ビジネスパーソンインタビュー
霜田明寛著『ジャニーズは努力が9割』より
「ここを学べ」「ここを見ろ」とは言わない。ジャニー喜多川の“欲を引き出す”教育手法
新R25編集部
数多くの男性アイドルグループを生み出すジャニーズ事務所。
創業者のジャニー喜多川さんがプロデュースしたタレントたちは、アイドルとしてはもちろん、映画やドラマなどで輝きを放ち、日本のエンタメを牽引する存在となっています。
ジャニーズに魅せられた「元祖ジャニヲタ男子」の霜田明寛さんは、著書『ジャニーズは努力が9割』(新潮新書)のなかで、ジャニーズ事務所について以下のように語っています。
「ジャニー喜多川とジャニーズJr.たちの関係を見ていくと、育成者としてのジャニー喜多川の偉大さと、彼が作った人を成長させる仕組みの強さが見えてきます」
霜田さんが分析する、日本を代表するアイドルを生み出してきたジャニー喜多川さんの採用力や育成力とは? 同書のなかから、この2つを抜粋してお届けします。
引き出す教育「ジャニイズム」
選抜時には「やる気があって、人間的にすばらしければ、誰でもいい」とはいえ、長く一緒にやっていく中ではもちろん、教育も必要です。
はたしてジャニー喜多川は、どういう指導をするのでしょうか―。
TOKIOの城島茂が「ジャニーズの養成所というのは、一般常識も含めて、いちいち教えてくれるという場所でもない(*1)」国分太一が「事務所の方針が『とにかく現場で学んでこい』『自分で発見してこい』だから(*2)」と語るように、確立された研修プログラムなどがあるわけではないようです。
ジャニーは直接何かを具体的に教えるのではなく、色々な優れたエンターテインメントを見せる、という形で指導をするようです。
それも若い有望なジュニアたちをラスベガスやブロードウェイなど海外のショーやミュージカルに連れて行く、ということまでしています。
ジャニー喜多川は1931年、アメリカのカリフォルニア州ロサンゼルス生まれ。学生時代は音楽専攻で「あの頃の名作ミュージカルは120%見ているという自信がありますよ(*3)」と語るほど。
自身のエンターテインメントのルーツでもある海外のショーをジュニアたちにも見せるわけですが、そのときジャニー喜多川は「ここを学べ」「ここを見ろ」といったことは言いません。
それについて滝沢秀明は「それぞれの感性で学びなさいってスタンス」「“ここがすごいんだよ”って言ったら、みんなそこしか見なくなっちゃうから。そしたら、同じようにしか成長しないでしょ(*4)」と分析しています。
つまり、環境は与えるけれども、あとは基本は放任。それが、少年たちの感性を伸ばすのに選んだスタンスだったのです。
1980年代のはじめ、まだ一般的にビデオが普及していない時代から、合宿所には、アメリカから取り寄せられたマイケル・ジャクソンのビデオなどが膨大に置いてあり、誰でもいつでも自由に見ることができたそうです。
例えば、東山紀之は、そこで食い入るようにビデオを見続け、エンターテインメントの醍醐味に気づいていきます(*5)。
ジャニーズには、事務所に入るまではスポーツにしか興味がなく、ダンスなんてやったこともなかった、という少年も多くいます。
ただ、そんな彼らも、こうしてジャニー喜多川によってエンターテインメントに触れる機会を与えられることで、その魅力に気づいていくのです。
少年隊の錦織一清はジャニー喜多川とのレッスンの日々を振り返りこう語ります。
「とにかく行ったら、楽しい気持ちにさせてくれるんです。そのうちにショウビジネスの世界は楽しいんだよという風に教えてくれる人なんです。この世界でやっていく欲を叩き込むのじゃなくて、引きだしてくれるんです(*6)」
こうしたジャニー喜多川の教育姿勢を、滝沢秀明は「ジャニイズム」と表現します。
「ジャニーズの場合は、ジャニーさんが、きっかけを作ってくれて、あとは自分のことは自分で磨いていくというか。だから、ジャニイズムは人の数だけある。(中略)みんなちがっていいし、だからこそバラバラな個性がグループになったらおもしろくなったりもする(*4)」
こういった教育のせいか、ジャニーズには「出る側になりたい」「目立ちたい」というよりも「エンターテインメントの世界を作りたい」と考えるタレントが多いのも特徴です。
実際に堂本光一や滝沢秀明のように、自らも演出をするようになる者もいます。
