佐渡島 庸平著『観察力の鍛え方』より
これからは、“あいまい”を受け入れられる人が求められる。観察力は「絶対」に抗う術だ
新R25編集部
『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』など数々のヒット作を手掛ける佐渡島庸平さん。
現在は「コルクラボ」で新人クリエイターの発掘・育成で、全世界で読まれる新しい形のマンガ開発に注力しています。
佐渡島さんがクリエイターからよく聞かれる質問として、「いいクリエイターの条件とはなんですか?」というものがあるそうです。
佐渡島さんによるその答えは「観察力」。
いいアウトプットをつくるためには、インプットの質を上げないといけないということです。
しかし、そもそも「観察力」とはどうやって鍛えるものなのでしょう…?
そのヒントを佐渡島さんの新著『観察力の鍛え方』より抜粋してお届けします。
記事末には、佐渡島さんからの「新R25ワイドショー」のお題がありますので、最後までお楽しみください!
観察とは、本能に抗おうとする行為
人は、わかりたい。
本当の正解などないとしても、正解の側に立ちたい。
あいまいさから抜け出したい。
バイアスにしても、感情にしても、意思決定を無意識で行うようにする行為だ。
できるだけ無意識で動きたいというのが人の本能なのだ。
本能は、人が無意識の自動操縦で生きられるように導いてくる。
観察とは、それらの無意識で行っている行為を、すべて意識下にあげること。
つまり観察とは、本能に抗おうとする行為だ。
既知のことを観察して、手放していくと、あいまいな世界になる。
正解などない世界になる。
あいまいな世界は、不安だ。
その状態で居続けるのは勇気がいる。
しかし、あいまいな状態になって、世の中を観察する。
自分の感情を観察する。
そして、自分の感情に従う。
それが、僕の目指している生き方で、世界をあいまいなまま味わうことにどうやったら慣れるのか、ということを考えている。
絶対の反対とは何か
僕が観察力を鍛えたいのは、わかりたいからではない。
わからずに、あいまいな状態のままでいるために、観察力が欲しいのだ。
1章で、「いい観察は、問いと仮説の無限ループが起きる」と定義した。
無限ループが起きていると、いつまでもわかった状態がこない。
「わかった!」と思っても、いい観察によって、すぐに次の「わからない!」がきてしまう。
いい観察が起きていると、自然にあいまいな状態にい続けてしまう。
いい観察では、絶対的な答えなど見つからない。
ここでまた『宇宙兄弟』のエピソードから考えてみる。
『宇宙兄弟』は、すごくリアルに登場人物の人生を描いている。
だから繰り返し読みながら、人生について考えることができる。
僕はもはや作品を編集しているのではなく、作品を通じて人生について振り返り、そこで感じたことを小山さんに伝えているような感じだ。
観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか
観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか
観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか
弟のヒビトは、自分の中に絶対があるという。
絶対をもっているヒビトは、一直線に夢に向かっていく。
一方、能力はあるけれど、ウジウジと悩んでばかりのムッタは、夢へと向かっていくことができない。
紆余曲折ばかりの人生だ。
しかし、困難にぶつかったとき、ヒビトは、パニック障害になってしまう。
絶対をもっていて、あいまいさがなかったヒビトは、自分の能力ですぐには越えられない壁にぶつかり、精神をコントロールできなくなる。
あいまいさをもったムッタは、どんな困難にも淡々と立ち向かい、一見無理そうにみえる困難も回避していく(ムッタの場合、困難を打ち負かすというより、回避するという言葉がぴったりくる)。
パニック障害だったヒビトは、NASAの宇宙飛行士という立場を捨て、日本人でありながら、ロシアの宇宙飛行士というなんともあいまいな立場になる。
そして、復活していく。
ヒビトの中から、絶対がなくなり、あいまいを受け入れたときに、ヒビトが立ち直れたというのは、とても示唆深いと僕は思っている。
小山さんは、「絶対からあいまいへ」などということを考えてストーリーを作ってはいない。
ただただ、リアリティのあるストーリーを模索したら、そのような展開になったのだ。
「絶対」の反対は「相対」ではない、「あいまい」と僕に教えてくれたのは、コミュニケーション論の研究者、若新雄純さんだ。
相対的とも、客観的ともちょっとニュアンスが違う「あいまい」。
若新さんは、福井と東京を行き来していて、自分がどこに住んでいるのか、福井の人なのか、東京の人なのか、あいまいな状態で、それが思考を刺激するという。
僕にも、地方移住を推薦した。
福岡移住は、若新さんによる居場所をあいまいにするすすめの影響も多分にある。
経営者になったばかりの頃、先輩経営者から『ビジョナリー・カンパニー』を薦められて読んだ。
ジム・コリンズ(著) 山岡洋一 (翻訳)『ビジョナリー・カンパニー』ビジョナリー・カンパニーは、この「ORの抑圧」に屈することなく、「ANDの才能」によって、自由にものごとを考える。
「ANDの才能」とは、さまざまな側面の両極にあるものを同時に追求する能力である。
AかBのどちらかを選ぶのではなく、AとBの両方を手に入れる方法を見つけ出すのだ。
ORで判断を繰り返していっても、会社は大きくならない。
ORでいる限り、会社の器は小さいままだ。
ANDの思想で、前に進んでいく。
一見、優柔不断にも見えるこの思想は、あいまいさのすすめでもある。
あいまいさを残したまま、どうやって実現していくのか。
現実が、ANDであるときに、会社という虚構だけORに逃げ込んでも、現実にうまく対応できない。
