンツへの興味が高まるのって、夏以降なんですよ。
その時期って文化祭やハロウィン、忘年会のネタ探しを始める時期なんです。

福田
言われてみればたしかに!

古坂さん
もしレコード会社に企画が採用されていたら、3月くらいにはメジャーデビューしていたと思います。
だから、それだときっと夏前には飽きられていたかもしれません。
ジャスティン・ビーバーにシェアされる前に、バズらせる仕掛けを用意していた

福田
これまで隠していた「ピコ太郎」の動画ですが、「PPAP」の動画にかける思いは強かったんじゃないですか?

古坂さん
そうですね。絶対にヒットさせるつもりでした。
実はジャスティン・ビーバーにシェアされる前に、こちら側からもバズらせるための仕掛けを用意していたんです。

福田
仕掛け?

古坂さん
ボクのこれまでの経験から、「ある短期間で、多くの情報を一気に流すとバズる」という持論があるんです。

古坂さん
過去に単独ライブを行ったとき、事前に自分のホームページで「単独ライブあるよ」って普通に告知したら、まったく反応がなかったんですよ。
これはどうしようか…と思ったとき、ずっとプロレスが好きだったので、煽ってみることにしました。

福田
具体的にどんなことをしたんですか?

古坂さん
次の単独ライブのときには、ブログで「あと○○日後に重大発表があります」「○時に発表します」「この情報が欲しい人はサイトに登録してください」「登録はあと1時間で終わります」って立てつづけに発信したんです。
「登録まであと10分」「あと9分」って細かく投稿していって、いざライブの告知をしたらめちゃくちゃ話題になったんですよ。

福田
なるほど! 期待値を上げさせることが大切だったんですね!

古坂さん
そうです。まさに火と一緒だなって。燃料撒いておいて、火をつけたら一気にバズる。これは絶対にどんなことにも生かせると思ってました。

古坂さん
だから「PPAP」は、エイベックスの後輩AAAにリツイートしてもらったり、これまでの仕事でお世話になった人に各方面から拡散してもらえるようにお願いしたりしました。
すると、一気に台湾などのアジア圏でヒットしたんです。
そしたら次はアメリカでも話題になった。バットマンの作者が、「バットマンがピコ太郎をビンタしている絵」を書いてくれたんですよ。
そんな流れがあって、とどめがジャスティン・ビーバーだったんです。

福田
なるほど…ただのラッキーだったとは言えませんね。

古坂さん
たしかに、ここまでの大ブレイクにつながったのは運かもしれません。
でも、新人のころの自分だったら、ここまで火が大きくならなかったと思います。
せいぜいキャンプファイヤーくらいかな。

福田
ピコ太郎の大ヒットまでのストーリーが想像以上に壮大で驚いています。
最後に、自身が苦労の末に成功をつかんだ経験から、20代のビジネスパーソンに伝えたいことはありますか?

古坂さん
「行き詰まったら何でもやってみること」ですかね。
これまで「ピコ太郎」を連れて、あらゆる場面で「PPAP」を披露してきました。
ときにはオーケストラと一緒にやることがあったのですが、ボクが一度ゲームミュージックのオーケストラアレンジをやったことがあって、その経験をピコ太郎に教えてあげたので、問題なく見せることができました。
また、テレビに出るときもどのように振るまうべきか理解していたので、臨機応変に対応できたんだと思います。
ボクは芸歴25年をかけて、この大ブレイクを生み出す準備ができていたんだなって今だったら思いますね。
このインタビューのきっかけは、「1本の動画で一攫千金を得た男」というテーマでした。
ですが、インタビューを通してわかったことは、これは決してひとつの運が導いた結果ではなかったということ。「人より10歩先に行く姿勢」を持ち、あらゆることに挑戦して失敗して、その先に待っていた結果が「ピコ太郎」だったのです。
まさに「ピコ太郎は一日にしてならず」。25年の経験の先に、大ブレイクがあったんですね。
〈取材・文=福田啄也(@fkd1111)/撮影=森カズシゲ〉
古坂大魔王さんからのお知らせ
本日から販売開始する『ピコ太郎のつくりかた』。今回のインタビュー内容以外に、「ピコ太郎」の音楽性やブームになった要因などがくわしく書かれております。興味を持った方はぜひご一読を!

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