また、岡田准一のように撮影やアクションまで担当したり、中島健人のように「ドラマと映画をプロデュースをしてみたい(*7)」と言ったりと、出る側として成功しても、作る側・スタッフ志向のメンバーが出てくるのは、こうしたジャニー喜多川の指導スタンスのせいなのかもしれません。
ジャニー自身もこう語っています。
「僕はタレントをアーティスト、芸術家として捉えていますよ(*3)」
タレントを信頼しているジャニー喜多川は、自分の死後も彼らはやっていけると断言しています。
「うちのアーチストは自分でマネージャー業もやっているわけですよ。最初は付き人もほとんど付けない。だから、もし僕がそういう形になっても、自分たちでちゃんとマネージングできるように育てているんです(*8)」
「マネージャーなしで、自分でやれる人間ばっかりなんですよ。まだ、ボクがいるから、遠慮してるとこ、あると思う。ボクいなかったら、それこそ大活躍できるんじゃないかなあ。だから、ボクが知らん顔して消えちゃったとしても、十分できますよ(*9)」
ジャニーズの競争システム
それでは、実際に内側ではどのようなことがおこなわれ、今のような優秀な人材の宝庫としてのジャニーズが成立しているのでしょうか。
いかに優秀な人材を揃えるか、というのは、どんな組織においても最重要課題ですが、端的に言えば、その手順は2つといえるでしょう。
①ブランディングにより、そもそもが優秀な人材が集まってくるようにする
②その中で競争を起こす
採用の時点でレベルの高い人々を集め、今度はそのレベルの高い者同士で切磋琢磨させ、お互いに向上してもらう。
①はできる限り多くの人に集まってもらうこととも近い意味でしょう。
ジャニーズにはこの2つが揃っているのです。①のブランディングに関しては言うまでもありません。
特別な募集告知などは基本的に行わないにもかかわらず、ジャニーズタレントの活躍自体がブランディングとなり、1990年代半ばには、1カ月に約1万通もの履歴書が届いていたというのは前述の通りです(*9)。
次に2つめの条件である競争。
この競争を、しっかりと行わせるシステムがジャニーズ事務所にはあります。その競争の様子を紹介します。
ジャニーズJr.の受けるレッスンに、芝居や歌はなく、ダンスのみ。
無料ですが、参加は自由意志。かつてレッスン生は、AからEの5段階にランク分けされ、その中から晴れてAグループになれると、やっと、テレビ番組の一番後ろの列に呼ばれる、といった具合です(*10)。
もちろん、ステージに上げられてもいきなり中心でマイクを持って歌う、というわけにはいきません。
例えば、先輩の後ろで踊るジュニアの中でもさらに後ろの方、テレビだったら見切れてしまってほとんど映らない場所だったり、ライブ会場だったらステージの上ではなく、お客さんと同じ目線の通路の間を走る役割だったりするのです。
さらにジュニアのうちは踊るだけではなく、舞台装置のセットをしたり、先輩の命綱をつけたり、という裏方的な仕事も彼らの任務です(*11)。
そんな中で切磋琢磨し、ジュニアの中でのいいポジションを、そしてさらにその先にあるデビューを狙っていく。
彼らの競争は、相当な倍率です。正式な数は公表されていませんが、400人以上はいると言われているジャニーズJr.。
その中で、晴れてデビューできるのは、年に1組あるかないか。場合によっては、2、3年の間、グループがデビューしない時期もあるのです。
成功イメージを具体的に見せる
限られた椅子を仲間と競い合いながら狙っていく、まことに厳しい世界です。
同期や後輩と限られた活躍の場を奪い合うのは、大人になっても神経をすり減らす行為ですが、それを彼らは思春期からおこなっています。
ジュニア間の競争を促す上で重要な役割を果たしているのが、明確に自分の位置がわかるシステムです。
彼らは日々、指示されたステージ上の立ち位置で、自分が今どの位置にいるのか、どれくらい期待されているのか、ということが明確にわかってしまいます。
しかもそれが仲間はもちろん、ファンにも公開されます。これは、毎日自分の評価が出て、一般公開されるようなもの。
位置が悪くなると、自分も傷つく上に、それを見た自分を応援してくれる人のことを考えて傷ついたりもする、過酷なシステムです。
そんな過酷な状況の中で、いじけたりする者はいないのでしょうか。それを聞かれたジャニーはこう答えています。
