「東京にいたときは背伸びしてました」
「使ってください」と頭を下げるように。福岡に移住した波田陽区が一発屋から抜け出せたワケ
今回、登場していただくのは、2004年に『エンタの神様』(日本テレビ)で「ギター侍」としてブレイクした波田陽区さん。テレビ出演が減って「一発屋」と呼ばれるようになり、一時期は外に出たくないほど落ち込んでいたと言います。
そんな状況を変えるため、一念発起して2016年に福岡に移住。現在は福岡でレギュラー番組を持つ人気者になりました。
彼は移住してからどのように前向きになっていったのか? 東京を離れることに葛藤はなかったのか? そこのところをじっくり聞いてきました!
〈聞き手:福田啄也(新R25編集部)/文:吉玉サキ〉
福田
現在は福岡でかなりご活躍されていると伺いましたが、お仕事のほうはいかがでしょう?
波田さん
冠番組も持たせていただき、関係者の方には頭があがりません。
福田
ブレイク時は毎日10万円使っていたが…
福田
2004年~2005年をピークにテレビ出演が減少したそうですが、当時危機感はあったのでしょうか?
波田さん
「自分の売れ方は先輩芸人とは違って、突発的な売れ方をしているな。このブレイクは短命なんじゃないかな」と。
そしたら、本当に仕事が減ってきて…でも自分は「ギター侍」以外の武器がなかった。
まわりからアドバイスされたことを全部真に受けて、それで失敗してテンパってましたね。
福田
波田さん
一発屋の仕事って、聞かれることが毎回同じなんですよ。「最高月収は?」とか「悲しいエピソードは?」とか。
だんだん「オレにはこれしか求められてないんだ」って虚しくなって、イジけてました。
福田
波田さん
ブレイクの熱が冷めたあとは、後輩から電話がかかってきたら「あ、この電話に出たら、おごらされるな」って思って居留守を使ってましたね。
福田
さんざん聞かれてると思いますが、売れてたときと下火になってからの収入の落差は…?
波田さん
売れていたときは1日に10万円くらいは使っていたんですよ。
毎日、芸人仲間とお寿司や焼肉を食べに行って、そのあとキャバクラにも行ってて、全額おごってました。しかも、帰りには後輩のタクシー代まであげていた。
1日10万円だとしたら、1年で3650万円。そのお金を遣わずに貯金してたら家が建ってますよね(笑)。
波田さん
ちょっとくらい残しとけば嫁は安心できたんでしょうけど(笑)。
世間から笑われてるような気がして、外に出るのも辛かった
福田
そのあとにお子さんも生まれていますが、経済的な不安などはなかったのでしょうか?
波田さん
ただ、お金のことよりも世間体のほうが気になりましたね。
福田
波田さん
街を歩いていると、知らない人から指を差されて笑われたこともありますし。次第に日本中から笑われてるような気がして、一時期は外に出るのも嫌になりました。
鬱ってほどでもないけど、かなりネガティブになっちゃって…
そのせいで、当時は嫁ともギクシャクしてしまったんです。
福田
それについてはどう思いますか?
波田さん
たしかに、売れなくなった原因は東京のせいじゃなくて、自分の実力不足だと思ってます。ただ、東京で求められるのは「一発屋」としての仕事ばかりで…
藁をもつかむ気持ちで新ネタを考えてみたり、キャラクターを変えてみたりしてみても答えが出ませんでした。
福田
波田さん
ボクは大学を卒業してから芸人しかしてこなかったし、ほかの仕事は考えられなかったんです。
それに、ずっとテレビに憧れてきたから、機会が減ったとはいえ、仕事は楽しかったんですよね。
辛かったとき、「アドバイスをしない」間寛平さんに救われた
福田
波田さん
売れなくなってからも寛平さんは変わらず「波田、メシ行こか~、好きなもん飲みや~」って誘ってくれて。
それがすごくうれしくて、救われてました。
福田
寛平さんから、何か仕事についてアドバイスをもらうことはあったんですか?
