佐渡島 庸平著『観察力の鍛え方』より

佐渡島庸平「“観察を阻む”要素は3つ。人はこのメガネを絶対に外すことはできない」

仕事
『ドラゴン桜』『宇宙兄弟』など数々のヒット作を手掛ける佐渡島庸平さん

現在は「コルクラボ」で新人クリエイターの発掘・育成で、全世界で読まれる新しい形のマンガ開発に注力しています。

佐渡島さんがクリエイターからよく聞かれる質問として、「いいクリエイターの条件とはなんですか?」というものがあるそうです。

佐渡島さんによるその答えは「観察力」。

いいアウトプットをつくるためには、インプットの質を上げないといけないということです。

しかし、そもそも「観察力」とはどうやって鍛えるものなのでしょう…?

そのヒントを佐渡島さんの新著『観察力の鍛え方』より抜粋してお届けします。

クリエイターのみならず、企画考案やマーケティングにも必要でなるであろう「観察力」の正体をぜひ、確かめてみてください。

記事末には、佐渡島さんからの「新R25ワイドショー」のお題がありますので、最後までお楽しみください!

観察を阻むものから考える

ここで観察を阻むものについて考えてみたい。

何が観察を阻み、観察できない状態にさせてしまうのか。

悪い観察を避けることができれば、いつか運良くよい観察ができる

最悪を避け続けてさえいれば、生き延びることができるのだ。

そして、それがすべてだ。

継続していたら、次の機会がある。

ここからは観察を阻む、3つの要因を紹介する。

この3つを避けられれば、悪い観察に陥ることはない。

観察を阻むもの1:認知バイアス

「観察を阻むもの」というと、外部からの要因を思い浮かべるかもしれない。

だが、観察を阻むもののほとんど全ては、自分の中にある、と僕は考えている。

アインシュタインの有名な言葉に「常識とは、あなたが18歳までに身につけた偏見の塊である」というものがある。

まさに、「常識・偏見」が、観察を阻むものの代表だ。

僕たちは、目で観察しているのではない。

脳で観察している

脳の中で何を見ようか先に決めていて、脳が見たいものを追認するような形で見ているだけだ。

最近の脳科学では、視覚情報は認知のために10%ほどしか使われていないという研究もあるらしい。

「言葉・概念」という思考に必要なものも、観察を促進する道具であると同時に、阻むものであると僕は考えている

常識・偏見・言葉・概念……これらはすべて、脳の認知に関与している。

こうした、認知の歪みは、障害にも武器にもなりえる。

認知によって、見え方が変わってしまって、元に戻すのが難しいことの例として、よく「婦人と老女の絵」があがる。
出典

観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか

一枚の絵で若い女性と年老いた女性の二通りに見える
「認知」を辞書でひくとこうある。

認知:心理学用語で、人間が外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり、解釈したりする過程

限りなく「観察」と似ている。

「意識」と同義、という説明もある。

ここで、認知を「意識」と置き換えたほうがイメージしやすい人は、意識でもいい。

観察は、脳の中にある認知(意識)を変える。

同時に、認知(意識)は、観察の仕方に大きな影響を与える。

だから、ニワトリと卵のような関係で、どちらが先か明確には言えないところがある。

しかし、脳が認知(意識)していることによって、観察が阻害され、悪い観察になり、認知(意識)が更新されにくくなることがある

認知と観察は無限のループを繰り返すものだが、ここでは認知が先であると仮定して、観察について考えたい。

認知が先にあり、その後に観察があるとすると、その認知に関しては、無意識的な行為で制御できない。

その無意識的な認知を少しでも把握するためには、「仮説」が有効だと考えている。

仮説を言語化し、意識することで、無意識的な認知も少しは意識できる。

観察を阻むものを理解することは、仮説を歪めるものを理解することにも通じる

僕がフィクションを好む理由の一つに、読み手の認知のあり方が変わると、立ち上がってくるエピソードの意味がガラッと変わるということがある。

僕が編集した『宇宙兄弟』という作品の中で、南波六太(ムッタ)の弟、日々人(ヒビト)が、JAXA史上最年少で宇宙飛行士となり、月面から地球に還ってくるシーンがある。
出典

