堀江貴文著『非常識に生きる』より

ホリエモンが「ビジネスパーソンは“子ども”のままでいるべき」と主張する深いワケ

仕事
非常識は、誇りある称号だ

実業家・堀江貴文さんの主張です。

ロケットの打ち上げや和牛ビジネスの海外展開など、やりたいと思ったことを次々と実行できているのは、「素人ができるわけない」「やめた方がいい」という言葉に一切耳を貸さなかったからなんだとか。

周囲の意見に屈することなく生きるにはどうすればいいのか?

堀江さんの著書『非常識に生きる』から、他人に縛られずに自分の人生を歩むための「非常識な生き方」について一部抜粋。

「子供のまま生きること」「所有欲の正体」「人間関係のコツ」について3記事でご紹介します。

自分自身だけは、絶対に捨てるな。

起業して以降、年長のビジネスパーソンたちから何度となく「大人になれよ」と言われてきた。

彼らが言う大人とは、空気を読んで自分の意見を封じ、すすんで思考停止のプロセスに入っていける人のことだ。

僕は、そんな大人になんか、決してなりたくなかった

2004年頃から起きたライブドア事件がひと区切りついた後、周りから「村上ファンドの村上世彰さんみたいに、世間に詫びを入れていたら、許してもらえたんじゃないか?」と言われた。

反論はしない。

そのとおりだと思う。

親しい人からも「堀江自身が詫びることはないけれど、世間が誤解しているホリエモンのイメージを払拭するために、お詫びしなさい」と言われた。

ややこしい構図ではあるが、裁判での量刑を軽くするには、一番効果的な方法だったかもしれない。

頭では理解できていた。

でも、絶対にやりたくなかった

悪いことを何もしていないのに、なんで頭を下げなくてはいけないの?

ちっとも罪を理解できないで、形だけ、世間につむじを見せて「謹んでお詫びを申し上げます」なんて、絶対に言いたくなかった。

村上さんはそこを演じられる人なのだ。

状況によって巧みに演じられる、大人だった。

それが彼のスタイルだとしたら、意見はない。

でも、僕には決してできない

自分に嘘をついて四方丸く収めるのが大人だというなら、自分の信念に従い、抵抗し続けた僕は子どもだったのか?

子どもでいることは、有罪になるような悪だったのか?

