ビジネスパーソンインタビュー
堀江貴文著『疑う力』より
非効率なマナーは“自己中”人間のリスクヘッジだ。暗黙の「謎ルール」を疑え
新R25編集部
たびたびSNSで議論を呼び起こしている堀江貴文さん。
タクシー運転手や新幹線のマナーなどに対して持論を展開し、ネットニュースになることも日常茶飯事。
ただ、そんな堀江さんの根底にある哲学はただひとつ。
常識を疑え。
「みんながやっているから」と思考を停止させず、どこまでも食い下がり、考え抜く癖を持つことが、まわりに差をつける力になるそうです。
そのメッセージが詰まった書籍『疑う力』から、堀江さんが「おかしいと気づくべき」常識を2記事でお届けします。
座席を倒したいなら勝手に倒せばいい
新幹線で、いちいち「席、倒していいですか?」と確認してくる奴がいる。
正直言わせてもらうと、ウザい。座席を倒したいなら勝手に倒せばいい。
トラブルになるのを避けようと事前確認を取っているつもりなのだろうが、そうやってなんでもかんでも保険かけようとすんなボケ、と心の底から思う。
せっかく人がくつろいでいるのにもかかわらず、バカがいきなり話しかけてくるせいで一気に不愉快になる。
そもそも、知らない人から突然話しかけられると、心臓がドキッとする。
意外かもしれないが、僕は事故に巻きこまれるのが嫌で、普段からかなり気をつけて生活している。
不特定多数が集まるスクランブル交差点のような場所を歩くのは、できる限り避けるようにしている。
混雑した電車のホームで誰かとぶつかって、線路に落ちでもしたら大変だ。テロの心配だってあるし、電車にはなるべく乗らないようにしている。
タクシードライバーはこのところどんどん高齢化しているから、ブレーキとアクセルを踏み間違える事故だとか、運転手がいきなり脳溢血を起こすことだってありうる。
だからタクシーに乗るときには、必ず後部座席に座ってシートベルトを着用している。
それくらい慎重になっている僕だけに、知らない人間に前触れもなく話しかけられるのはとんでもないストレスだ。
気配を感じてハッと顔を上げたら、見ず知らずの人が手を差し伸べてくることもある。うつむき加減にスマートフォンを見ていたら、わざわざ下から僕の顔を見上げて「あんた、ホリエモンよね」と話しかけてくるオバちゃんもいた。
なんというハートの強さだろう。ここまでくるともう怪談だ。
僕に気づいた見ず知らずの人が「一緒に写真撮ってもらっていいですか」と聞いてくるのにもウンザリだ。友人でもない、知り合いですらない人と一緒に、なんで写真なんか撮らなければいけないのか。
僕が彼らにつきあい、自分の時間を差し出すメリットはどこにあるんだろう。「他人の時間を奪う」という行為が、一種の暴力行為であることを自覚してほしい。
僕はものすごい回数、新幹線に乗ってきたが、数年前までは「席、倒していいですか?」なんて聞いてくる奴は一人もいなかった。この不思議な習慣はどうやって生まれたのか。
暗黙の「謎ルール」と「生きづらい社会」
第一に、新幹線内でノートパソコンを使って仕事をするサラリーマンが増えたことだ。
パソコンを前の背もたれギリギリまでもたせかけていると、座席が倒れてきたときパソコンにゴツンと当たることがある。
第二に、新幹線の車内アナウンスが「座席を倒すときには、まわりのお客様にご配慮ください」という余計な呼びかけをしていることだ。
第三には、SNSの影響がある。僕みたいに「座席を倒そうが倒すまいが個人の自由だ」と思っている人間がサイレント・マジョリティなのに、一部のノイジー・マイノリティが「黙って座席を倒してくる失礼な奴がいた」などと怒って文句を書く。
するとそいつの友人知人やフォロワーが「自分がやっていたことはマナー違反だったのか」と誤解して、知らない人間に突然声をかけ始めるのだ。
行き先を告げると、「ルートはどういたしましょうか」といちいちこちらに確認してくるタクシー運転手もいる。最短ルートで目的地まで客を連れていくのが彼らの仕事だろうに、なぜ僕が道順までレクチャーしてやらなきゃならないのだろう。
住所を口頭で確認しているくせに、カーナビの操作をミスって全然違う場所で降ろされたこともある。
あるとき、大阪で行き先の住所を告げると、個人タクシーの運転手が「覚えられへん」とキレ始め、警察に110番通報までされたことがあった(駆けつけた警察官から「このタクシーヤバいんで、ほかに乗ったほうがいいですよ」と言われた)。
こんなケースは論外だとしても、日本に残存する「非効率マナー」の、いかに多いことか。
座席を後ろに倒すくらいのことで、いちいち見知らぬ人間に話しかけるのが「礼儀」だと信じこむ人たち。
そんなの礼儀でもなんでもなく、「自己中」人間のリスクヘッジにすぎない。タクシー運転手のルート確認にしても、サラリーマンのネクタイにしても同様である。
そんなつまらないリスクヘッジのために、暗黙の「謎ルール」をどんどん厳しくしていけば、その先に待ち受けているのは閉塞感に満ちた「生きづらい社会」だ。
意味のないマナーのためならジェントルマンぶって他人に話しかけるくせに、そういう奴に限って電車内で松葉杖をついた人に座席も譲らずタヌキ寝入りし、ベビーカーを押しているお母さんにはスペースを空けてあげるどころか舌打ちしたりする。
