ビジネスパーソンインタビュー
過剰に反応しすぎることが、結果的に分断を生む
声をかけるべき? そっとしておくべき? 乙武さんに障害者への接し方を相談してきた
新R25編集部
障害のある方と話すとき、戸惑ってしまうことはありませんか? 気を遣った方がいいのか、それとも限りなくフラットに接したほうがいいのか…。
自分が当事者になれないからこそ、正解がわからない。
健常者は障害を持つ人をどう受け止めて、どう接していけばいいんでしょうか。そんな疑問を乙武さんにぶつけてみました。
〈聞き手:宮内麻希(新R25編集部)〉
障害者だけではなく、一人ひとりがみんな特別だという意識を持ってほしい
宮内
実際に障害者の方を目の前にすると、声をかけること自体が“特別視”になるんじゃないかとモヤモヤして、結局何もできずにいたり、うまく関われなかったり…
私たちはどう対応するのが正解なんでしょうか?
乙武さん
僕は「どうしたらいいですかね?」ってストレートに聞いちゃえばいいと思うんですよね。
「自分はあまり障害者の方と接した経験がないんですけど、あなたはどうされたら嬉しいですか?」と素直に。
健常者にもポジティブな人とネガティブな人がいるように、障害者でも手伝ってほしい方もいれば、弱者扱いされたくない方もいますから。
宮内
でも、その質問自体が「障害者」と「健常者」をカテゴライズしているような気がしてしまうんです。
乙武さん
そこはもう、「“障害者”とどう接するべきか?」という問い自体を変えていく必要がありますよね。
たとえばですけど、会社で新しいチームができて、宮内さんが唯一の女性だったとします。そこで宮内さんが上司に「このチームは、女性に対してどう接したらいい?」って聞かれたらどう思いますか?
宮内
それは…(笑)。私が全女性の代表ですか?と荷が重いですね。
乙武さん
でも、「宮内さんはどう接してもらいたいですか?」なら、違和感はないですよね。
宮内
はい。
乙武さん
それと同じです。「乙武さんはどう接してもらいたいですか?」って聞いてもらえたらうれしい。個人を主語にしてどう向き合うのかを考えてもらえれば、お互いに気持ちよくコミュニケーションできるじゃないですか。
これ、健常者が相手ならみんな当たり前にやってると思うんですけどね。
宮内
たしかに…そうですね。
乙武さん
あと、ありがちなのが、たとえば新入社員3人のうちの1人が車椅子だったときに、その人だけを個別に呼び出して、「いろいろ大変なこともあると思うけど、手伝ったほうがいいことがあったらいつでも言ってね」と対応すること。
宮内
それ、悪気なく自然にやっちゃうと思います…
乙武さん
そういうときは、3人同時に呼び出して同じ問いを投げかけたらいいと思うんですよ。
障害がなくたって新人なんてわからないことだらけで、フォローしてもらいたいこともあるはずだし。障害者側もそういう対応を見ていれば、「俺に対してだけじゃなく、全員にそういうことを気遣える職場なんだな」って素直に思えるじゃないですか。
障害者だけが特別なのではなく、一人ひとりがみんな特別だという考え方のほうが職場が円滑に進むのではないでしょうか。
過剰に反応しすぎることが、結果的に分断を生む
宮内
あと、コミュニケーションのなかで地雷を踏まないかも心配です。
たとえば、目の見えない人と話しているときについコンタクトの話をしてしまって、気まずくなったり。
乙武さん
日本ってそういうところに過剰反応しすぎなんですよ。そんなの問題ないし、気にしなくていいと思いますよ。
以前、森三中の大島(みゆき)さんが、『世界の果てまでイッテQ!』で出産シーンを放送したの覚えてます?
宮内
話題になりましたね。同時に、「産めない女性に対して配慮がない」と批判も多かった記憶があります。
乙武さん
それを言い出したらキリがないんですよね。だってたとえば、今日にも失恋する人って大勢いるわけじゃないですか。
そういう人たちにも配慮したら、「じゃあもう世の中の恋愛ドラマ、全部禁止にする?」ってなっちゃいますよ。
宮内
たしかに(笑)。
乙武さん
これ、障害者とのコミュニケーションでも同じです。目の見えない人の前で「コンタクト」という言葉を出すことに敏感になってしまったら、極論、目の見えない人たちだけの世界で生きていくしかなくなりますよね。
それって、健常者と障害者がはっきりと分断された社会ってことじゃないですか。そんな世の中、誰が幸せなんですかね?
