ビジネスパーソンインタビュー
日本マクドナルド著『日本マクドナルド 「挑戦と変革」の経営』より
マーケットとお客さまの変化に敏感になる。日本の景気に適応してきたマクドナルドの大胆な3つの戦略
新R25編集部
2021年7月に創業50周年を迎えた日本マクドナルド。
順風満帆のように見えますが、デフレ不況やバブル崩壊、新型コロナウイルスの感染拡大など、さまざまな課題に直面。
そのたびに、変化するマーケットやお客様に向きあった施策を実践して、困難を乗りこえてきました。
今回は、日本マクドナルド株式会社の著書『日本マクドナルド 「挑戦と変革」の経営 “スマイル”と共に歩んだ50年』より、歴代のマーケティング施策について抜粋して紹介。
時代の変化に合わせて展開してきた、大胆な施策に注目です!
この記事はこんな人におすすめ(読了目安:5分)
・マクドナルドの繁栄の秘訣を知りたい人
・日本マクドナルドの経営に興味がある人
・ヒットを出したいマーケター
3年経てば、マーケットとお客様は変化する
マーケットの多様性とお客様の変化という観点で興味深い事例があります。
マクドナルドはこれまで40年以上もドライブスルーのノウハウを蓄積してきたので、企業としてもある程度の自負があります。
しかし、こんな事例がありました。
1994年に茨城県内のショッピングセンターにオープンした小型のドライブスルー店のセールスは好調で、地元のお客様にはよくご利用いただいていました。
そして2015年に、キャパシティを拡大するために店を閉め、通りの向かいに大型のドライブスルー店をオープンしました。
するとオーナーオペレーター(フランチャイズオーナーと同義)にとって、にわかに信じがたいことが起こりました。
20年前からドライブスルーの店舗があったにもかかわらず、初めてドライブスルーを利用するお客様がたくさん来店されたのです。
上下の車線が変わったからなど、いろいろな理由が考えられますが、このケースが示しているのは、マーケットはいつも変化し、私たちが思っているほどお客様は店舗に関心がないということでした。
新店の告知活動を改めて大々的に行ったことで、初めてドライブスルーの存在を知ったお客様がたくさん来店されたのですから、継続した店舗の告知活動がいかに重要かがよくわかります。
認知率が高く、長年大勢のお客様にご来店いただいていると思っていたのは、企業側の論理や認識でしかなかったということです。
オープンした年代にかかわらず、既存店舗のマーケットやお客様の動向は常に変化しています。
現状に満足していてはいけないことを、改めて思い知らされたできごとでした。
つまり、3年も経てばマクドナルドの店がどこにあるのかを知らないお客様がいらっしゃるということです。
「店舗をご存じないかもしれない」を前提に、告知活動などを地道に行い、マーケットの変化に対応することで初めて、店舗のポテンシャルを引き出すことができるのです。
施策① 円高の差益還元した“サンキューセット”
1980年代を象徴する大ヒット商品が「サンキューセット」です。
1987年1月、日本マクドナルドはハンバーガー+マックフライポテトSサイズ+ドリンクを390円で提供するセット商品「サンキューセット」を販売しました。
それまではそれぞれ単品で買うと520円だった価格を、感謝の言葉「サンキュー」にかけて390円のセット価格に設定したところ、爆発的なヒットを記録。
この年の「新語・流行語大賞」の大衆賞にも選ばれました。
「サンキューセット」の企画は、それまで1ドル240円程度だった為替相場が120円まで円高が進行したことから、お客様に差益を還元しようという考えでスタートしました。
ハンバーガー+マックフライポテトSサイズ+ドリンクというセットメニューにしたのは、過去の実績からお客様の7割がこの3点をいっしょに購入していることがわかったためです。
当初は1月23日から3月19日までの約2カ月間に限って販売する計画でしたが、反響が大きく、「もっと続けてほしい」という要望が多く寄せられたため、一部内容を変更して6月8日から8月16日まで再度実施しています。
しかし、人気はいっこうに下火になる気配がありません。
また、円高傾向が進んで輸入原材料の仕入れ価格が下がったこともあり、さらに何回かの販売を繰り返しました。
結局、1987年の1年間のうち、209日間も「サンキューセット」を販売した計算になります。
施策② デフレ不況には“PMO戦略”
1号店のオープンから6年後の1977年には、車に乗ったままで商品を購入できるドライブスルー方式を採用した、これまでにない大型の店舗、環八高井戸店(東京都)をオープンしました。
