ビジネスパーソンインタビュー

アップル創業の立役者マイク・マークラ。ジョブズを救った3つの“ビジネスプラン”とは

レスリー・バーリン著『トラブルメーカーズ「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』より

アップル創業の立役者マイク・マークラ。ジョブズを救った3つの“ビジネスプラン”とは

新R25編集部

2021/05/29

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新しいビジネスモデルで世界に影響を与え、急速に成長していく企業を起こすことに憧れを持つ若者がますます増えています。

今や時価総額2兆ドルを超えるアップルも、もともとは若きスティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアックの2人が立ち上げたスタートアップ企業でした。

しかし、起業当時のアップルは「とても会社と呼べる状態ではなかった」と、シリコンバレーの郷土史家でニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストでもあるレスリー・バーリンさんは述べています。

そんな状態だったアップルを急成長ラインにのせたのが、初代会長のマイク・マークラの存在にあります。

今まであまり語られることのなかったマークラの活躍が『TROUBLE MAKERS トラブルメーカーズ「異端児」たちはいかにしてシリコンバレーを創ったのか?』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では語られています。

イノベーションの本質を学ぶことができるアップルの軌跡と困難を、同書より一部抜粋してお届けします。

宿題を絶対にやらないガレージ起業家の2人

1976年秋にマイク・マークラが起業家2人(スティーブ・ジョブズとスティーブ・ウォズニアック)のガレージを訪問したとき、アップルは素人経営のスタートアップでありながらもすでにわずかに黒字化していた

とはいっても、マークラと接点を持つ前のアップルはとても会社と呼べるような状態ではなかった

マークラは週1回に限って将来性のある起業家に助言してきた。

ジョブズの実家ガレージ内で立ちながら、ウォズニアックのアップルIIを見て確信した。

これこそ自分専用コンピューターを夢見る人の希望をかなえるマシンだ!

ただし、今後もアップルII一本やりでいいのかどうか、はっきり分からなかった。

そこでジョブズとウォズニアックの2人に対してビジネスプランを作成するよう提案した。

これまでも多くの起業家に対してビジネスプランの作成を促し、効果を上げてきたのだ。

ビジネスプラン作成のポイントとして、部品調達コストや流通チャネルを見極めるほか、市場規模を推定する必要性を指摘した。

まだ存在していないパソコン市場の規模を推定するのは難しいことも分かっていたので、アメリカ国内で普及している電話台数を目安にするよう提案した。

それから数週間、秋が深まりつつあるなかでジョブズ(たまにウォズニアック)はマークラの新居に通ってアドバイスを仰いだ。

ミーティングのたびにマークラは宿題を出した

競争相手は誰か?利益はどのくらい出そうか?社員はどうするのか?どのくらいの成長スピードを考えているのか?

2人はビジネスプランの中でこれらの質問にきちんと答えられなければならない。

そうでなければ持続可能な会社を立ち上げるのは難しい。

ジョブズはどうしたのか。

いつも宿題をやらずにミーティングにやって来た

数週間経過してマークラは理解した。

2人がビジネスプランを書くことはないのだ。

どうしてなのか。

ウォズニアックはHPの社員であるから、起業には関心を抱いていなかった

自由にやっていいと言われたら、おそらくアップルIIのデザインを無償で手放したか、原価で売り払ったことだろう。

一方、ジョブズは起業に意欲を燃やしていながらも、1976年秋時点では「バイトショップへ基板を納品して、稼いだカネで部品を買って、より多くの基板を作る」というビジネス以外は想像できなかった。

弱冠21歳で会社勤務歴15カ月では、宿題にまともに答えられないのも仕方がなかった

アップル誕生

では、どうやってビジネスプランを作成したらいいのか。

自分でやるしかない、とマークラは思った。

助言してきた起業家のためにビジネスプランを書いたことはそれまで一度もなかった

ビジネスプランを書いてあげようと思うほど有望な起業家に出会えていなかったともいえる。

ウォズニアックとアップルIIを放っておくわけにはいかなかった

ジョブズも「ダイヤモンドの原石」のように見え、やはり放っておくわけにはいかなかった

マークラは自宅オフィスに座ってビジネスプランの作成に取り掛かった。

大きく3点に焦点を合わせた。

第一に、会社の目標と市場を定義した。

「まずはホビイスト(コンピューターマニア)市場を踏み台にして大きな市場へ進出する」というシナリオを描いた。

第二に、価格戦略を定義した。

「アップルの基本マシンは、特殊な分野向けの専用コンピューターよりも手ごろな値段で売られるべきである。マシンの全機能が使われるわけではないのだから、それを価格に反映させる必要はない」と書いた。

