ビジネスパーソンインタビュー

「後輩から将来の相談をされたら、こう伝えるんです」20代に贈るカンニング竹山のキャリア論

「お前らなんていらない」と言われた20代

「後輩から将来の相談をされたら、こう伝えるんです」20代に贈るカンニング竹山のキャリア論

新R25編集部

2019/04/02

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20代のうちに頭角を現せ

そんな意見が主流になりつつある今。その波に乗り切れず、「20代に成果を出せないと大成しないんじゃないか…」と不安や焦りを感じている方も多いはず。

今回は、そんな悩みを解決するヒントを見つけようと「20代で売れていたら、今の僕はなかった」と語る、お笑い芸人・カンニング竹山さんに登場してもらいました。

ナインティナインやネプチューンなど同期の芸人が20代で売れていくなか、少し遅れて「キレキャラ」として頭角を現した竹山さん。

最近では役者やワイドショーのコメンテーターなど仕事の幅を広げ、芸能界の第一線で活躍されています。そんな竹山さんに自身の20代を振り返ってもらってもらいました。

〈聞き手:ライター・浅田よわ美〉

【カンニング竹山】福岡県出身、1971年生まれ。サンミュージックプロダクション所属のお笑いタレント、俳優、漫才師、コメンテーター。現在は芸人にのみならず、役者やコメンテーターとして、幅広く活躍中

「キレ芸」は、芸人を辞めようと思ったときに生まれた

浅田

まずは竹山さんの20代のお話を聞かせてください!

竹山さん

20代のころは「売れたい」「笑わせたい」、ただそれだけしか考えていませんでした。

でも全然売れなくて、当時のマネージャーに「お前らなんていらない」と言われたんです。

浅田

20代でそんなキツいことを!?

竹山さん

そうです。もう辞めようかなと考えたときに、ブッチャーブラザーズのリッキーさん(現サンミュージックプロダクション取締役統括部長)だけが僕らを拾って面倒見てくれたんですよ。

リッキーさんはネタだけではなく、僕らの芸風についても一緒に考えてくれました。そのときに「キレキャラ」が生まれたんですよ。

浅田

竹山さんの「キレキャラ」って最初からじゃなかったんですね。

初めてカンニングさんのネタを見たとき、てっきり素なのかと…

竹山さん

「キレキャラ」が決まってからは、リッキーさんに言われたことはただひとつだけ。

客席に降りてぶん殴れ」です。

えっ…

浅田

そんな指導があったんですか!?

竹山さん

それくらいの覚悟でやれという意味です。

一番まずいのは、お客さんの空気にびびって一歩でも引くこと

「お前がキレてるとき、客席は笑ってなくても、楽屋では大爆笑が起こっている。それがきっと身を結ぶ日が来るから、引くくらいなら殴れ」と言われてました。

浅田

その姿勢に、竹山さん自身は抵抗なかったんですか?危ないんじゃないかとか…

竹山さん

僕らにはもうあとがなかったんで、リッキーさんが示してくれた道に進むしかなかったんです。

ただ毎日キレてると、どんどん「キレ芸」が楽しくなってきて、新しい表現やテクニックも身についてきました。

すると、今までは僕らのネタが怖くて泣いていた女の子たちもどんどん笑ってくれるようになったんですよ

怒られたり失敗したりして、今の自分を形作っていく

浅田

その後、竹山さんは「キレキャラ」を武器にテレビに出はじめたんですね。

最近は芸人としての仕事だけではなく、コメンテーターとしての活躍も見られます。

竹山さん

ありがとうございます。

でも実は僕、コメンテーターとしては一度失敗してるんですよ。朝のニュース番組をクビになりました。

浅田

そうだったんですか!? それはどうして?