乙武さん
根本的には、健常者も障害者も交わる社会のほうが自然だと思うんですよ。
だから「多少のハレーションを生んででも、一緒の社会にいる努力をしようよ」というのが僕の想いです。
宮内
なるほど。たとえば、乙武さんはTwitterのアイコンがだるまじゃないですか。
宮内
こういうの、イジったりしてもいいんですか…?
乙武さん
僕は全然いいですよ。もちろん僕みたいな人だけではないけれど、イジってもらえるようにあえて下ネタを言ったりする障害者もいるということを知ってほしいです(笑)。
だからといって、障害者全員をイジっていいというわけではない。もちろん気にされる方もいますから。あくまで「僕は」大丈夫だという話です。
24時間テレビに感動するのは当たり前。ただ、それがすべてじゃないことを知るべき
宮内
もうひとつ気になるテーマがありまして…
最近は障害者をテレビで感動的に取り上げることが批判されるようになってきているじゃないですか。「24時間テレビは感動ポルノ(※)だ!」と。
でも正直なところ、それを見て感動してしまう自分もいるんです。
※感動ポルノとは、自身も障害者であるジャーナリストのステラ・ヤング氏がつくった造語。この場合の「ポルノ」とは、「感動」という快感を煽り立てるための消費対象として利用されているという意味。
乙武さん
障害者が何かを頑張っている姿を見て感動するって、人間として自然なことだと思うんです。
僕自身も何かに取り組む姿を周りの人から感動されるのが本当に面倒だと思ってたんですけど、数年前に鏡を見せられるような経験をして。
宮内
鏡を見せられるような経験…ですか?
乙武さん
東日本大震災の直後、東北を回って復興に向けて前向きになっている人たちと話をする機会があったんですけど、そのときにすごい感動し“ちゃった”んです。
でも、被災者の方は別に僕を感動させたくて前向きになってるわけじゃない。自分がやりたいことをやっているだけなのに、周りが勝手に物語をつくって、感動を受け取っているんですよね。
乙武さん
そこで気がついたんです。「あれ、これっていつも自分が味わっている視線と同じなんじゃないか?」って。
宮内
障害者云々にかかわらず、苦境に立たされてる人が何かを乗り越えようとする姿に心を動かされるのは、人間の本能なんでしょうね。
乙武さん
そうそう。ただ知っておくべきなのは、乗り越えようとする人だけじゃないよということ。
当然、そう簡単には乗り越えられない方もいるわけで、本来メディアで取り上げるべきは、そうした支援を必要とされる方の状況だったりするかもしれない。
最近24時間テレビのカウンターとして、同日にEテレ(NHK)で『バリバラ』という番組が放送されていますけど。
宮内
よく見てます。「障害者はテレビを救う」というテーマをぶつけてきたり、「罪をくり返す障害者」とか、他ではあまり触れられないような過激なテーマが多いですよね。
乙武さん
こっちはまさに“お涙ちょうだい”じゃない障害者のリアルを描いてるんです。
一方で24時間テレビは感動できる物語しか扱わないから、上澄み液だけすくってるんじゃないかって言われちゃうんですよね。
でも、どちらも真実じゃないですか。頑張ろうとしている障害者もいれば、不倫をして叩かれる障害者もいるわけで(笑)。
笑っていいのかちょっとだけ悩みました(笑)
乙武さん
大切なのは、切り取られた一面だけを見ないことです。
長らく24時間テレビのような描かれ方をされつづけてきたことで、障害者へのイメージが固定化されてしまった。でも、24時間テレビ自体がダメなわけではなくて、それしか存在してこなかったことに問題があると思うんですよね。
僕は両方を知ってもらえることに意味があって、そのほうが健常者の人も接しやすくなると思っています。
「障害者が頑張らなくてもいい環境づくり」が両者のフラットな関係につながる
乙武さん
でも結局一番重要なのは、障害者が苦境に立たなくてもいい環境づくりなんですよね。
たとえば健常者だったら、「頑張ってください」って誰かに言われても、嫌な気持ちになったりしないですよね?
