ビジネスパーソンインタビュー
69歳になってもライブをする父の背中を見て
「どんなときでも低姿勢でいなさい」矢沢洋子が今でも覚えている、父・矢沢永吉からの教え
新R25編集部
R25世代にとって、身近すぎて深く考えるきっかけがなかったり、つい面倒に感じてしまったりするのが「親」というもの。
一方で、偉大な親を持った人にとっては、その存在が大きすぎて、彼らにしかわからない思いや経験が多いはず。子どものころから親を意識せざるを得なかった著名人に、「親」について語っていただきたい…!
今回は、伝説のロックミュージシャン・矢沢永吉さんの娘、矢沢洋子さんにお話を伺いました。
日本でロックをメジャーにした立役者にして、現在も熱狂的なファンが多い矢沢永吉さん。父親としてはどんな存在だったのでしょうか?
〈聞き手=福田啄也(新R25編集部)〉
【矢沢洋子(やざわ・ようこ)】1985年、東京生まれ。12歳から18歳までをアメリカ・ロサンゼルスで過ごし、 2008年上智大学文学部ドイツ文学科を卒業。 同年、ボーカルとギターのユニットでデビュー。2014年にはバンド「PIGGY BANK」を結成。2018年6月、自身初の舞台『「銀河鉄道999」〜GALAXY OPERA〜』にリューズ役として出演するなど役者としても活動している
父を芸能人だと思っていなかった幼少期
福田
矢沢永吉さんの私生活、というのがまったく想像できないのですが、家ではどんな感じだったのでしょうか?
洋子さん
父は365日24時間、ロックンローラーだったと思います。
家でダラダラしていることはほとんどありませんでしたし、どんなシーンで父を見ても「矢沢永吉だ!」と思われるような立ち居振る舞いでした。
福田
へええ! 家でもずっとかっこいいままなんですね。
洋子さん
でも、私が生まれたころって父はあまりメディアに露出していなかったんですよ。
だから私は「有名人の子ども」ってチヤホヤされることもなかったし、私自身も父親がすごい人だってわかっていませんでした。
福田
そうなんですか!?
洋子さん
私が小学校の低学年のとき、サントリーの「BOSS」のCMに起用されたり、『アリよさらば』(TBS)で主演したりとテレビに出るようになったら、学校の友だちから「洋子ちゃんのお父さんすごいね!」って言われるようになりました。
そのとき「あっ、うちのお父さんって有名人なんだな」って初めて実感したんです。
福田
洋子さんにとってお父さまは、どんな父親だったんですか?
洋子さん
一家の大黒柱で、父親の言うことは絶対でした。いわゆる「昭和のお父さん」という感じです。
ただ、私が長女だったこともあり、よくかまってもらっていました。
休日は自転車の乗り方を教えてもらったり、かっこいいクルマや船に乗せてもらったりしていましたね。
福田
めちゃくちゃいいお父さん。
洋子さん
私が12歳のときに一家でアメリカのロサンゼルスに引っ越したんですけど、アメリカってクルマがないと生活ができないんですよ。
だから、父が学校までクルマで送ってくれることもありました。
娘に対してはちょっと過保護な一面も…
福田
ちなみに洋子さんのアルバイト先に来ることもあったと言いますが、これは本当ですか?
洋子さん
本当です。
アメリカの高校って夏休みが3カ月くらいあったので、家族で日本に一時帰国していたんです。
そのとき、短期アルバイトとして目黒駅前の飲食店で働いていて、そこに父が来店しました。
福田
娘の様子が気になったんですね。
洋子さん
それに大学生になったときは、お弁当のテイクアウトの電話番をやっていたんですが、そのときにもお客さんとして電話をかけてきたんですよ。
私がちゃんと働いているのかチェックしたかったんですって(笑)。
福田
洋子さんは、2017年に元「ギターウルフ」のベーシスト・U.Gさんとご結婚されましたよね。
その結婚の際に、お父さまは何か言っていましたか?
洋子さん
実は彼と付き合った当初に、父に会わせたことがあるんです。
そのときは「げっ…娘がバンドマンを連れてきた…」と困惑していました(笑)。
「どんなときでも低姿勢でいなさい」父・矢沢永吉の教え
福田
お父さまからの「教え」で、今も覚えていることはありますか?
洋子さん
幼いころから「どんなときでも低姿勢でいなさい」と言われていました。
やはり「矢沢永吉の娘」という看板がついている限り、どこで誰に見られているかもわからない。だから、基本的な礼儀や挨拶にはすごく厳しかったと思います。
言葉遣いも指摘されたこともあり、母とのケンカで汚い言葉を使ったときはすごく怒られましたね。
洋子さん
あと、お金には厳しかったと思います。
芸能人の子どもってぜいたくな暮らしをしている印象だと思いますが、私が高校生のときのお小遣いは月5000円くらい。
福田
ボクらとあまり変わらないですね…!
「歌いたい」と言ったらデビューすることに。最初は父と共演したくなかった
福田
洋子さんは大学卒業後、ご自身も音楽の道に進みましたよね。
そのときご両親から何か言われましたか?