この本を初めて読んだとき、ANDを実現するアイディアを発明しろという話だと僕は理解した。
今は、あいまいさを受け入れる余裕をもてという話だと理解している。
多様性とはあいまいな世界
あいまいな思考法を受け入れることは、自分の生き方の個人的な追求というだけでなく、今の時代にあっていると僕は考えている。
19世紀のロンドン万博は、工業化社会の象徴だった。
それまではテーラーメイドで、一つ一つ違うのが当たり前だったが、工業製品として、スタンダードが求められるようになった。
万博は、最高のスタンダードを世界に披露する場だ。
人々は、スタンダードを手に入れたいと思った。
マイホームをもち、マイカーをもつ。
様々な家電をもち、休みの日には旅行をする。
理想のスタンダードを手に入れるために、高学歴を手に入れ、有名な会社に入る。
どうやれば、スタンダードが手に入れられるか。
スタンダードという「正解」が明確で、絶対的であれば、工夫をして、効率化をすることも可能だ。
僕たちは、工業化社会、資本主義社会を成立させるための正解を、自分の人生の正解と勘違いして、追い求めてきていた。
アナログ時代は、大量の情報を処理することができなかった。
だから、効率を求める中で、現実を扱いやすいように簡略化して、認識していた。
ネットが普及してから、大量の情報処理が行えるように、ロボットやAIが、人間の今までやっていたことを代替する。
そこで生まれた時間で、自分たちらしさ、あいまいさと向き合う余裕が社会全体に生まれている。
たとえばLGBTQは、昔からずっと存在していた。
しかし、社会がその人たちのことを意識する余裕がなかった。
男女という2つだけのわかりやすい概念で、あいまいさを排除することで、社会を運営していた。
当事者たちは違和感を覚えつつ、その感情を押し殺して、社会に合わせて生きなければならなかった。
現実には、あいまいさがあふれている。
それを社会の常識、既知の枠組みで見ている限り、そのあいまいさに気づくことはできない。
あいまいさは、自ら観察によって発見しにいき、そしてそれをあいまいなまま受け入れなければいけない。
多様性のある社会とは、あいまいさを受け入れる社会である。
頭では、理解できる。
しかし、実践していくとなると一筋縄にはいかない。
いまだに社会は、スタンダード(標準化)とダイバーシティ(多様性)の間を揺れ動いていて、変化の時期だ。
学校教育においても、仕事においても、一般的に今までは「わかる」はいいことだとされてきた。
「物分かりが良い」「理解が早い」「飲み込みが早い」は褒め言葉として使われる。
スタンダートを目指すのなら、同じことを繰り返していくので、仕事は定型化される。
定型化された仕事を「わかる」の価値は高い。
正しい手順がわからないと作業ができないからだ。
作業の場合、アウトプットを見れば、わかってるかどうかは一目瞭然となる。
わかっている人が、わかっていない人を採点することができる。
学校教育で言われる「わかる」とは、基本的に作業の手順を「知っている」ことを意味する。
知りさえすれば、わかるになり、社会の中で価値をもつ。
司法試験も、医師国家試験も、国による様々な資格は、知っているかどうかを確認するものだ。
ネットにより知っていることの価値が下がり、同時にわかることの価値も下がった。
あいまいな状態、わからない状態で、どう思考し、行動するのかの価値が、相対的に上がってきている。
しかし、学校、仕事で染み付いた思考習慣は、簡単に捨てられない。
大学に入学してすぐ、教授にこんなことを言われたことを覚えている。
「18歳の君たちは、世の中でもっとも保守的です。教科書に書いてある『わかったこと』ばかりを頭に詰め込んでいる。でも、革新的なことを考えるには『わからないこと』を学び続けないといけない。大学とは、わかったことを教える場ではなく、わからないことを一緒に学ぶ場です」
この言葉の意味をずっと僕は考えていた。
それでもやっぱり「わかった」を追い求めることがやめられなかった。
編集者として、本が売れることは、わかりやすい正解だ。
その正解を手に入れるために、いろいろと工夫を続けた。
ずっと正解を思い求めていた。
40歳になったときに、なぜ論語で「不惑」というのだろうかと考えた。
自分は惑わなくていいような正解を知らないと思った。
でも、ふと、そうではないかもしれないと気づいた。
あれが正解かもしれない、これが正解かもしれない、と惑わなくなる。
それは、絶対的な正解を手に入れるということを意味しない。
まったく逆で、「わからないこと」「あいまいなこと」を受け入れられているから、惑わず、なのだ。
正解を思い求めるのをやめること。
わからないに向き合い続けるのが、不惑、40歳頃なのだ。
編集者が作った本が売れるのも、結果であって、目指す正解ではない。
あいまいさを受け入れ、わからないと向き合うとは、目的を手放すことでもある。
目的があると、目的が正解になる。
わからないへの向き合い方だけに集中する。
起きることは、すべてその向き合い方の結果だ。
結果を見て、向き合い方を変える。
結果を目的にしない。
「わかる」は全く理想の状態ではない。
「わかる」から遠ざかろうとして、世の中を観察すると、違う世界が見えてくる。
新R25ワイドショーで、佐渡島さんからのお題に投稿しよう!
「新R25ワイドショー」では、編集部が毎日1~2個更新するこだわりの「テーマ」に対して、アプリから会員登録したユーザーが自由に自分の知見を回答することができます。
今回は特別編として、佐渡島さんが「テーマ」出題者となります。
仕事やプライベートでも「白黒つけられない」ことは多々あります。
「わかる」から遠ざかることで、その問題はどのような見え方に変わるのか? ぜひその経験を投稿してみてください!
※テーマに回答するためには新R25アプリのダウンロードが必要です
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