ビジネスパーソンインタビュー
永井隆著『キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯』より
缶チューハイ市場を変えた「氷結」。伝説のマーケターが推進した“非常識な製法”とは?
新R25編集部
「どうすればヒットするか、俺には分かってしまうんだ」
「一番搾り」「淡麗」「氷結」など、親しみ深いお酒を次々と世に打ち出してきた、キリンビールのメガヒットマーケター・前田仁さん(1950年〜2020年)の言葉です。
一流のマーケターが商品をヒットさせるまでには、どのような嗅覚や戦略が必要なのか…
?
そんな疑問を、前田さんが辿ってきた物語を通して明らかする一冊が、ビール産業を取材して30年以上になるジャーナリスト・永井隆(ながい・たかし)さんの著書『キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯』(プレジデント社)です。
今回は同書より、缶チューハイ首位「氷結」の戦略と裏側について抜粋してお届けします。
この記事はこんな人におすすめ(読了目安:5分)
・キリンのヒットの裏側を知りたい人
・ヒットを出したいマーケターやクリエイター
・チームにヒットをもたらしたいリーダー
キリン初の缶チューハイ「氷結」は、2人の男から始まった
キリン・シーグラムで「氷結」の開発が始まったのは99年10月だった。
「氷結」は技術職(ブレンダー)の鬼頭とマーケターの和田徹が私的に始めたプロジェクトであり、この時点で商品化の目途は立っていなかった。
だが、この時すでに、鬼頭には「ヒットのターゲット」がおぼろげながらも見えていた。
「スーパーチューハイ(サントリーのヒット商品)の後追い商品を出しても、サントリーには勝てない。大きなヒットを狙うなら、カテゴリー間の垣根を壊すような商品じゃないとダメです」
「ビールや発泡酒のユーザーを取り込めるような商品にして、初めて缶チューハイを飲む人や女性をターゲットにしましょう」
鬼頭がそう言うと、和田も同意した。
「打倒サントリー」に、二人は作戦を練った。
普段缶チューハイを飲まない20〜30代の女性受けを考えると、アルコール感はできるだけ抑えたい。
また、辛口のドライタイプのお酒にはしたくなかった。
かといって、甘すぎると、今度は「メインユーザーである中高年」にそっぽを向かれてしまう。
その結果、鬼頭たちがたどり着いた答えが、「微妙な甘さ」だったのである。
「一度、サンプルを持ってきてくれないか。できれば大至急」
鬼頭と和田のもとに、キリン本社の前田仁から連絡があったのは、2000年春のことだった。
鬼頭が作った「氷結」のサンプルを、前田がキリン経営陣の前でプレゼンした。
その結果、「氷結」は、キリンの強力な販売網に乗ることになる。
キリン・シーグラムとして一般消費者向け商品の企画が、親会社のキリンで通ったのは、これが初めてだった。
「氷結」を生んだ“最強チーム”が目指したもの
2000年6月、キリン本体のマーケティング部内に「和田チーム」が発足する。
「和田チーム」のメンバーは4人。
和田のほか、清涼飲料メーカーのキリンビバレッジから1人と、キリン若手社員が男女1人ずつ加わることになった。
一方、鬼頭はそのまま静岡県の御殿場にある、富士御殿場蒸溜所にとどまった。
そこで鬼頭を中心に、当時のチーフブレンダーら4人による「最強チーム」が結成され、「氷結」プロジェクトを担当することになる。
プロジェクトにかかわる、開発チームの士気は高かった。
ルーチンワークをだらだらこなすような社員は一人もいなかった。
「ただのチューハイではなく、ビール、発泡酒、日本酒のユーザーを全部引っ張り込むような、『市場創造型』の商品にしよう」
「キリン初の缶チューハイを成功させ、日本の酒類市場全体の構造改革を加速させよう」
チーム内ではこうした「商品開発の枠を超えた理想論」さえ飛び交っていた。
「前例がないことをやれ」業界では非常識な製法を採用
前田はことあるごとに、こう口にしていたという。
「前例がないことをやるから意味がある」
この言葉に、和田は衝撃を受けた。
そんな折、プロジェクトチームからある提案が出された。
それは、「濃縮還元果汁ではなく、ストレート果汁を使う」という案だった。