波田さん
ほかの先輩方はだいたい「ああせい、こうせい」って言うんですけど、寛平さんはなんのダメ出しもしない。
楽しい話だけしてゲラゲラ笑って、帰りには全員にタクシー代をくれる。説教とかなくて、本当に楽しいお酒なんです。
それが、ボクにはアドバイスよりありがたかった。
波田さん
これはボクの想像なんですけど、嫁さんは寛平さんの奥様に、ボクの仕事のことを相談してたんじゃないかなと…
本当に、寛平さんには家族ぐるみでお世話になってますね。
福田
波田さん
だからボクも、寛平さんみたいな人になるのが目標なんです。後輩に対してエラそうにするんじゃなくて、楽しく接したいなと。
現状を変えたい。40歳を機に一念発起、福岡へ移住
福田
波田さんは、2016年に福岡へ移住されましたよね。これはなにがきっかけだったんですか?
波田さん
ボクが40歳になったら、息子も小学生になります。そのとき、「親父が一発屋として扱われていたら嫌だろうな」と思っていたんですよ。
波田さん
それで、自分から「福岡に行かせてください」って事務所にお願いしたんです。
福田
波田さん
あのときは福岡で仕事が決まってたわけじゃなかったけど、とりあえず現状を変えなきゃと必死だったんですよ。
「福岡に来てもお前のポジションはないよ」と言われた
福田
「東京から逃げた」とか「都落ち」とか…
波田さんは、そういう反応をされたことはありますか?
波田さん
でも、その前からSNSで「一発屋」とかさんざん言われてたので、想定の範囲内というか、あまり気にならなかったです。
福田
「逃げ」という意識はありましたか?
波田さん
まわりがどう思おうと、ボク自身は心機一転、すべてやり直す覚悟で福岡に行きました。
福田
波田さん
だけど、なかには冷たい人もいました。「福岡に来てもお前のポジションはないよ」って言われたこともあります。
でも、そんなのは覚悟の上だったんで、「そう思う人もいるだろうな」って感じですね。
一発屋だったからこそ、助けてくれる人たちのありがたさを知れた
福田
波田さん
「一発屋」時代はバイトしてなかったんですけどね。拠点を移したことで、地方の営業の数も減りましたから。
福田
波田さん
イモトアヤコが事務所の後輩で、そのツテで社長を紹介してくれたんですよ。そしたら、「仕事がないんなら宣伝部長やってよ」って言ってくださって。
朝7時から夜まで、スーツにタスキをかけて、空港に来られたみなさんに「いってらっしゃい!」「ようこそ福岡へ!」って挨拶をしてました。
$本日、
福岡国際空港『イモトのWiFi』にて 宣伝部長をさせていただいております!