「何百人いても見たことはない。本当です。みんな輝きたいという気持ちはあるでしょう。でもそれは損得勘定ではなく動いている。ピュアなものです(*12)」
大きなプレッシャーの中でも、ジュニアたちは輝く努力をしていきます。
NEWSの手越祐也やKis-My-Ft2の北山宏光のように、事務所が用意したジュニアのレッスンとは別に、自分でボーカル・スクールやダンス・スクールを探して通っていた、という者もいるほどです(*10、*13)。
こんなにも厳しい環境での競争を頑張れるのは、その先に、努力すればたどり着けるステージがイメージできるから、とも言えます。
多くのジュニアが語るように、それがたとえ先輩のバックであっても、何万人と入る会場のステージで声援を受けながらライトを浴びることは、他では味わえない刺激で、快感を得られるようです。
むしろ、普通の少年が、急にそんな舞台に立てる場を与えられて、何も高揚を感じなかったら、さすがに適性がないと言ってもいいのかもしれません。
「YOU出ちゃいなよ」
ジャニーはその効果を知ってか、「見に来ちゃいなよ」といってライブ会場に少年を呼び、観覧だと思ってその場にやってきた少年に「YOU出ちゃいなよ」と言って、そのままステージに出演させる、ということをよくやっています。
ジュニアのオーディションも受けていない少年が、応募書類を見ただけのジャニー喜多川に呼び出され、いきなりステージに立つこともあるといいますから驚きです。
それは、もしかしたら成功の具体的なイメージを刷り込んでいるのかもしれません。
亀梨和也は、事務所入りの1カ月後にKinKi Kidsの東京ドーム公演に出演します。
「ステージからの景色を見ちゃうと『すげー』ってなる。マイクチェックでスタッフさんから『亀、ちょっとしゃべって』と言われ『あー』って自分の声が東京ドームに響くと、ここでコンサートしたいと思いました(*14)」と、具体的なイメージが夢を育んだ経験を語ります。
「近い距離で憧れるものをたくさん経験させてもらった(*14)」
その憧れの画は頭に刷り込まれ、今度は「どうやったら自分の力でその場所に立てるか」という方向に舵をとるようになるのです。
大きなスケールの舞台を与えられると、人はそのスケールに合わせようと努力します。
嵐の相葉雅紀も「経験が自覚を促した(*15)」と語っています。
「今日からユーたち、嵐ね」と言われたところで、そうそう「よし、今日から嵐だ!」なんて思えるものでもありません。
アイドルの事務所に入ったからアイドルとしての自覚が芽生えるのではなく、大きな場を与えられて、アイドルとして実際の経験を積むことで「自分はアイドルなんだ」という自覚が芽生える。
重要なのは経験を積める場があるということ。そしてジャニーズが示してくれるのは、その現場は、できる限り大きい方がいいということです。
才能で輝いているんじゃない。ジャニーズタレントの努力を学ぼう
日本中にその名が知れ渡っているジャニーズタレント。
その位置を手に入れるため、彼らは幼い頃から努力することを求められてきました。
『ジャニーズは努力が9割』では「中居正広」「木村拓哉」「長瀬智也」「国分太一」「岡田准一」「井ノ原快彦」「堂本剛」「堂本光一」「櫻井翔」「大野智」「滝沢秀明」「風間俊介」「村上信五」「亀梨和也」「伊野尾慧」「中島健人」の16人の努力を深掘りしています。
みんなが知っているアイドルの知られざる努力論。それはきっとビジネスマンにも参考になることが多いはずです。
*1:「週刊SPA!」2014年9月16・23日合併号
*2:「週刊朝日」2013年3月29日号
*3:「週刊SPA!」1990年7月4日号
*4:「MyoJo」2015年5月号
*5:東山紀之『カワサキ・キッド』(2010年6月、朝日新聞出版)
*6:TBS「 A-Studio」2019年4月5日放送
*7:「サンデー毎日」2014年3月2日号
*8:TBS「A-Studio」2019年4月5日放送
*9:「AERA」1997年3月24日号
*10:「MyoJo」2012年12月号
*11:日本テレビ『ジャニーズJr.の真実』2012年9月30日放送
*12:「朝日新聞」2017年1月24日
*13:「MyoJo」2011年8月号
*14:「サンケイスポーツ」2019年4月13日
*15:「GQ JAPAN」2010年6月号
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