ビジネスパーソンインタビュー
鹿毛 康司著『「心」が分かるとモノが売れる』より
エステーはなぜコロナ禍で「除菌」を訴求しなかったのか。売り上げより大切な“企業の人格”とは
新R25編集部
モノやサービスは日々新しく誕生しています。
そんななかで「自分たちの商品は、競合よりも優れているはずなのになかなか売れない…」と悩むビジネスパーソンも少なくないはず。
それに対し
「心」がわかるとモノが売れる人は、論理的に行動するわけではありません。自分では論理的に行動していると認識している瞬間でさえ、『心』が何かしらの影響を与えています
と話すのは元エステー株式会社宣伝部長の鹿毛康司さん。
鹿毛さんは、2011年に社会現象を巻き起こしたエステーの「ミゲル少年と西川貴教の消臭力CM」をはじめ、数々のヒットCMを生みつづけたクリエイティブディレクターです。
5月に発売した鹿毛さんの著書『「心」が分かるとモノが売れる』では、モノを売るために忘れてはならない人間の「感情」について教えてくれています。
自分たちの商品を、「感情」で選んでもらうにはどうしたらいいのか?
鹿毛さんのエステーでの経験談より、その答えを抜粋してご紹介します。
ビッグデータを超える
従来のマーケティング手法を超えて、「お客様の心」を深く理解するにはどうすればよいのでしょうか。
ビッグデータなど最新のマーケティング手法を用いれば可能だと思われる方もいるかもしれません。
確かに、近年ではさまざまな分野でビッグデータの活用が進んでおり、マーケティングも例外ではありません。
インターネット系サービスの利用データやレジなどから取得したPOS(販売時点情報管理)データなどに蓄積された膨大な顧客データを取得し、分析することで顧客行動や購入履歴などを知ることができます。
今や、市場の動向や顧客ニーズの変化をリアルタイムで追うことも可能な時代となりました。
ただし、ここで注意しなければいけないのはビッグデータは、あくまでも「既に起きたこと」の軌跡を追っているのにすぎないという点です。
過去から連なる連続的な変化には対応できますが、突発的・不連続な変化となると予測がつきません。
決まりきったパターン、あるいは変化の兆候らしきものをあぶり出すことはできても、世の中の急激な変化には対応しきれないのです。
自分を取り巻く世界が、ある日突然変わってしまうと、最新のマーケティング手法ですら頼りにならなくなる。
私たちはその衝撃を2011年の東日本大震災で経験し、2020年からの新型コロナウイルス感染症の拡大で再び同じような状況に直面しています。
コロナ禍なのに「除菌」を訴求しなかった理由
コロナ禍はさまざまな企業活動に影響を及ぼしています。
私がクリエイティブディレクターを務めるエステーも例外ではありません。
世界的な感染拡大の影響で、2020年2月に海外から調達予定だった新商品の原材料が手に入らなくなり、マーケティング戦略を大きく変更せざるを得なくなりました。
テレビCMをはじめとする広告枠は既に買い付けており、撮影日も確定しています。
当初予定していた新商品に代わって、どの商材をプロモーションすべきか。
すみやかに、決断しなくてはなりません。
エステーの商品の多くは除菌効果があります。
コロナ禍で「除菌」を強く打ち出せば、売れる可能性が高いでしょう。
しかし、それでは短期的な収益は得られても、中長期的に見ると、お客様からの信用を失うリスクをはらんでいます。
私自身もそうですが、有事のときほど人の心は敏感になります。
新型コロナウイルスに便乗してもうけようとしている気配を感じたら、お客様の心は確実に離れていきます。
「法人」という言葉にあるように、企業も人格を持っています。
単に、商品の価値やベネフィットを情報として届けるだけでは「人としてどうなのか」と思われることは避けられない。
こういうときだからこそ、人に寄り添った、広告クリエイティブが求められるのです。
心を動かしたCMの誕生
私が決断を迫られていた2020年2月の時点では、国内の感染者数こそまだ少なかったものの、マスクの価格は高騰し、事態が深刻化する予兆が見え隠れしていました。
私自身も在宅勤務が続く中、頭をグッと抑え込まれるような感覚を何度となく経験しています。
不安になって医療機関で受診すると「ストレスによるもの」と診断されました。
自分では前向きに、陽気にやっているつもりでしたが、知らず知らずのうちに気が滅入っていたのだと、突き付けられたような思いがありました。
そこで「空気を変えよう」というメッセージをCM作りの軸に据えようと思い立ちます。
この空気を変えようは、エステーの主力商品である消臭剤「消臭力」のコアな価値であると同時に、今まさに世の中に広がりつつある閉塞的な空気を払拭しようというメッセージにもつながるのではないかと考えたのです。
エステーの鈴木貴子社長に相談すると、すぐさま「こういうタイミングだからこそ良いコマーシャルを作りましょう」と決断してくれました。
2020年4月に放送した消臭力のテレビCMは、巻物を手にしたアーティストの西川貴教さんが街から田舎道を駆け抜けて断崖絶壁に到達し、「空気を変えるぞ」と叫ぶというものでした。