第三に、アップルはコンピューターに加えて周辺機器も扱うべきだと提案した。

ビジネスプランを書き進めるうちに、マークラはアップルに対してますます興味を深めていった。

家庭用コンピューター産業に大きく技術貢献し、未来の新製品を生み出すパイオニアになれる!と。

タイミングも見誤ってはならない。

マークラは「家庭用コンピューター市場でアップルは最初にリーダー企業として認知されなければならない。これは極めて重要」と書いた。

計算してみると、アップルは今後10年で年商5億ドル企業に成長すると予想できた

マークラは二つの意味で優位に立っていた。

一つは、アップルIIの現物を自分の目で見ていたこと。

もう一つは、すでに数字を分析してアップルの成長軌道を描いていたこと。

もちろん、最初のビジネスプランは「5万フィート(15キロメートル)上空から眺めたような内容」であり、大ざっぱであった。

それでありながらも、マークラはビジネスプラン執筆中に高揚感を覚えている。

「心からの欲望」と「論理的な帰結」が見事に一致したからだ

アップルIIが大好きだというのが心からの欲望だとすれば、数字のうえではソコン事業が大化けするというのが論理的な帰結だ。

マークラはいろいろ不安材料を頭の中で描きつつ、こうも考えてみた。

ビジネスプランによれば、アップルはこれまでにないような史上最速のスピードで成長していく

「本当に参った…こんなに大きなチャンスがやって来るなんて」とマークラは妻リンダに向かって言った。

「やってみなければならないと思う」

1977年1月3日、アップルコンピュータは法人登記した。

マークラは法人登記に合わせてアップルの初代会長兼マーケティング責任者に就任した

ジョブズとウォズニアックは喜んだ

2人ともパートナーシップ結成直後から「経験豊かなベテラン経営者の協力が必要」と思っていたからだ。

どこにも業界基準がない

マークラはアップル入り後、優先課題の一つとしてアップルIの回収を挙げていた。

「アップルIには信頼性の点で問題があり、悪い評判を引きずったままでスタートするのは避けたかった。」と述べている。

そんななか、マークラはレジス・マッケンナに助けを求めた。

自分の名前を冠したマーケティング・PR会社レジス・マッケンナ・インク(RMI)を率いて、インテルのマイクロプロセッサー投入を成功に導いた立役者でもあった。

マッケンナは早い段階から2人に注目していた。

彼がアップルについて書いた最初のメモー法人登記の前ーはアップル創業物語の魅力に触れ、「ウォズニアックは電卓を売り、ジョブズはミニバンを売ってシードマネーにした」と記していた。

さらには「どこにも業界基準がない。アップルが自ら業界基準を決めるチャンスがある」とし、アップルに将来性があると匂わせていた。

世界最大のコンピューター見本市でデビュー

アップルが世界で飛躍する舞台として選んだのは、1977年4月の「第1回ウエストコースト・コンピューター・フェア」だった。

世界最大級のコンピューター産業見本市であり、サンフランシスコの公会堂を会場にして1週間にわたって開催される予定になっていた。

見本市に先立って、マークラはジョブズとウォズニアックの2人にアドバイスした。

まずは服装とひげ

プロフェッショナルらしくきちんとした服装を選び、ひげを整えておくよう念押しした。

次にリハーサル

アップルIIの最も魅力的な機能を再確認し、効果的な営業トークを心掛けるよう注意喚起した。

とにかく2人には真面目なビジネスマンらしく振る舞ってほしかったのだ

日曜日の朝、ブースの中に立っていたマークラは記者から質問された。

「アップルが目指している市場は何ですか?プログラミングをしたい人?それともゲームをやりたい人?」

これに対してはきっぱりと「すべてです。われわれは中小企業とか特定の顧客層を狙ったコンピューター会社ではありません。パーソナルコンピューター会社なのです!」と答えた。

シリコンバレーを支えた、知られざる7人

『トラブルメーカーズ』の冒頭には以下のように記されています。

一握りの天才がそれぞれ単独で大成功し、シリコンバレーを生み出したわけではないのだ。

確かに脚光を浴びるのは個々のスター起業家であるものの、周辺にいる「見えざるヒーロー」の存在を忘れてはならない。

『トラブルメーカーズ』

同書にはマークラのような、見えざるヒーロー達を軸にしたシリコンバレー史が詰まっています

自分自身のキャリアをかけて若手起業家を支えたヒーローの物語から、恐れずに進みつづける勇気が学べる一冊です。

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