堀江貴文著『非常識に生きる』より
家も車も買いまくってたけど…ライブドア事件ですべてを失った堀江貴文が語る「所有欲の正体」
新R25編集部
「非常識は、誇りある称号だ」
実業家・堀江貴文さんの主張です。
ロケットの打ち上げや和牛ビジネスの海外展開など、やりたいと思ったことを次々と実行できているのは、「素人ができるわけない」「やめた方がいい」という言葉に一切耳を貸さなかったからなんだとか。
周囲の意見に屈することなく生きるにはどうすればいいのか?
堀江さんの著書『非常識に生きる』から、他人に縛られずに自分の人生を歩むための「非常識な生き方」について一部抜粋。
「子供のまま生きること」「所有欲の正体」「人間関係のコツ」について3記事でご紹介します。
所有欲は、人を幸せにしない。
若い頃から、僕にはほとんど所有欲がない。
車に家、高級スーツに時計、貴金属、有名なアート、トロフィーワイフ...
多くのいわゆる金持ちが求めている、「自分の成功を象徴する」ような実体物を、ひとつも持ちたくない。
唯一と言える所有欲は、スマホぐらいだ。
仕事や遊びに、いまのところ最も役立つからだ。
けれど、もしスマホ以上に、僕のいまの暮らしを最適化させてくれるツールが出現したら、スマホも秒で捨ててしまうだろう。
かつて持っていたもので割と大きなスケールだったのは、プライベートジェットだろう。
資産家の自慢として買ったのではなく、シンプルに海外移動が便利だったからだ。
いまはホンダジェットを、知り合いとシェアして使っている。
シェアで用が足りるなら、自分で買って持とうとは絶対に思わない。
そもそも、スペースを取られるものを、なぜみんな欲しがるのだろう。
持つことによる喜びや安心は、果たして本物なのか?
持っているものが、いつまでもそこにある保証は、誰がしてくれるのか?
所有するという欲望の根本的な理由は、何なのか?
まるで、哲学問答だ。
所有欲は、状況によっては行動のモチベーションにもなるだろう。
でも所有欲が、人を幸せにすることはない。
あるとしても一瞬だ。
僕もかつて、所有欲にとらわれていた時代を過ごした。
家も車も、ブランド品もワインも腕時計も、買いまくった。
でも、その欲はすぐに満たされた。
所有しなくても自分を豊かにしてくれるいろんなものを見つけて、いまはもっと楽しく暮らしている。
いままで持っていなかったものを努力して持てたとき、その瞬間は満たされる。
しかし、勘違いしてはいけない。
それは「獲得」の喜びであって、「所有」とは違うものだ。
この2つは似て非なるもの。
混同してはいけない。
獲得は、考え方によっては報酬となる。
ノルマ達成や借金返済、投資回収などビジネスにおいての積み上げは、大事な獲得の作業と言えるだろう。
しかし所有は、報酬ではない。
所有はリスクとなる。
喪失の不安、管理の手間、執着心と、ネガティブな感情を抱えることになる。
本棚に飾っておいたり、クローゼットにしまっておける程度の大きさのものならいいけれど、持ち運びに難儀したり、持っているだけで出費を強要されたり、何らかの制限が付随してくるようなものは、存在自体がリスクでしかない。
いったん所有欲に縛られると、「あれが欲しい」「これも手に入れたい」と所有物のために働くようになり、自分のやりたいことに集中できなくなる。
所有物が価値を判断する基準となるので、自分が持っていないものを持つ人をねたんだり、ものを失うことを恐れたりと、心は休まらなくなる。
いま大事にしているもので、少しでも重さが気になれば、思いきって捨てよう!
そうすれば、新たな行動の意欲を得られるはずだ。
本当に欲しいモノがはっきりすれば、捨てられる。
モノにこだわったり、捨てられないのは、欲しいモノが明確ではないからだ。
大して欲しくもないモノに囲まれていることで、欲しいモノをわかっていない自分の不充足感から、逃げている。
モノをたくさん持ち、偽物の安心を得ていると言える。
僕は昔、創業した会社の名前を捨て、ライブドアに社名変更した。
当時はライブドアの方が、ブランド価値が高かったからだ。
創業社名に愛着はないんですか?