竹山さん

僕、そのときはニュースの勉強を全然していなくて…話題にあがっている話を何も理解できなかったんです。

でも、「いいことを言おう」とか「頭良く見られたい」と思ってしまったんですよ。知識がないから薄っぺらなことしか話せない。

結局どうふるまっていいのかわからず、2年で外されてしまいました

浅田

なるほど…そんな竹山さんがコメンテーターとして成長したのはどんなきっかけがあったんでしょうか。

竹山さん

TBSラジオの『Dig』というニュース番組で鍛えてもらいました。

強制的に新聞を読まされたり、放送中にスタッフさんに怒られたり…と経験を積むなかで、ニュース番組のなかで自分のすべきことが、ちょっとずつわかっていったんです。

そこで気づいたのは、「僕は芸人であって、いいことを言うのが仕事じゃない」ということ。ニュースを使って人を笑わせるために僕が呼ばれているんだと気付きました。

竹山さん

そして「笑わせる」ためには知識が必要。

たとえば政治には右派や左派などの思想がありますが、いろんなリスナーを笑わせるためにはどちらかに偏ってはいけないじゃないですか。

政治的ないいことを話すより、どちらにも偏ってない中道の姿勢が必要だということも学びました。

今は政治も面白いってことに気づいて、自分から勉強するようになりましたね。

「あと『探偵ナイトスクープ』のスタッフにも人付き合いについてや現場力など、色々教わって…」と、学びのエピソードがつきない竹山さん

鈴木おさむさんの誘いがあったから、僕は芸人でいられる

浅田

ちなみに、竹山さんはこれからますますコメンテーター業に力を入れられていくのでしょうか?

竹山さん

それはないですね。僕はあくまで芸人なんで。

ただし、僕が芸人と胸を張れる仕事は、今はひとつだけ。

年に一度、鈴木おさむさんと開催している「放送禁止」だけです。

浅田

いつも年末に行っている単独ライブですよね。チケットもすぐ完売してしまうという。

「放送禁止」を始めたきっかけは、なんだったんですか?

竹山さん

相方の中島(忠幸)が亡くなってしばらくしたころ、おさむさんと飲む機会があったんです。そこで、「舞台やりましょうよ」って誘われました。

でも、最初は断っていたんですよ。

浅田

どうしてですか?

竹山さん

単純にめちゃくちゃ忙しかったし、単独ライブをやる余裕もなかったんです。

でも、おさむさんに「竹山さん、今、心にぽっかり穴があいてるでしょ?」と言われて。図星だったので、驚いてしまいました。

竹山さん

売れていなくても、相方と2人で活動していたころは「自分は漫才師だ!」と思えていました。

でも、ひとりになってから、漫才をしていない自分は何者なのかがわからなくなってしまったんですよ。

おさむさんはそんな僕のことをわかっていたんでしょうね。

(ライブを)続ければ力になって、何をやっていても怖くなくなります。僕、手伝いますよ」と声をかけてくれたんですよね。

浅田

それで、ふたりで舞台をやることになったんですね…

竹山さん

そうですね。おさむさんの言葉が頭から離れなくって、半年くらい悩んだんです。「俺は逃げていていいのか?」と。

それでようやく「やろう」と決めて今年で12年。本当にやってよかった。

自分の将来について、ビートたけしさんと話す機会があったんですけど、「お前には『放送禁止』があるから大丈夫だ」という言葉をもらいました。

竹山さん

今、「お前、何の芸ができるんだよ」と言われたら、「『放送禁止』を見てください。こういうことをやる芸人です」って自信を持って言えます。

20代で伸び悩んでも「まだ待ちだ…!」の精神で蓄えておけ

浅田

竹山さんがまったく売れなかった時期から現在の立ち位置を手に入れるまでで、一番大切だったことはなんだったと思いますか?

竹山さん

やっぱり経験をちゃんと蓄えられたことですね。

だから僕は、20代はじっくり学んで蓄える時期だと言いたい。

浅田

蓄え…まわりがどんどん活躍していると焦ってしまう気もしますが…

竹山さん

僕は後輩に将来の相談をされたとき、「人生は80年もあるんだから、トータルバランスを考えて生きろ」と伝えています。

もし20代で売れても、その後にすぐピークが終わっても仕方がないぞと。

たとえ同世代が活躍していても、「今はまだ待ちだ…」と耐えて、自分が力を発揮できる場が整うまで、経験を積んで蓄えつづけるべきだと思っています。

手に「蓄える」イメージを込める竹山さん

浅田

なぜそんなどっしりと構えていられるんでしょう?