「心」が分かるとモノが売れる悲しいときは泣けばいい
ただ明日の朝には
笑ってる君がいてほしい
あー君に伝えたいんだ
あーこれを伝えたいんだ
空気を変えるぞ
消臭力
なぜ、「空気を変えるぞ」という強いメッセージを打ち出したのか。
実は、出演者である西川さんにはその意図を詳しくお伝えしていません。
しかし、西川さんは明らかに意図を理解されていて、いつにも増して真剣な表情で思い切り走り、足場の悪い場所をも駆け抜け、思い切りセリフを叫んでくれました。
西川さんの“人”としての熱い気持ちも映像には込められている。
だからこそ、多くの人の心を動かす、CMソングと映像になったのだと思います。
こうしたことはなかなか起こりえないことです。
西川さんが力強く「空気を変えるぞ」と歌った消臭力のテレビCMが放送された直後、ツイッターにはたくさんの感想が寄せられました。
「心」が分かるとモノが売れる「音楽を聴く余裕がなくなっていたことに気付き、子供と一緒に歌ったら涙が出た。心が疲れてきている今このCMを見れてよかった。空気を変えるぞ」
「笑いたくなったら笑う!怒るときは怒る!泣きたくなったら泣く!自粛だからって感情を出すことまで自粛しなくていい!」
有事のときほど、お客様の「心」は変化する
しかし、その後ほどなくして、世の中の空気はまた大きく変わっていきます。
政府による、初めての緊急事態宣言の発令、「生活の維持に必要な場合」を除く外出自粛要請、学校や映画館などの休校・休業、イベント開催の制限の要請。
県をまたぐ移動の制限、リモート勤務など次々に感染対策が打ち出されました。
感染防止拡大の観点から提唱された「新しい生活様式」は、広告制作の現場にも影響を及ぼしました。
広告業界ではさまざまなガイドラインが作られています。
その内容には制作現場のスタッフや出演者を守るものはもちろん、「世の中の空気に沿わない表現をしないため」の暗黙の了解も含まれています。
例えば、こんな内容です。
「心」が分かるとモノが売れる・大人数が集まる表現(飲み会、居酒屋、スーパーマーケットなど)には感染リスクがあるため、注意が必要である
・新型コロナの感染拡大に伴い、亡くなった方もいるため、「おめでとうございます」「お祝いです」といったメッセージには配慮が必要である
・同じ空間内に2人以上の出演者がいる表現は、感染リスクがあるため、配慮が必要である
これらのさまざまなガイドラインを背景に、テレビでは遠隔出演が一般的になり、音楽ライブイベントは中止あるいはオンライン配信に替わっていきました。
報道は新型コロナ一辺倒です。
世間の空気は「正論」一色となり、新型コロナ陽性者はバッシングされ、感染リスクも顧みずに里帰りした人は非難を免れません。
そして、高校生たちが明るく元気に歌い、踊るテレビCMはネットで炎上しました。
論理的に考えれば、新型コロナの感染リスクを下げるにはできるだけ外出を避けるのが正しいし、飲み会に行っている場合ではない。
私自身もそれが正しいと思っているし、社会のルールに従っているのだけれど、心の奥底では納得できず、不満に思っている。
どこか無理やりに不条理を押しつけられているような心持ちがそこにはあったのです。
こうした中、エステーの冷蔵庫用消臭剤「脱臭炭」のテレビCMの制作がスタートします。
打ち出したメッセージは「不条理な心を溶かすために、何気ない生活を楽しもう」です。
広告クリエイティブでは底抜けに明るくて、能天気。
見てくださった方がほんの少しでも、不条理な気持ちから解放されるようなものにしよう。
広告制作のガイドラインに従って制作されていますが、広告クリエイティブでは、世の中で語られていた正論をそのままうのみにはしていません。
有事のときだからこそ、「有事で変化した、お客様の心」に徹底的に寄り添う姿勢を目指しました。
世の中に「△△だから、◯◯すべき」という正論があふれ始めたときは注意が必要です。
違和感を覚えても、正論を持ち出されると反論しづらい。
多くの人が本音を押し殺し、本当は納得していないのに「しょうがないことだよね」と自分をなだめてしまいます。
何の疑いもなく、素直に従ってしまう人も大勢います。
でも、そこで語られている「正論」は本当に正しいことなのでしょうか。
「それって本当?」と今一度問い直し、考えたうえで行動を起こすことが大切なのではないかと考えています。
人は理屈ではなく、心で動いている
「心」が分かるとモノが売れるマーケティングとは何か。
それは最も人間らしい、人と人との愛情のやりとりなのだろうと思うのです。
と鹿毛さんは語っています。
同書では、「心」を重要視したマーケティング方法から、思いやりあふれるエステーCMの裏話まであますことなく紹介されています。
マーケティングのノウハウよりも大事な「消費者の心」について考えさせられる同書は、これからモノを売るときに必要になるはずです。
〈カメラマン=山田愼二〉
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