洋子さん
特に反対はされなかったですね。
ただ、「目標があるのなら、それに対しては誠実に向き合いなさい」とは言われました。
福田
なるほど…
洋子さんがデビューするとき「矢沢永吉の娘」としてすごく話題になったのを覚えています。
洋子さん
正直、知らない間に背中をどんどん押されてデビューしていったんですよ。
私が「歌ってみたい」というのを意思表示したら、レコード会社が決まり、曲が決まり、デビューライブの日が決まり…と話がどんどん動いていって、全然実感が湧かなかったんです。
それにわからないことも多くて、自分自身もどうしていいのかわかりませんでした。当時のプロデューサーやディレクターには本当にお世話になりましたね。
福田
そういえば、2009年の「ROCK'N'ROLL IN TOKYO DOME」では親子で共演されていましたね。
あれはお父さまからオファーがあったんですか?
洋子さん
そうです。
ただ、最初は「絶対ヤダ!!」って言っていたんですよ。
福田
それは比べられるから?
洋子さん
というよりも、「自分がどんな音楽をやりたいのか」というのがわかっていなかったんだと思います。
だから、そんな状態で父のステージには立ちたくなかったんです。
福田
なるほど…the generousとしてデビューされて、その後2010年に「矢沢洋子」としてソロデビュー、2014年にはPIGGY BANKSを結成されるなど、ご自身の活動も変化してきました。
現在はご自身の音楽はできているのでしょうか?
洋子さん
そうですね。私がやりたかったのは、パンクやロック。
そういう方向性も10年続けてこられたからこそ、見つけられたんだと思います。
それに昨年からは、舞台の役者としての活動もはじめることになり、自分自身の立ち位置が明確化してきました。
だから今は気持ちの整理がついた気がしていて、父から「一緒に出ないか?」という誘いがあればぜひ共演したいと思っていますね。
根底にあるのは尊敬。69歳でもライブを続ける父の背中を見て
福田
父親と同じ道に進んだことで、見え方に変化はありましたか?
洋子さん
「すごい人だな」となんとなくは思っていたんですけど、同じ世界に入ったことでそのすごさが鮮明になりましたね。
福田
それはどんなところでしょうか?
洋子さん
自分の好きなことでお金をもらって、家族を養っていくことって難しいじゃないですか。
父は、それを40年以上も続けているんです。
69歳になっても、毎朝ジムに通って2時間のステージをちゃんとできる体を維持しています。
年をとってもずっと矢沢永吉でいる。その姿勢は憧れではあり目標でもありますね。
福田
たしかに、昨年の「STAY ROCK EIKICHI YAZAWA 69TH ANNIVERSARYTOUR 2018」の映像を拝見しましたが、声量・パフォーマンス、すべてにおいて老いをまったく感じませんでした。
洋子さん
本人は昔「60歳になったら引退する」と言ってたそうですが、70歳手前になってまでライブをやっていますし、多分80歳になってもライブをやるんじゃないかなと思っています。
私たち家族全員、常人の4倍〜5倍も努力をしている父の姿を見ていますから、父に対するリスペクトが強いんです。
家族として、父親がどこまでスーパースターとして頑張っていけるか、というのもちゃんとサポートできればいいですね。
福田
なんてすばらしい家族だ…
最後にこんなことを聞くのも失礼かもしれませんが、「矢沢永吉の娘」として嫌だったことはないんですか?
洋子さん
たしかに、よく「矢沢永吉の娘なんて大変でしょう?」なんてことを言われることもあります。
でも、私は幸せなことに、父と母からたくさんの愛をもらったし、父に対して反抗したことも嫌だと思ったこともないんです。
世間がイメージする矢沢永吉は、伝説のロックのカリスマとして熱狂的なファンの方々がいます。でも私にとって、父としての矢沢永吉もまったく変わらず、尊敬できる存在なんです。
「父の存在を一度も嫌だと思ったことはない」と主張する洋子さん。
インタビューを通して、随所に父・矢沢永吉さんへのリスペクトが見られました。そんな家族関係だからこそ、今もライブを続けられているんだと思います。
昨年の11月にデビュー10周年を迎えた洋子さん。ずっと走りつづけるお父さまの背中を見て、「父親と同じようにはいかないけど、自分も何歳になっても歌いたい」とのこと。そんな2人の共演をまた見られる日を、楽しみに待ってます!
〈取材・文=福田啄也(@fkd1111)/撮影=長谷英史〉
洋子さんからのお知らせ
洋子さんが挑戦する舞台『「銀河鉄道999」さよならメーテル~僕らの永遠』が4月20日から始まります。
〈東京公演〉
日程:2019年4月20日~29日
会場:明治座
〈北九州イベント〉~ライブ イン北九州2019~
日程:2019年5月2日
会場:北九州芸術劇場 大ホール
〈大阪公演〉
日程:2019年5月10日~12日
会場:梅田芸術メインホール
また、5月25日には「IN THE MOOD~気分はアコースティック~」(代官山LOOP)、6月29日・30日には「TAKASAKI ARENA LIVE FESTIVAL “GBGB2019”」(高崎アリーナ)とライブもありますので、こちらもチェックしてみてください!
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