竹山さん

小学3年生のころに、父親の会社が倒産したんです

それまで父の親友として僕のこともすごくかわいがってくれた人が突然「金返せ!」と怒鳴り込んできたことがありました。

自分を取り巻く環境が大きく変化するのを目の当たりにして、子供ながらに「人間って金で変わるんだな」と感じたんですよね。

そういう経験をしたことで、少し離れて物事を見る癖がついたのかもしれないな。

だから、人生に対しても、ちょっと離れた目で見ていたのかもしれません。

幼少期の経験やお金についての価値観はまた別の機会にじっくり伺いたい…!

竹山さん

僕はまだ売れたとは思っていません。

ただ、自分のやりたいことをやれるようになってきたな、と思ったのは45歳になってからなんですよ

もし僕が20代で売れていたら、経験を蓄えることができなくて、今はもう残っていなかったと思います。

売れなくても冷静に蓄えて蓄えて…ようやく自分の活躍できる場がハマってきたなと思っています。

花開くのが遅くたって、最後に勝てればいいんですよ

木梨憲武さんから学んだ「人生は遊びだ」ということ

浅田

今日はすごく勉強になりました。

まわりの人たちの活躍を見ても焦らず、じっくり蓄える時期があってよいということですね。

竹山さん

そうですね。ただ、最後にこれだけは言わせてください。

蓄えることは必要ですが、辛い思いをする必要はないと思います。

長い人生は、修行ではなく「遊び」なんです。

浅田

遊び?

竹山さん

3年前にとんねるずの木梨憲武という男に出会って、その価値観を教えてもらったんですよ。

憲武さんは先のことしか見ない人なので、失敗したとしても基本的に反省をしないんです。「反省したところで何も生まれないだろ」と。

たまに飲みながら「やばい、やっちゃったなあ~」と言ってるときはありますが(笑)。

でも、こんなに人生を楽しんでる人を初めて見て、「こんなふうに生きればいいんだ」ということを知りました。

浅田

自分が今うまくいってなくても、それに対して思いつめる必要はないと。

竹山さん

そうです。さっきも話した通り、人生は80年もあると考えると、「長い人生をもっと楽しく遊ぶためにはどうしたらいいか」って考えたほうがワクワクしませんか?

…とは言っても、それでもやっぱり時にはクヨクヨと悩んだり落ち込んだりすることはあると思います。

でも、そんなときでも「すべては遊びなんだ」という心持ちでありつづけることが大事なんですよ。

最後に満面の笑みをもらいました

竹山さんを今日まで導いたのは、芸能界の先輩に教わった教えと、ご自身の経験の蓄え。

思うようにいかないことに悩んでいる人は「今は待ちだ…!」と耐えて、たくさんの経験を蓄えることに集中すれば、それがのちの爆発力を育てる一手になるかもしれません。

最後に竹山さんからのメッセージをもう一度。

焦るな20代! もし今花が開かなくても、最後に勝てればいいんだ!!

〈取材・文=浅田よわ美(@asadayowami)/編集=福田啄也(@fkd1111)/撮影=長谷英史(@hasehidephoto)〉

竹山さんの本『福島のことなんて、誰もしらねぇじゃねえかよ!』発売

2011年の東日本大震災が起こった直後から、竹山さんはプライベートで福島に現地入りし、福島の現状をご自身の目で見てきました。

「被災地に対して自分も何かしたいと思っても、自分には炊き出しのノウハウもないし、物資を送る方法もわからない。だったら自分ができることを考えよう」と行動を起こしたことで生まれた今回の一冊。

笑える福島と遊ばないか!」をテーマに、自らの取材でわかった福島の姿をつづっている一冊です!

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