観察力の鍛え方 一流のクリエイターは世界をどう見ているのか

1回目に読むときは、月面での長期任務を終え、日本人初のムーンウォーカーという記録を打ち立てた日々人の、ワクワクした帰還のシーンに読める。

だがこのあと、日々人はパニック障害になっていたことが明らかになる。

その事実を知ってこのシーンを読み直すと、ワクワクの中に、不安を抑えている日々人が浮かび上がってくる。

作者である小山宙哉は、汗と眼の表情で不安を表現した。

日々人の表情の中に、ワクワクと不安の両方の感情を表現するということをしたのだ。

物語の中だと、認知が変わり、世界の見え方が変わることを実感しやすい。

現実では、そんな簡単に、世界の見え方を変えるほどの認知の更新をすることができない。

物語の中で起きるような認知の更新をしたくて、僕は観察に興味をもっている。

観察によって、世界の見え方が変わるのではない。

認知が変わることで、世界の見え方が変わる

既存の認知が、観察を阻害する。

悪い観察は、既存の認知がまったく更新されない、すでに知っていることを前提として観てしまう状態だ。

良い観察は、既存の認知に、揺さぶりをかけるものと言えそうである。

観察を阻むもの2:身体・感情

次に観察を阻むのは、「身体・感情」だ。

観察は僕らの身体・五感を通じて行われるため、その状態によって観察の質は大きく左右される。

過去ですら、事実の積み重ねではなかったように、観察する対象とは、絶対的なものではない。

観察する主体の状態によって大きく変わる。

たとえば、疲労を抱えた体と体調万全の体では、同じものを見ても観察の質は変わってくる。

イライラしているときと、機嫌がよいときでも、観察の質は大きく変わってくる。

だが、認知が自分の思考に大きな影響を及ぼしているとなかなか気づけないように、感情の影響も気づくことが難しい

そもそも「感情」とは何のためにあるのか。

僕らは、日々の生活の中で論理的に考えていては間に合わないことがある。

嫌な言葉を投げかけられたときに、ロジックを立てて「怒るかどうか決める」なんてことはしないだろう。

そんなときは、すぐに判断し、反応する必要がある。

感情とは、反応時間を短縮するために使われている。

つまり、感情とは思考をすっ飛ばすツールであるとも言える。

ここで僕が思い出す「心理実験」がある。

とある病室で被験者に興奮剤を飲ませる。

そこに一人の「怒った人」を入れる。

するとどうなるか。

「こんなに待たせる病院なんてひどい」と、みんなが怒り出す。

次に一人の「ご機嫌な人」を入れる。

すると今度は「この病院はなんて丁寧に患者を診てくれるんだろう。ありがたい!」と感謝するモードに変わる。

病院側の状態は変わっていないのに、同じ空間に怒っている人がいるか、喜んでいる人がいるかで、人の感情はこれほど変わるのだ。

僕らは、「感情」のフィルターを通して観察をする

そのとき、感情の扱いには注意が必要だ。

なぜなら、自分の感情は周りから選ばされているにすぎないからだ。

人は、怒っているときには、怒るべき対象がある、と思いがちだが、そうではない。

怒る対象を探している。

原因と結果が逆になっているのだ

このように、感情が観察を阻害していることがある。

そんなときは、思考を一回止めたほうがいい。

そして複数の感情をもって、対象を見るクセをつけるようにするのだ。

観察を阻むもの3:コンテクスト

人間の脳には、何かに注目するとそこに「ロックオン」するという特徴がある。

注意をある一点に固定化してしまう。

だから人間は、「時間」と「空間」を同時に注目することはなかなかできない

たとえば、相手の服を見て、「だらしない恰好だ」と思ったとしても周囲の人がリラックスした恰好であれば、それはTPOに合わせた「ちょうどいい恰好」と言える。

「服」だけではなく、周りとの空間的な関係性まで観察してはじめて、的確な判断ができるのだ。

しかし、その人のだらしなさが、いつも気になっていると、周りの情報が目に入らず、「やっぱりだらしない人だ」と今までの認知を強化する観察をしてしまう。

「時間軸」も同じだ。

もし相手がだらしない恰好をしていたとしても、「その数分前まで子どもと公園で遊んでいて急に駆けつけてくれた」というのなら、そもそもスーツを着ているはずがない。

急に駆けつけたという事実を見て、誠実と受けとるのか、その恰好だけを見て、だらしない人だと思うのか。

過去の出来事を知ることで、情報の意味はまったく変わるが、時間軸の前後を意識することなく、その瞬間の情報だけで判断してしまうことが実は多い

対象の物だけを観察しても、観察を誤る。

時間・空間のコンテクストを同時に観察することで、対象に迫ることができる。

コルクラボマンガ専科の講師を務めてくれている作家の山田ズーニーさんの著書のなかに、コンテクストを意識できるわかりやすい例がある。
ついに宇宙とコンタクト(日本経済新聞)

ついに宇宙とコンタクト(東京スポーツ)

出典 山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』

同じ文言にもかかわらず、引用元のメディアの違いによって、読者の受容した情報はまったく異なる意味をまとってしまう

情報自体に意味があるのなら、どのメディアに載っても、意味は同じはずだ。

ここで「ついに宇宙とコンタクト」だけだと、情報の価値はない。

むしろ、どのメディアで報じられたか、というコンテクストと組み合わさって、意味が立ち上がってくる。

観察力を鍛えて、世界を見る解像度を上げていくには、対象だけでなく、コンテクストまで含めてみることが大事だ

問題なのは、コンテクストは固定化されていないから、自分がうまくコンテクストを観察できているのか、どこまでも確認できないということだ。

観察を阻害するといったとき、ここで紹介した3つの要因――認知バイアス(=脳)、身体と感情(=感覚器官)、コンテクスト(=時空間)がバグを起こしやすいと意識しているだけで観察の精度は変わってくる。

僕は、この3つを総称して、「メガネ」と呼んでいる。

人間は、メガネをかけて、世界を見ている。

多くの人はこのメガネに対して、「自分はメガネなんてかけていない」「メガネを外して世界を正しく見ることができる」と思い込んでいる。

だが僕は、人はメガネを絶対に外せないのだと、考えている。

むしろ、自分がかけているメガネとはどんなものかを理解し、それを利用したい。

メガネを理解することが、観察を促進する

短所が長所になるように、メガネは武器になる。
観察力の鍛え方

観察力の鍛え方

新R25ワイドショーで、佐渡島さんからのお題に投稿しよう!

新R25ワイドショー」では、編集部が毎日1~2個更新するこだわりの「テーマ」に対して、アプリから会員登録したユーザーが自由に自分の知見を回答することができます。

今回は特別編として、『宇宙兄弟』『ドラゴン桜』など、数々の名作を手掛ける編集者・佐渡島さんが出題者となります。
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いい観察力を培うには、「問い」から「仮説」を生み出すことが必要だそう。

生まれたときから備わっている「メガネ」を認識しつつ、観察力を鍛える第一歩を踏み出してみませんか?