

でも共同生活は1週間で解散!?
「楽しさは勝手に転がってこない」トータルテンボスが“楽しい貧乏時代”を過ごせたワケ
新R25編集部
「若いころはお金がなかった」、よく耳にする話だ。ブランド服にクルマを持てる20代なんて、まずそうはいない。懐に余裕ができるその日まで、耐えていくのが定石だ。だが、楽しく生きるコツくらいは掴みたいじゃないか!
安定感のある漫才に、コントも面白い実力派、トータルテンボスのふたりも、昔はかなり苦労したらしい。折りしも結成20周年を迎え、全国漫才ツアー「YAGYU」がスタートしたばかりの彼らに当時を振り返ってもらった。
稼いでないのにおごりまくって収支はマイナス。借金は2人あわせて350万円にまで増大
トータルテンボスの大村朋宏(左)と藤田憲右(右)
大村朋宏(以下、大村)「厳密にいうと結成21年目なんですけどね(笑)。それと当時(1997年)は極貧じゃなかったんですよ」
当時ふたりとも大学生で、バイトと仕送りの収入で家計はそれなりに回っていた。その後大学を中退し、よしもとの芸人養成校・NSCに入学する。大村は地元静岡の実家からの仕送りをキッパリと断っていたが…。
藤田憲右(以下、藤田)「中退していたのに親には3年間通っていると偽っていました。だって仕送りカットされるのがキツかったんで!」
しかし芸人を始めて3~4年で、いよいよ極貧生活が幕を開ける。よしもと芸人ならではの “おごりおごられ”の文化が、そのおもな理由だ。
藤田「3年目くらいに後輩ができて、飲みに連れて行くことが増え始めたんですよ。今まで上からおごってもらった借りを後輩に返す、ある意味“還元”の意味もあって。やっぱり稼いでおごってくれる先輩ってカッコいいんですよね。でも僕らは全然稼いでなかったから、収支はマイナスになる。大村は借金なかったよね?」
大村「いや、あったよ全然! 藤田ほど借り入れはしてなかったけど、生活はまったく潤ってなかったですね」
週イチで後輩におごると月々7~8万円の出費になったが、バイト代を含めた収入は15~16万円。食費や固定費、雑費などを、残り7~8万円でやりくりするのは限界があった。自ずと家計はショートし、大村は150万円、藤田は200万円ほどの借金を抱えた。
「それATMじゃなくてむじんくんじゃん!」芸人にとっては借金も“オモシロ要素”
藤田「芸人だと会社員と違って感覚が麻痺しちゃって、借金が“オモシロ”みたいになっちゃったりするんですよ。『ちょっと金下ろしてくるわ』『いやそれATMじゃなくてむじんくんじゃん!』みたいな」
大村「魔法のカードだ!ってクレジットカードを喜んでいたヤツもいました。僕らの2倍借金しているヤツもいたり、結局そのまま借金地獄で首が回らなくなったりしたヤツもいましたね」
ちなみに大村の場合は、ギャンブルもやっていたことが貧乏に拍車を掛けた。
藤田「コイツ今でも、仕事でマカオとかにカジノに行ったりすると、5万とか10万とかバンバン使うんですよ。あと服でも6万とかのTシャツ買っちゃったり」
大村「ギャンブルが好きな人間って、仕事で売れたらいいやっていう考えになってしまうんですよね」
藤田「僕はそういうことはしなかったですが、最悪実家の土地を売れば…という考えが頭の片隅にありましたね」
大村「お前の実家の土地なんかたいした額にはならんだろう」
藤田「いや、1000万くらいにはなるだろ! まあそのときが来たら、『ご先祖様ごめーん!』って謝ります」
節約のための共同生活は1週間で終了…「笑いはすぐに絶えました」
大村「一時期、節約のために一緒に住もう、となり、藤田の家に転がり込んだんです。共同生活でより息が合うようになるだろうと。“テッテレー(大村さんが藤田さんにドッキリを仕掛けるコンビの定番ネタ)”もできるし、最初はきっと毎日笑いが絶えないだろうなあと思っていました」
大村さんが“テッテレー”と呼ぶ相方・藤田さんへのいたずら動画。毎週金曜日の19時に新作を更新している。