と言われたが、逆に不思議だった。
本当にやりたいことを進めていくのに、ライブドアの方が断然、都合がよかった。
古い社名への愛着とか、どうでもいいんじゃないか?
欲しいモノがはっきりしていれば、何だって捨てられる。
チャック・パラニュークの小説『ファイト・クラブ』の一節に、こう書いてある。
『非常識に生きる』より「欲しいものがわからないと、本当には欲しくないものに包囲されて暮らすことになる」
「すべてを失ったとき初めて、自由が手に入る」
文字どおり、僕はかつて、ライブドア事件ですべてを失った。
だからこの一節の真実味が、痛いほどわかる。
すべてを失った瞬間は辛い。
しかし、モノでは満たせなかった自由を、力いっぱい抱き締めることができた。
それは真実だ。
僕は、モノの呪縛を解いて、動き続ける。
安定じゃなく、刺激あふれる世界にいたいからだ。
古い常識に、とらわれたくない。
立ち止まりたくないのだ。
東大に受かった18歳のときから変わらない生き方だ。
あなたにだって、できる。
迷わず「捨てる」生き方は、決して難しくない。
何が欲しいのか?
明確にできれば、自分という概念を、どこまでも遠くへ飛ばせるのだ。
モノ自体に、目的はない。肝心なのはモノが運んでくる“体験”。
所有することの目的とは、モノを持ち、モノの用途を使うことで得られる利便性や娯楽性だ。
美術品や装飾品のように、持つこと自体に目的があるモノもあるが、それも誰かに見せて自慢したいとか、コレクター心が満たされるとか、所有する行為の先の反応に、的が置かれていると思う。
少し考えただけで、わかるはずだ。
モノ自体に、目的はまったく付随しない。
例えばCDは、iTunesの登場で短期間に駆逐された。
「欲しいのは盤面ではなく音楽だ」という本質的な目的に、みんなが気づいたからだ。
CDそのものには、何の価値もない。
ただの記録媒体だ。
音楽が記録されていなければ、円盤のゴミだ。
長い間、僕たちは、モノが運んでくる体験に、お金を払ってきた。
けれどスマホが普及したことで、体験はモノを介さずとも、楽しめるようになった。
モノに縛られていた体験は、テクノロジーの進化によって、自由になったのだ。
僕たちは、その体験を分け合える。
体験は、独り占めするものではない。
シェアした方が、出会いや信用評価が掛け合わさり、楽しみのバリエーションは増える。
体験の楽しみを最大化していくためには、昔はある程度のお金が必要だった。
モノを買い、所有する必要があった。
けれど出費と置き場所を誰かと分担し合えば、同じぐらいの楽しみを安価で、手軽に得られる時代になってきた。
お金は、それほどいらない。
大事なのは、体験を取りにいく情報力だ。
モノを大事にすることは悪くはないが、モノにとらわれては無意味だ。
肝心なのは、モノが運んでくる体験だ。
欲しいモノは即買いで、楽しんだ後は軽やかに手放し、価値観のアップグレードをしていこう。
非常識を貫いたほうが、速く成長できる
『非常識に生きる』自由に生きている人に対して「もっと常識をわきまえなさい」と、人は言う。
しかし、その常識を守っていればいいことがあるのか?
守らず“非常識”に振舞うことは間違っているのか?
答えはどちらも「ノー」であり、自分のやりたいことを見つけ出し、大きなチャンスをつかむには、知識とか人脈とか運ではなく、非常識への踏み出しが大事である。
“常識に囚われない生き方”について書いた堀江さんの著書『非常識に生きる』。
「一歩踏み出す勇気がほしい」というビジネスパーソンの背中を押してくれるはずです。
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