日本には、礼儀もマナーもアップデートできていない輩が多すぎる。
資格なんて単なる利権。実力は資格で測れるものではない
コックになることを夢見て、とりあえず田舎から東京へ出てきて調理師専門学校に入る若者がいる。
「資格がなければプロになれない」と信じて疑わないその思考回路はあまりにもピュアだ。
専門学校の学費は2年間で300万円を優に超えるし、実家を出て一人暮らしすれば生活費も別にかかる。
都会に出てきたばかりの地方出身者は、「遊び」を覚えると学校になんてまじめに通わなくなったりもする。
せっかくバカ高いカネを払って入学したというのに、何割もの学生がドロップアウトする。だから専門学校ビジネスは歩留まりが良く、メチャクチャもうかる。
「調理師免許がなければ料理人として働けない」というデマをみんなが信じてくれれば、専門学校の経営者や教員は永遠に食いっぱぐれないで済む。
でも実際には、ビストロでもラーメン屋でもカレー屋でも、店を開くのに免許なんていらない。誰でも始められるのだ。
専門学校を卒業するための軍資金500万円があれば、居抜き物件を借りて今すぐ自分の店をオープンできる。生徒たちは専門学校ビジネスと資格ビジネスの罠にハメられているのだ。
資格試験なんてものは、要するに金儲けをしたい連中の利権を守るための仕組みだと理解したほうがいい。
調理師試験を受験するには6000円以上かかる。試験を運営している連中は、何も知らない若者たちからカネをぼったくっているのだ。
読者のみんなは高校や大学時代、文化祭で焼きそばやカレーを売った経験がないだろうか。お祭りで屋台を出すために、いちいち調理師試験を受験する奴やつなんていない。プロ顔負けのおいしい家庭料理をつくる「素人」はゴマンといる。
国家資格をもたずに「調理師」と名乗ったら詐欺だが、「シェフ」「料理人」と名乗って料理を提供することにはなんら問題はない。
店に食品衛生責任者講習を受けた者が一人でもいれば、調理師免許をもつ人間なんていなくても店の営業はできるのだ。
もし、「資格がなければ飲食店を経営できない」なんてルールをつくってガチガチに締めつければ、街のレストランや中華料理屋はたちまち消滅してしまう。そうなれば日本の外食産業は崩壊する。
「実力は資格で測れるものではない」という事実を、とくに若い世代にはよく理解してもらいたい。
たとえば、プロのミュージシャンの名前を思いつくままに挙げてみてほしい。ギターの専門学校出身の成功者なんてほとんどいないことがわかるだろう。300万円の学費を払う余裕があったら、ギブソンのギターでも買って独学で今すぐ練習を始めたほうがいい。
幻冬舎で『多動力』『お金2.0』『日本再興戦略』『メモの魔力』などのベストセラーを連発している箕輪厚介君だって、編集者になるための専門学校なんて出ていない、特別な資格なんて何ももっていない。
箕輪君だって初めはズブの素人だった。試行錯誤しながら本をつくっているうちに、自力でベストセラー量産編集者へと成長したのだ。
教員免許なんて要らない
漢検、英検、行政書士、秘書検定など、ほかにも潰したほうがいい資格利権はいくらでもある。
野菜ソムリエ、唎酒師、日本茶インストラクターとかいうワケのわからない資格も量産された。
ライセンス制度をつくりたがる連中は、とにかく何かと名目をつけて受講者、受験者からカネを巻き上げたいのだ。
保育士や介護士不足の問題を解決するための一つの方策として、資格を廃止してしまえばいい、と僕は考えている。
ただでさえ給料が安くて仕事の担い手がいないのに、参入のハードルをムダに上げてどうするのか。
ハッキリ言って、教員免許も要らないと思う。生徒が居眠りをしたり成績がちっとも上がらないのは、アマチュア教員がクソつまらない授業をやっているせいだ。
教員免許なんてもっていない塾講師や予備校講師のほうが、よほど面白く、ためになる授業をやっている。
星野源主演のドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(通称・逃げ恥)で注目された「データベーススペシャリスト」など、クソの役にも立たないトンデモ資格はいくらでもある。
理容師はヒゲ剃りをしてもOKだが、美容師はヒゲ剃りNGだとかいう、謎ルールも目に余る。
ドローンがブームになると、ドローン操縦士の資格試験を考える奴が速攻で出現した。
ムダな資格ビジネスは、モグラ叩たたきのように片っ端からぶっ潰して規制緩和しなければ、イノベーションの邪魔になるのだ。
疑う力を身につけることで、社会の生きづらさをなくしていこう
マナーや慣習を守り、空気を読む。
日本人にとっては当たり前のようにおこなっていることも、堀江さんからすると生きづらさを助長しているそうです。
最後に、『疑う力』の巻末にある堀江さんからのメッセージをご覧ください。
『疑う力』「常識」はいつだって、僕たちの自由な思考を縛ろうとする。この事実をスルーしてはいけない。鈍感になってはいけない。
「それっておかしくね?」と、気づける人にしか、大きなチャンスはやってこない。
これだけは「疑いようのない事実」と、最後に言っておきたい。
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