藤田「いや、笑いはすぐに絶えましたよ。楽しいのは初日だけでした。大村が朝、トイレで大を流さないんですよ。『おいお前流せよ~!キャッキャキャッキャ!』みたいになると思っていたみたいだけど、どう考えてもならないでしょ、朝だし。家が小さいから共有スペースもないし、そもそも僕がお金出してましたからね」
ちなみに当時のアパートの名前は「喜び荘」。1階から夜な夜な外国人のあえぎ声が聞こえる、いかにも芸人らしいネタにあふれた環境だった。
大村「あとは彼がね、神経質すぎるんです。一番は寝るときの電球の問題。僕はダイダイ(豆電球)派だったけど、藤田は真っ暗派でね。付けたり消したりを繰り返すうちに、『出て行け!』って怒りを帯びたツッコミが飛んできました」
結局、ふたりの共同生活は1週間で解散。だけど、話している2人は楽しそうだ。当然、芸人として話に「おもしろバイアス」が掛かっていることも含めても、実際なんだかんだで楽しかったという。
「すぐ借金返せ」といきなり50万円渡された思い出も。よしもとの粋な文化は後世に残したい
その後ふたりはブレイク。人気に火が付き、今の地位になったことは説明するまでもないが、長い借金生活に別れを告げることができたのは、先輩たちからの援助が決め手となった。
藤田「笑い飯の哲夫さんは、総額で300〜400万円くらいおごってくれたんじゃないですかね。2003年に始めて会って、東京や大阪でいっぱい遊んでもらって。2008年に、借金が残り50万円くらいになったんですね。ある日飲んでる時に『お前まだ借金あるの?』って聞かれて、『50万くらいです』と答えたら、『あかんあかん、すぐ返せ』と哲男さんがコンビニに行って50万下ろして俺に渡してくれたんです。もう頭上がらないですね。返そうと思っても利子すら受け取ってくれないので、ネクタイをプレゼントしました」
大村「ぼくはチャイルドマシーンさんとか、ダイノジさんにおごってもらいましたね。今と当時とでは時代背景も違いますが、よしもとのそういう文化って、すごく“粋”だと想うんですよね。そうやって関係を深められることは、僕らも次世代に伝えていきたいですね」
楽しさは勝手に転がってこない。どんな環境でも必ず楽しみ方がある
終始楽しそうに話す2人だが、貧乏を辛いと思ったことはなかったのだろうか?
藤田「そりゃ周りを見たら辛くなったこともありますけど、自分だけのワールドですからね。時間はいくらでもあるので、格安素材でラーメン作ったり、バイトの皿洗いで“この枚数を何分で洗えるか”という自分だけの大会を開いてみたりしましたね」
大村「金がなくてバイトも苦痛で、『つまんねえな、こんなのやりたくねえな』って思うじゃないですか。でもそのなかでも絶対楽しみ方があると思うんですよね。藤田と同じバイトをやっていたんですが、料理を上げ下げするエレベーターに藤田の厨房着を隠してみたり。お金がないことへの不安や、芸人としての仕事がない不満は心の奥底にはありましたが、それを補うためには、やっぱり楽しさを見つけることですよね」
もちろん、芸人を目指している人は多くはないだろう。しかし、置かれている環境を前のめりに楽しもうとする姿勢からは学ぶことも多い。
藤田「楽しさって、自分で見つけるもんなんですよね。勝手に転がってこないので。だから子どもにもそう教えています。あ、借金まみれになれってことじゃないですよ!」
〈取材・文=吉州正行/撮影=春日英章〉
【トータルテンボス】
ボケの大村朋宏とツッコミの藤田憲右のふたりによるお笑いコンビ。ともに75年静岡県生まれ。現在「トータルテンボス20周年全国漫才ツアー2017『YAGYU』」が全国19会場20公演で公演中。「YAGYU」とは、ふたりの共通の知人の仙台在住のプロデューサーの名前。「タイトルを名前にしたら、会社でVTRを作ると約束したのに、やめちゃったんですよ!」(大村)

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