プロ奢ラレヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より

自分にとっての「実家」が10か所あれば最強。僕が“お金がなくても”不安にならない理由

お金
自粛解禁の流れがあるものの、経済的な打撃を引きずっている企業も多く、お金の不安がある方もいるのでは。

奢られながら生活している「プロ奢ラレヤー」さんが語る、お金の不安を解消する方法が参考になるかもしれません。
他人のカネで生きていく」をモットーにツイッターを介して出会ったさまざまな人に奢られながら生きている、プロ奢ラレヤーさん

自分で働いて稼ぐのではなく、自分の生き方を面白がってくれる人のお金で生活している彼は、その経験をTwitterで発信することで、僕たちに新しい学びを届けてくれています。

初の著書となった『嫌なこと、全部やめても生きられる』では、そんな彼の価値観が、ゆるいスタイルでありありと語られています。

同書のなかから、プロ奢ラレヤーさんの考える「お金」「マインドセット」「人間関係」に関する話を3記事にわたってお届けします。

お金がなくても不安にならない理由

こんな生活をしていると『初対面の人に絶対に聞かれることリスト』みたいなものが徐々にできてくるんですが、特に多いのがお金のこと。

生活費とかどうしてるの? 今は良くても将来どうするの?」ってな質問です。

この問いに簡潔な答えを用意すると、「えー、何も考えてないっす」です。

多くの人は、不安になるらしい。しかし僕は銀行口座にお金がなくても「不安」になったことがありません。

それは僕が周りにいる人間や日本社会が用意しているセーフティネットにより、安心感を得られているからです。

お金を払わなくても、周囲の人間や仕組みによって、欲しいものはそれなりになんでも手に入る

そこにお金も内包されているから、実質お金を持っていなくてもいいわけです。だから特に不安にもならない。そういうロジックです。

もう2年以上こういう生活を続けているけど、1年前はフォロワーも少なかったし、有料noteの購読数も少なくて、正直まったく稼げていませんでした。でも当時から不安な気持ちや悲壮感みたいなものはありません。

僕は、今の日本ならどう失敗しても「死なない」、つまり生きていけると思っています。

人が生きていくには、最低限の「メシと宿」さえ何とかなればよくて、メシと宿は工夫次第で余っているものを人から貰うことができます。

僕の場合は少し極端な例ですが、食べものは奢ってもらえるし、ちょっと前までは定住せずにフォロワーの家を転々としていたので、お金を持つ必要性もありませんでした。

一度、貰うという発想で生きてみると、生活そのものには大してお金がかからなくなります。

生きるためのコストが最小限で済めば、無理にお金のために「何か」をする必要もない。

お金のために〜する」から解放されて、お金のことを考える機会すら減らすことができるんです。

お金の不安はいくら考えても無駄

お金のことを考えると漠然とした不安感を持つという人は、「お金」が足りないというより「安心」が足りていないわけです。

でも、たぶん具体的な不安要素がある人ってそんなにいなくて、ぼんやりと不安を抱えている人が多いんじゃないすかね。

そこで僕が言いたいのは、「漠然としたお金の不安って、考えてもどうにもなんなくない?考えて何かリターンある?」ってこと。

マネー本とか家計調査見てなんとなく焦って じゃあ今日から急に投資とか始めるの?って言ったら絶対みんなやらないじゃないですか。だったら考える時間そのものが無駄。

お金に振り回されて、毎日のちょっとした「楽しい」も消してしまう方が損だし、考えても考えなくても現状はたいして変わりません。気にするほうが僕は面倒くさいです。

銀行口座にお金がなくても、メシと宿さえあれば人間は生きられます。

今の日本ではよっぽどのことがなければ、死にません。もし稼ぐのが嫌なら、お金のかかる遊びをやめたらいい。

とにかく、今のところ僕は今日それなりのメシが食べられて、寝るところがある。自分にとって嫌なことをしないで、生きている。

それだけで十分満足して日々生活しているわけです。

サウナ付きタワマンに200万で住むのと、1日1万で通うのは同価値

僕は、昔から「これが欲しい」っていうのが全然ありません。

いわゆる “所有欲” が皆無なんです。

洋服はもちろんブランド品にも興味ないし、欲しいものとか聞かれてもパッと思いつかない。

僕はまったく同じ衣服を7着持っていて、日々ローテーションしています。なので、365日ほとんど同じ洋服を着て、同じニット帽を被っています。

靴下を履くのが苦手なので基本的に足元は下駄。冬は寒ければ国外逃亡します。

たとえば、めちゃくちゃいいサウナ付きタワーマンションとかがあるなら、正直「いいな」ってなるけど、そこに住んで家賃200万円払うよりは、普通に1回1万円払って毎日通うほうを選びますね。