車がハレの日の乗り物ではなく、日常的な交通手段に変わりつつあった時代に登場したドライブスルー方式の店舗は、「車で便利に買い物をしたい」「気軽に食事を楽しみたい」というお客様の新たなニーズに応えた業態です。
モータリゼーションと核家族化の加速を予見し、時代の流れにふさわしいビジネスモデルに変革したのです。
しかし、順調だったドライブスルー店舗の出店が止まりました。
そのような状況の中、90年代に入ると新たな出店戦略を展開しました。
バブル経済が弾け、デフレ不況といわれたこの時期に出店可能なロケーションがマーケットに現れてきたのです。
このような状況で、日本マクドナルドはまたしてもビジネスモデルの変革に踏み切り、市街地、ロードサイド、ショッピングセンターとの提携など、スピード感をもって店舗展開を進めました。
すでにアメリカで先行導入されていたサテライト(衛星)出店です。
従来型の出店モデルから、小型のドライブスルー店とサテライト店による出店を進めて、マーケットの売上と収益を最大化する新たなビジネスモデルで、「PMO(Profitable Market Optimization)」と呼ばれた出店戦略です。
小型のドライブスルー店を母店として、その周りに小さなサテライト店を出店しました。
マーケットを中心点ではなく面でとらえて、マーケット内のセールス最大化を目指すビジネスモデルです。
このようにどんなマーケットでも売上と利益を最大化できるPMO戦略で、積極的な出店とビジネスモデルの変革を目指しました。
この戦略によって、これまでならポテンシャルがなく、出店が難しいとされていたロケーションにも出店が可能となりました。
この戦略転換により、出店候補のロケーションも一挙に増加しました。
施策③ “強襲作戦”いつでもどこでもお手軽に
1990年代になると、価格戦略についても大きな変化がありました。
それまで膨らみ続けていたバブル経済が崩壊し、国内には不景気の波が押し寄せました。
その中で、デフレ社会の到来を予測した日本マクドナルドは1994年、円高傾向の中、いつでも手頃な価格で食事をお楽しみいただける新たなセットメニューを打ち出します。
バーガー、マックフライポテト、ドリンクのセットを400円・500円・600円という三つの価格帯で打ち出す「バリューセット」です。
期間限定のキャンペーンではなく、いつでもお得感を感じていただけるこのバリューセットは、バブル崩壊のあおりを受けて財布の紐が固くなったお客様からも絶大なる支持をいただきました。
さらに、その翌年の1995年には、象徴的な商品の価格を突然大幅値下げする“強襲作戦”を決行しました。
ハンバーガーは210円から130円、チーズバーガーが240円から160円、ダブルチーズバーガーが350円から270円へと値下げされ、その後すべての商品の値下げが実施されました。
お得感を打ち出すキャンペーンと積極的な店舗展開によるマーケットシェアの拡大で利益を伸ばし、さらに2000年にはハンバーガーの平日半額キャンペーン「ウィークデースマイル」を打ち出し、最高益を更新します。
そして2001年7月には東証JASDAQ市場に上場を果たしました。
スマイルとともに歩んだ50年に密着した一冊
現在は全国に約2,900店舗を運営している日本マクドナルド株式会社。
「おいしさと笑顔を地域の皆様にお届けすること」を存在意義に掲げているほど、“笑顔”を大切にされています。
同書では日本マクドナルド初の公式ビジネス書として、笑顔にこだわり続ける意味やその裏側にあった危機についても赤裸々に公開。
トップであり続ける日本マクドナルドの成長への道のりを覗いてみてはいかがでしょうか。
ビジネスパーソンインタビュー
またスゴいことを始めた前澤さんに「スケールの大きい人になる方法」を聞いたら、重たい宿題を出されてしまいました
新R25編集部
【不満も希望もないから燃えられない…】“悟っちゃってる”Z世代の悩みに共感する箕輪厚介さんが「幸せになる3つの方法」を伝授してくれた
新R25編集部
「実家のお店がなくなるのは悲しい… 家業を継ぐか迷ってます」実家のスーパーを全国区にした大山皓生さんに相談したら、感動的なアドバイスをいただきました
新R25編集部
「俯瞰するって、むしろ大人ではない」“エンタメ鑑賞タスク化してる問題”に佐渡島庸平が一石
新R25編集部
社内にたった一人で“違和感”を口にできるか?「BPaaS」推進するkubell桐谷豪が語るコミットの本質
新R25編集部
【仕事なくなる?そんなにすごい?】“AIがずっとしっくりこない”悩みへのけんすうさんの回答が超ハラオチ
新R25編集部