ライブドア事件で執行猶予を得るために、外面だけ土下座して内心は笑っているような、自分の「ねつ造」だけは、したくなかった。

前科がつくことになっても、僕が僕自身に嘘をつき、肌感覚で「嫌だ!」ということを許してしまったら、激しく後悔するとわかっていた

もしあのとき謝っていたら、罪が軽くされて後にビジネスで大儲けしたり、何億円ものお金を再び得たとしても、僕は生涯、後悔から逃れられなかっただろう。

僕は僕であることを、捨てたくなかった

捨てないで、正解だった。

人生で、決して捨ててはいけないもの。

それは、自分自身だ

自分自身とは、己の存在意義のようなもの。

生きている意味を支える、心の根幹だ。

目先の体裁やしがらみに屈して捨ててしまわない限り、誰にも奪われない。

家や車や宝石なんかより、もっと価値のある、不朽の財産だ

人は苦境に直面して、自分自身を捨ててしまう誘惑にかられることもあるだろう。

だが、捨ててしまったら、肌感覚に喪失感と後悔が入れ墨のように深く刻まれる。

そんな人生を、僕は送りたくなかった。

引き換えに、収監されたとしてもだ。

長い裁判で、人間関係や財産など、いろんなものを奪われた。

だけど自分を捨てることだけは、踏みとどまれた

それだけで僕は、勝利した気持ちだった。

大人には、ならなくてもいい

「いいものはいい、嫌なものは嫌だ!」という肌感覚に従おう

従えなかった後悔は、お金や成功では、決して取り戻せない。

抵抗していれば、たくさん叱られるだろうし、批判もされる。

ぜんぶ無視だ

言う側は、いずれ飽きる。

他人は、あなたが大人になれるかどうかなんて、興味ないのだ。

子どもの感性のまま、自分が自分であることを、貫いてほしい。

「没頭」が多くの出会いを生む。

これまで学生時代、経営者時代を通して親や教師、年長の大人の教えに従ったことは、一度もない。

僕が従っていた相手は、何かにのめりこんでいく自分自身だった

のめりこみ、没頭しまくる。 

気がついたら何時間も、何日も経っていることは、しょっちゅうだ。

没頭が、僕を多くの遊びやビジネスとの出会いに導いた

お金や学び、そして生きていく楽しさを教えてくれたのは、家庭や学校ではない。

没頭体験がすべてだ。

自分は特に優れた才能や能力を持っているとは思わないけれど、没頭力だけは、誰より抜きん出ているかもしれない。

多くの人たちは、自分の行く道を見失っている。

意識的に、動き出せばいいのだが、何をしたいのか、何を求めているのか、本心の見きわめが不足のまま動き出しても、動き出した「気分」のまま留まってしまう

「気分」では、没頭が足りないのだ。

だから何も、実にならない。

自分への問いかけを終えて動き出せば、必ず実になるまで、没頭できる。

「こんなのできっこない」と、自分に行動のブレーキをかけているのは、一番よくない。

親や学校に根拠のない常識を押しつけられ、長い時間かけて「そんなことをしてはいけない」というブレーキを、頭に刷りこまれてきた。

没頭できない体質は、半分はあなた自身のせいではない。

半分以上、日本社会の教育制度が深く関わっている。

そんなものに縛られる利点は、一切ないのだ

情報を浴び、思考を続け、やりたいことを見つけたら、あとは没頭すればいい。

逆に言えば、没頭することにブレーキをかける人ばかりなのだから、「ハマる」ことを実践しただけで、才能なんかなくても飛び抜けた成果を得られる

自分の決めたルールで動くと、没頭できる。

自分を没頭に追いこむ、いい方法がある。

自分の決めたルールで動く」ことだ。

趣味でも恋愛でも、ビジネスでも、自分でプランを立て、実行する

他人はいろいろ意見を言ってくるかもしれないが、すべて無視だ。

「自分ルール」を定めて、そのとおりに、気持ちのままに動いていこう

自分のルールで動いていると、工夫の喜び達成感が湧いてくる。

思いがけない縁や、新しい展開も引き寄せるのだ。

常識とか世間体に、とらわれることなんかない。 

3歳児の気持ちで、好きなことだけに没頭すれば、必ず支えてくれる人が現れる。

僕自身、主宰しているオンラインサロンをはじめ、世界各地で行っていた祭りや万博イベント、レストランのプロデュース、アーティスト・役者業、こうして本を書いている作家業など、多くのビジネスはすべて、没頭から生まれた

楽しいから、やる。

好きだから、やる。

自分で決めたから、やる!

そうやって始めた物事は、どういうわけか面白い人脈や、大きなお金を引き寄せる。

そして平凡な日常から、刺激に満ちた世界へ連れて行ってくれるのだ。

他人の言うことを聞いて、ブレーキをかけているようではいけない。

事故を起こさない安全運転で行けるかもしれないが、行き先は誰かによって決められてしまう。

他人の描いた地図に沿って行くのではなく、自分で地図を描いて行く冒険の方が、楽しいに決まっているじゃないか

あれこれ周りを気にしないで、やりたいことに没頭しよう!

非常識を貫いたほうが、速く成長できる

非常識に生きる

非常識に生きる

自由に生きている人に対して「もっと常識をわきまえなさい」と、人は言う。

しかし、その常識を守っていればいいことがあるのか?

守らず“非常識”に振舞うことは間違っているのか?

答えはどちらも「ノー」であり、自分のやりたいことを見つけ出し、大きなチャンスをつかむには、知識とか人脈とか運ではなく、非常識への踏み出しが大事である

出典 『非常識に生きる』

“常識に囚われない生き方”について書いた堀江さんの著書『非常識に生きる』。

一歩踏み出す勇気がほしい」というビジネスパーソンの背中を押してくれるはずです。