宮内
はい。頑張ろうと思いますし、純粋にうれしいです。
乙武さん
でも、障害者だと「頑張れ」を素直に受け取れないこともある。なぜかって、今の日本は障害者が頑張らないと、健常者と同じ土俵で生きていけないからです。
道に段差があったとして、健常者は当たり前に歩いていけるけど、それが車椅子の人だったら、誰かに頼むか自力でガコガコ悪戦苦闘するしかないじゃないですか。
宮内
そういえば、そんなこともツイートされてましたよね。
乙武さん
日本にいると、そういうときに「あ、障害者の方だ。何か手伝った方がいいのかな…。でも何したらいいんだろう…」って見て見ないふりする視線を感じるんですよ。
宮内
恥ずかしながら、私も同じです…
乙武さん
でも海外だと、違う状況もあって。
これまでいろんな国を巡ってきたんですけど、僕が一番楽だったのは北欧でしたね。
宮内
どんな点が日本と違うんでしょう?
乙武さん
北欧では、本当にたまたま車椅子に乗っているだけの、いい意味で“どうでもいい存在”になれるんですよ。それこそ、日本でいう“メガネをかけている人”みたいな感覚で。
それはなぜかというと、そもそも物理的なバリアフリーが整っているので、障害者から健常者に何かを“頼む”機会が少ないっていうのが大きいと思うんですよね。
お互いが、上にも下にも置かれてない。本当の意味のフラットってこういうことなんだなと。
宮内
環境が変わらないなかで、考え方だけ変えようと啓蒙しても限界があるということですよね。
乙武さん
そうですね。どうしたって今の日本では、障害者は頑張らなくちゃやっていけないですもん。
でも障害者であることの不便さが解消されれば、健常者が「頑張ってください」と障害者に声をかける機会も減って、対応に悩む人や嫌な思いをする人がいなくなりますよね。
僕は、そういう社会を目指すことが健常者と障害者、お互いが歩み寄るための一番の近道だと思ってます。
乙武さんとお会いするのは今回が初めてでしたが、取材前に名刺を渡そうとしたとき、「あれ? どうやって受け取ってもらえればいいんだ…」と内心あたふたして、結局渡すことができなかったんです。
それなのに、帰り際は悩むことなく「これからお願いします」と自然と名刺を出すことができました。
「こうしちゃダメかな」と頭で考えたり悩んだりすることじゃなくて、まずは実際にコミュニケーションを取ってみることがスタート地点。いきなりうまくやれるかわからないけれど、障害者との向き合い方についてヒントをもらえた取材でした。
〈取材・文=宮内麻希(@haribo1126)/編集=渡辺将基(mw19830720)/撮影=森カズシゲ〉
乙武さんの新刊『車輪の上』(講談社)好評発売中!
10月11日発売の乙武さんの新刊『車輪の上』は、車椅子ホスト「シゲノブ」の挫折と成長を描いた青春小説です。
https://www.amazon.co.jp/%E8%BB%8A%E8%BC%AA%E3%81%AE%E4%B8%8A-%E4%B9%99%E6%AD%A6-%E6%B4%8B%E5%8C%A1/dp/4065126576/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&linkCode=sl1&tag=r2506-22&linkId=a36a277ec67f94bb73120b30d0e7248c&language=ja_JP主人公の進平は、子どもの頃から車椅子で生活している。大学を卒業したものの、就職が決まらないまま上京し、新宿歌舞伎町のハローワークを訪ねることに。ところがその途上で、ひょんなことからホストと口論になり、ホストクラブで働くことになった。源氏名は「シゲノブ」。
シゲノブには、よく見る夢があった。車椅子から立ち上がり、歩き出すことができた瞬間、蛇のような触手が何本も伸びてきて足元に絡みつき、身動きが取れなくなる。物心ついたころから、繰り返し見てきた夢…。
客の女性から障害者は席に来るなと言われたり、車椅子ホストは珍しいからとマスコミに取材されたり、「障害者」というレッテルに振り回されながら、ホスト稼業に精を出していた。
ホストクラブで働くうちに、歌舞伎町はレッテルをはられた人間たちの坩堝だということに気づく。ホスト、風俗嬢、LGBT…。夢にうなされながら、そんな人たちとの交流や恋愛を通じて、シゲノブは変わっていく。
乙武洋匡さんサイン会 | 三省堂書店池袋本店特設サイト
乙武洋匡さんサイン会
刊行を記念して、10月16日(火)には三省堂書店池袋本店でのサイン会も開催されます!
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