プロ奢ラレヤー著『嫌なこと、全部やめても生きられる』より

無理する人間関係はコスト。「嫌われないように」という姿勢はすべてを台無しにする

ライフスタイル
他人のカネで生きていく」をモットーにツイッターを介して出会ったさまざまな人に奢られながら生きている、プロ奢ラレヤーさん

自分で働いて稼ぐのではなく、自分の生き方を面白がってくれる人のお金で生活している彼は、その経験をTwitterで発信することで、僕たちに新しい学びを届けてくれています。

初の著書となった『嫌なこと、全部やめても生きられる』では、そんな彼の価値観が、ゆるいスタイルでありありと語られています。

同書のなかから、プロ奢ラレヤーさんの考える「お金」「マインドセット」「人間関係」に関する話を3記事にわたってお届けします。

他人から嫌われたほうが、人生はおもしろくなる

先日、奢りに来た人に「嫌われるのが怖い。プロ奢さんはどうしてますか?」と聞かれました。そのときの僕の回答がこちら。

「日本人の99%に嫌われたとしても、残りの1%は120万人もいる。それでも人生に登場する人間の数にしては十分に多すぎる。もし仮に70億人に嫌われても、気の合う人間が3人くらい側にいたら、それでいいんじゃね?」

そもそも嫌われるのを恐れていたら「プロ奢ラレヤー」なんてやっていられないのですが、僕が人に嫌われるのが怖くない理由は、この考えに集約されています。

これは人間関係においても自分のやりたいことをやるときにでも、何にでも言えるのですが、「嫌われないように」という姿勢は、すべてを台無しにします

どれだけおもしろい人間も「嫌われないように」を考え始めるとおもしろくなくなるし、おもしろいコンテンツも「嫌われないように」をやるとおもしろくなくなる。

インターネットによって触れる人間の数が増えた今はなおさら、すべての人に「嫌われないように」することは、なんのおもしろみも熱狂も生み出しません。

誰かに嫌われて初めて、誰かを猛烈に夢中にできるのです。

「嫌われないようにすること」を軸にしてつまらないものを見て生きているとどんどんつまらない人間になってしまいます。

嫌われることを気にせず、自分がおもしろいと感じるものを優先するとおもしろい人間になれます。

そもそもみんなそれぞれの人生と価値観があって、それぞれ「不快に感じるポイント」があるわけなので、それらすべてに配慮することは不可能です。

配慮したところで「嫌われない」ということが難しいのであれば、好きに生きたほうが良くない?

自分の性質は変えられませんし、変える必要もない。人と付き合ううえでは、できるだけ自分の性質を前面に出して、それを受け入れてくれるような人とだけ付き合えばいいんです。

思ってもいないことを言わないきゃ維持できない関係なんて、コストでしかありません。

そもそも「嫌われるのが怖い」という人は自意識過剰。嫌われるほど他人に興味を持ってもらうのは意外と難しいことです。

嫌いになるほど興味を持ってあなたを見ている人なんて、いたとしても、ごく一部なので安心してください。

ツイッターで僕の悪口を必死に書いている人がいます。

そういう人は、日常では自分を犠牲にして周囲の人に常に配慮して我慢しながら優しさをばら撒き、そのストレスとのバランスを取るために、インターネットで僕のように自分と真逆の生き方をしている人間に当たり散らすことで、また日々の優しい日常に戻っているんだと思っています。

つまり僕は、嫌われながら社会貢献をしている

自分の「おもしろい」を優先して生きているだけで、今日もどこかの誰かに嫌われ、優しい社会を成り立たせているのだと思うと、プロ奢ラレヤーっていいことしてんな~と思います。

嫌われることなんて、何も怖いことではありません。

「してくれる人」より「しないでいてくれる人」を大事にする

「プロ奢さんって好きな人とかいますか?」とたまに聞かれますが、僕は人間は不快じゃなかったら基本的に好きです。好きというか嫌いじゃない。

僕は他人のことを「いい人」と「悪い人」「普通な人」とかで分類していません。

なんとなく「近くで生きていてほしい人」と「臨めば近づける場所で生きていてほしい人」「遠く離れたところで生きていてほしい人」くらいの感じ。

「好き」っていうと、みんな「プラスとプラスとプラス」を求めるじゃないですか。「イケメンで、おもしろくて、優しい」とか。僕はそういう基準じゃなくて、自分にとって「~をしてくれる人」ではなく、「~をしない人」のほうが大事だと思っています。

つまり、相手に何かを望んでるわけではないんですね。

「プラス検索」で考えると、ヒットする人がすごく限られてくるし、もし自分の期待するものが得られなかった場合、一気に大きなマイナスに反転してしまう恐れがあります。

だから僕は、人間は「マイナス検索」から入るくらいがちょうどいい、と思っています。まあなんでもいいんですけど、「嘘をつかない人」とか「干渉してこない人」とか。

「~しない人」で検索すると、それだけでヒット率はだいぶ上がるし、そのうえで自分にとって嫌なことはしてこないわけだから不快な思いもしないで済みます。

さらに「マイナス検索」のいいところは、相手に必要以上に期待しなくなるところ。

自分にとってプラスになるような要素ばかり並べてしまうと、相手に期待してしまうし、相手が「イケメン」じゃなくなったとき、「面白い人」じゃなくなったとき、ショックと理不尽な怒りが生まれます。

僕はそもそも人とそこまで長時間一緒にいようとも思っていないし、自分の機嫌は自分でとるので、相手に何かを「してもらおう」という期待がないんです。

だから、「嫌なこと」さえされなければ、とりあえずOKという気持ち。

そうなると人にイライラすることもなくなります。自分にとって嫌なことばかりしてくる人は、「遠く離れたところで生きていてほしいなあ」と思いますけどね。

「人に好かれたい」というのはとても人間的な感情だなあと思いますが、みんなにとっての「いい人」に入ることも、維持することも、めちゃくちゃコストが高い

そもそも人間の間には善いも悪いもなくて、ただ適切な距離感があればいいんですよ。僕はそう思っています。

自分にとって都合の「いい人」を探すのをやめ、誰かにとって都合の「いい人」になるのをやめれば、一気に人間関係はラクになります。

「嫌なことをしないだけ」で心が軽くなる生き方を知ろう

嫌なこと、全部やめても生きられる

嫌なこと、全部やめても生きられる

まるで直接話しかけてくるような言葉でつづられている同書。。「あとがき」を見ると、本を書く作業さえも大変だから “やめちゃった” と言っています。

「あきらめる人が無敵」「ドタキャンできる自由ゾーンをつくる」など、多くの人が囚われているあらゆる固定概念を、ことごとく捨てて生きているプロ奢ラレヤーさん。

彼の生き方は、「意識高く生きねば」と生きづらさを感じている現代人が、口にはしないけど“本能的”に欲している姿勢なのかもしれません。