「通う」ことは「所有」ではないけど、結果的には同じように使えるなら所有しているのと変わらないじゃないですか。

僕みたいに「持つ」ことに価値を感じていない人間にとって「所有」するのはコスパが悪いなーって思います。

これだけ世にサブスクリプションが定着して「借りる」「シェアする」が当たり前になると、当然そっちのほうが便利だなって人は増えてくるはずで。

所有って飽きるし維持費もかかるし、割高じゃないですか。

これまで「所有」に使っていたコストを他の部分に使えると考えたら、すごくお得ですよね。

つまり、みんなが持っていたから、なんとなく持たなきゃいけないような気がしていただけなんです。

僕は熱海が好きなんですが、たとえば熱海で100万円の理想的な空き家があったら買っちゃうかもしれません。

でもそれがどこにでもある良くも悪くもフツ~の家だったら、もう購入する理由を見つけるほうが難しいですよね。

車も服もブランドバッグも、別に「所有する必要はなかったんだ」って気付けたら、すごく楽になりませんか?

それでも「所有したい欲」が勝るのであれば、自信を持って買っちゃっていいものですよね。「これは所有すべきだ!」って思えるものは、迷わず手に入れたほうがいい。

選択肢が多い世の中になったことで、「そのモノにしか出せない価値」みたいなものが購入理由としてすごく大事になっているんです。

経済的に自立したいなら、実家を10か所つくる

経済的自立」は自由に生きるためにはすごく重要な要素です。

僕は「他人の金で生きていく」を掲げているというのに「経済的自立なんて何を言ってんだ」と言われてしまうかもしれません。

しかし、僕の言う「経済的自立」というのは、飯と宿の依存先を複数確保し、食うに困らない状態をつくることです。

最強なのは、実家が10か所あること。こうなればもう誰でも自立できます。たとえ9人に嫌われていても1人がギリギリ好きでいてくれていれば、どうにかなる。

一方で、「実家暮らし」はお母さんの機嫌を損ねたらもうそこで終わりだからダメです。

飯と宿はタダだから最高だけど、「お前やっぱ嫌いだから出てけ」って父親に言われたら一瞬で生活できなくなくなるので、それは本当に自由な生活が送れているとは言えません。

僕の経済的自立論でいうと、サラリーマンも自立の状態ではないんですよね。だって会社の社長に嫌われたら終わりだから。

毎月30万円もらってても、上司と何かあった瞬間に積み上げたものが0になってしまうわけじゃないですか。一つの会社、一つの世界に依存した状態。

これって安定的に見えて、すごく危険ですよね。

だから「会社」という糸を切られたときのために、糸が10本あるような状況をつくっておくといいということです。そうなれば、たとえ1本切られても平気です。

たとえば、すぐに別の会社に転職できるように日頃から人脈を繋いでおけば、その1人が自分の “糸” になってくれるかもしれない。「副業」するのも糸の一つですよね。

主婦だって、旦那に裏切られたら終わりだし、自分のスキルを何かしら持って職場を探しておくとか、旦那に経済的に依存しきらないっていう意識を持っているだけでも、精神が不安定になりにくいんじゃないかなと思います。

恋人との関係が泥沼化しやすいのは、互いの依存心が強くなるからじゃないですか。最初から薄い依存でたくさんの人と繋がっていれば、自立だって簡単なはずです。

僕はそういう糸を無限につくりたいと思ってネット上で活動しています。

なので、ツイッターで「お前嫌いだわ」とか、よく暴言を吐かれるんですけど、糸がたくさんある僕にとってはノーダメージなんですよね。経済的に。

これがもし、活動場所がツイッターだけに依存していて、ツイッター界の全員に嫌われたら、もうダメかもしれない。

でも僕にはnoteの購読者もいるし、Voicyっていうラジオ配信アプリの場もあります。メンタルの話って経済の上に成り立つものなので、メンタルを保つ意味でも経済的な依存先を複数持っておくことは大切なんです。

まずは、自分にとっての「実家」を10か所探してみましょう。

「嫌なことをしないだけ」で心が軽くなる生き方を知ろう

嫌なこと、全部やめても生きられる

嫌なこと、全部やめても生きられる

まるで直接話しかけてくるような言葉でつづられている同書。「あとがき」を見ると、本を書く作業さえも大変だから “やめちゃっ” と言っています。

「あきらめる人が無敵」「ドタキャンできる自由ゾーンをつくる」など、多くの人が囚われているあらゆる固定概念を、ことごとく捨てて生きているプロ奢ラレヤーさん。

彼の生き方は、「意識高く生きねば」と生きづらさを感じている現代人が、口にはしないけど“本能的”に欲している姿勢なのかもしれません。