「濃縮還元果汁」とは、果汁を加熱して水分を飛ばし、文字通り濃縮させたものだ。
マイナス20°C以下で冷凍保存でき、体積が小さいので、運搬や貯蔵コスト面で優れている。
利用時には解凍し、水で希釈する。
一方「ストレート果汁」の場合、果物から得た果汁を、殺菌のために熱処理しただけである。
運搬や保存は濃縮還元果汁と同じく冷凍するが、利用する時は解凍するだけで、水で希釈しない。
加工されていない分、「ストレート果汁」のほうが風味はいい。
しかし、容積は大きいため運搬や保存にかかるコストが高く、また取り扱いが難しいという問題がある。
そのため「ストレート果汁」は量産品には向かないというのが「常識」だった。
それでも、「氷結」の開発チームは、その「ストレート果汁」にこだわった。
「微妙な甘さ」の実現には、どうしても品質のいい果汁が必要だったのである。
ただ、キリン社内からは当然、反対論が噴出する。
「ストレート果汁を使うとコストが高くなる。たかだか140円の缶チューハイに、そこまでこだわる必要があるのか」
これに対し、「氷結」チームの考えは違った。
多少コストが高くなっても、結果的に売れるものを作れば問題はない。
それは、かつて前田が「一番搾り」を作った時と同じ発想だった。
最終的には、前田が反対意見を押し切って、ストレート果汁の採用を決める。
「氷結」の快進撃
当初、「氷結」の発売は2001年4月を予定していた。
ところが、その予定をはるかにオーバーし、実際の発売は7月にずれ込んでしまった。
「ストレート果汁」を使うお酒は本邦初。
そのため、品質面のチェックと評価に予想以上の時間がかかってしまったのである。
当時、キリン社長に就任したばかりの荒蒔康一郎は、内心で焦りを感じていた。
「総合酒類化の第一弾商品として期待していた氷結だが、これほど発売が遅れるようでは、売れないかもしれない…」
ただ、荒蒔の心配をよそに、「氷結」チームはブラッシュアップを重ねていた。
正式な商品名は「氷結果汁」に決まる。
発売されるやいなや、たちまち大反響があった。
喜んだのもつかの間、消費者団体から「商品名が紛らわしく、ジュースと混同する」というクレームが入る。
このため、キリンでは翌年4月より、商品名から「果汁」を外し、「氷結」に変更する。
ただ、クレームはあったものの、「氷結」の人気は変わらなかった。
当時、あるサントリーの幹部は、「氷結」がヒットした理由をこう指摘していた。
「クレームによって、『氷結果汁』が『氷結』になったことで、ネーミングに神秘性がもたらされたことも大きかった。『氷結果汁』のままだったら、さほど目新しさもなく、売れゆきも振るわなかっただろう」
運も味方につけ、「氷結」は快進撃を続ける。
売れ過ぎて供給が追いつかなくなるほどだった。
「氷結」の大ヒットをきっかけに、ライバル各社は缶チューハイのベースを甲類焼酎からウオッカへ切り替えていく。
結果的にこれが功を奏し、缶チューハイ市場そのものが大きく成長することになる。
発売5年目となる2005年の「氷結」販売量は約3600万箱。
推定シェアは34.5%と、缶チューハイのダントツ首位となる。
缶チューハイ市場全体も、「氷結」発売の2001年時点の5899万箱から、2005年には1億470万箱へ、77%も拡大した(いずれも推定)。
“天才マーケター”の頭のなか
戦後にキリンでヒットした商品のほぼすべてにかかわり、「マーケティングの天才」と謳われた前田さん。
2022年1月からキリンビール社長に就任した堀口英樹さんは、前田さんについてこう言います。
キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯本質と信念の人でした。
つねに流行は追っているけれど、それで『本質』を見失うことはない。
前田さんにとっての『本質』とは、お客様のことです。
会社の都合などは二の次でしかありません。
部下にも『社内事情より、お客様を第一に考えろ』と言い続けています。
前田さんにかかわった仲間の証言から見えてくる“天才マーケターの頭のなか”を、同書で覗き見てみませんか?
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