海外に行かれる方々 お待ちしております✈️。
<a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23イモトのWiFi" title="#イモトのWiFi">#イモトのWiFi</a> <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23バリすご8" title="#バリすご8">#バリすご8</a> <a href="https://t.co/XmzcLYRsd4">https://t.co/XmzcLYRsd4</a>
波田さん
今となっては、「一発屋でよかったな」って思うこともあるんですよ。
福田
波田さん
でも、仕事がなくなって、まわりの人間が離れていくこともたくさんあった。どんどんイジけて、ボク自身も嫌なやつになっていきました。
でも、事務所の方や関係者の方々は、そんなボクが福岡に行くことを応援してくださったんです。それに、現地についてからも助けてくれている。
「一発屋」として天国も地獄も味わった、その落差があったからこそ、助けてくれるありがたさをかみしめることができています。
福岡でのブレイクのきっかけは、卓球の水谷隼選手に似ていたから
福田
波田さん
水谷選手の試合があった翌朝、ワイドショーでボクと顔が似ているって話題になったんですよ。そしたら、事務所に電話がいっぱいくるようになって(笑)。
$波田陽区、水谷隼選手に便乗 「似てる」で番組出演(写真 全2枚) <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23お笑い" title="#お笑い">#お笑い</a> <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23波田陽区" title="#波田陽区">#波田陽区</a> <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23オリンピック" title="#オリンピック">#オリンピック</a> @<a href="https://twitter.com/Japan_Olympic">Japan_Olympic</a> <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23芸能" title="#芸能">#芸能</a> <a href="https://twitter.com/#!/search?q=%23ニュース" title="#ニュース">#ニュース</a> <a href="https://t.co/Md0sTUMhuv">https://t.co/Md0sTUMhuv</a> <a href="https://t.co/o2zbQF4y5t">https://t.co/o2zbQF4y5t</a>
福田
波田さん
そこで福岡のテレビ業界に認知してもらえてたんだと思います。
福田
波田さん
でも、そのアナウンサーの方が声をかけてくださったことをきっかけに、自分から「使ってください」って頭下げるようになりましたね。
もともと、人見知りだから本当はひとりでいたいタイプなんですけど、福岡のみなさんは本当に優しくて…
今では苦手だった飲み会に顔を出すようにしたり、スタッフさんと積極的にコミュニケーションをとったりするようになりましたね。
福田
いまではロケや情報番組の司会もやられているとか。
波田さん
そこでとにかくボケて、ダメならツッコんでと、貪欲に動けたんです。それでほかの番組にも呼んでいただけるようになって、今の冠番組があります。
特に、ラジオで自由に好きなことを喋れるのはうれしいですね。悪口とか下ネタとか(笑)。
東京にいたころは田舎者って思われたくなくて、背伸びしていた
福田
それも福岡に移住したからなのでしょうか?
波田さん
東京にいたときは背伸びしてたんですよ。
田舎者なのに、「負けたくない」とか「恥かきたくない」って気持ちがあって…でも、今は自然体でいられますね。
波田さん
親に孫を見せられてるとか、信頼できる友だちと会えてるとか、そういうことがボクのなかではすごく重要なんです。
仕事で成功する人生もいいけど、仕事以外の面を大切にする人生がボクには合ってたんでしょうね。
福田
逆に、移住してみてわかった「東京のメリット」ってなんなのでしょう?
波田さん
売れつづけているビッグな人たちはみんな東京にいるわけですし、実力さえあれば成功できる可能性は東京のほうがあります。
「地方のほうがいいよ」とは言わない。でも、しがみつく必要もない
福田
そんな人たちが波田さんの姿を見たら、勇気をもらえそうですね。
波田さん
ボクは移住して幸せになったけど、それは「ボクがたまたま地方が合ってた」だけなんで。
福田
てっきり、移住したい人の背中を押してくれるのかと…
波田さん
たとえば野生爆弾の川島さん(くっきー)とか東京が合わないように見えていたけど、ずっと東京で頑張ってたからこそブレイクできた人もいる。
諦めて地元に帰ってたら、今の成功はなかったかもしれないですよね?
福田
波田さん
でも、もしも目的もないのに東京にしがみついてて苦しいなら、いったん離れてみる選択肢もアリだとは思いますよ。
それに対して、「都落ち」とか言う人もいるかもしれないけど、言わしときゃいいんですよ。地方移住は恥ずかしいことじゃないんだから。
「ギター侍」としてブレイクした時期、「一発屋」として指を差された時期、そして福岡で自分らしさを見つけた今。
天国も地獄も味わったからこそ、その言葉に重みが出ていたんだと思います。
波田さんが福岡で成功できたのは、その周囲への感謝を忘れない気持ちと、背伸びをせずに生きられる場所を見つけたからだったんですね。
苦しかったら東京にしがみつく必要はない。今の環境で少しでも苦しいと思っている人は、「自分に合った生き方を見つけること」が大切なのかもしれません。
〈文=吉玉サキ(@saki_yoshidama)/取材・編集=福田啄也(@fkd1111)/撮影=長谷英史〉
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