ビジネスパーソンインタビュー
夢の“火種”はなぜ消えなかった?
「消えない火が、自分の核だった」佐藤二朗が二度も挫折して就職した20代の本音を語る
新R25編集部
子どものころや青春時代に夢を持っていても、多くの場合、いつかは現実と向き合わないといけない日が訪れるもの。
私ライターのサノも、15歳のころから「ミュージシャンになる」という夢を追いかけていましたが、社会人になるタイミングで一度諦める決断をしました。
しかし、役者として唯一無二の存在感を放ち、映画やドラマで大活躍されている佐藤二朗さんは、二度夢を諦めて就職の道を選びながらも、最後には役者という夢を叶えた人なんです。
今回はそんな佐藤さんに「何度も夢を諦めたのに、どうして奮起して追いかけることができたのか」という話を聞きました。
「俺の20代、ほんとうにボロボロよ?大丈夫?(笑)」と和気あいあいとした雰囲気で始まったインタビューが、次第に熱く、真剣な空気に変わっていったのが印象的でした。ぜひお楽しみください!
〈聞き手:ライター・サノトモキ〉
【佐藤二朗(さとう・じろう)】1969年愛知県春日井市生まれ。4歳から愛知郡東郷町で育つ。 1996年、演劇ユニット「ちからわざ」を旗揚げ。トリッキーな役どころで話題となり、福田雄一監督作品には常連で出演している
役者の夢を諦めて就活する自分を、なんとか正当化していた
ライター・サノ
さっそくですが、佐藤さんが役者を目指し始めたきっかけは何だったんでしょうか?
佐藤さん
小学校4年生の学習発表会で、台本の8割くらい僕がしゃべっている劇をやったんですけど、父兄さんがすごく笑ってくれて。
その瞬間、「俺は役者になる運命なんだ」って天啓を得た気がしました。
今年10月にスタートしたバラエティ番組『99人の壁』の衣装でベテランのマジシャンのような見た目の佐藤さん
ライター・サノ
そんな早いころから…
佐藤さん
そこからずっと、バカみたいに「誰が何と言ったって、役者になるよ、俺」って思ってましたね。
ライター・サノ
その自信はずっと揺らがなかったのでしょうか?
佐藤さん
揺らがなかったとも言えるし、揺らいでいたとも言えます。
というのも、「俺は絶対役者になる」と思い込んでいた一方で、「役者で生きていけるわけがない」という客観的な視点も持っていたんです。
夢を信じる自分と、冷静な自分。田んぼばっかの愛知の片田舎で、ずっとその相反する気持ちの狭間にいました。
ライター・サノ
僕も中学生のころからミュージシャンを目指していたんですけど、その当時の気持ちは痛いほどわかります…
佐藤さん
で、そうこうしてるうちに大学生になって、あっという間に就職活動の時期になっちゃうわけですよ。
結局、大学に入っても役者になるきっかけをつかめなくて、「ふつう」に就職活動を始めました。
ライター・サノ
「アルバイトしながら夢を追う」みたいな選択肢はなかったのでしょうか?
佐藤さん
そういう道もあったと思うんだけど、当時は「就職」という選択肢を手放してまで、役者の道に進む勇気がなかったんだよね…
終身雇用、年功序列というものが確固たるものとしてあって、新卒採用じゃないと厳しい時代だったし。
ライター・サノ
“社会に合わせた”んですね…
でも、夢を諦めて就活するのって、モチベーションを保つのが難しくないですか?
佐藤さん
僕は、「劇場数の多い東京で働きたい」という不純な動機で、テレビ局とか広告代理店のような、東京勤務ができそうなマスコミ系を受けていました。
役者として生きていけなくとも、せめて土日の余暇を使って、趣味でお芝居をやりたかったんです。
ライター・サノ
夢を諦めてもなお、お芝居へのモチベーションは尽きなかったんですね…!
でもそれって、ほんとうに「趣味」のつもりだったのでしょうか…? それとも、まだどこかで「プロになりたい」という気持ちが残っていたのでしょうか?
佐藤さん
すごく正直に言うと、後者だね…
これまで、いろんなインタビューで「趣味」と答えてきたけど、本当はなんとかしてプロの役者になろうとしていたんだと思う。
マスコミ系を受けていたのも、「テレビ局に勤めながらお芝居を続けていれば、役者になるきっかけをつかめるかも」なんてよこしまな気持ちもあったからだし。
就職活動をする自分を、なんとかして正当化したかっただけかもしれない。
ライター・サノ
僕も、自分を納得させようといろんな言い訳をしながら型どおりの就活をした記憶があります…
では、就職して働きながらお芝居を続けられたんですね。
佐藤さん
あっいや、入社した会社は1日で辞めちゃったんです。
ライター・サノ
えっ?
佐藤さん
ホント僕の人生の汚点というか、お恥ずかしい話なんですが…
結局、自分をごまかして就活していたから、そんな簡単に辞めちゃったんだと思います。そのときの両親のがっかりした反応は今でも覚えていますね。本当に申し訳ないことをした。
「役者で飯を食えるわけがなかった」現実に打ちのめされた2度目の就職
ライター・サノ
辞めたあとはどうされたんですか?
佐藤さん
1年バイトで食いつないだあと、役者の養成所に通いました。
ライター・サノ
今度は、「アルバイトしながら夢を追う」方向に振り切ったんですね!
佐藤さん
そうですね。でも、1年後の入団試験に落ちてしまって。また別の養成所に1年通ってみたけど、そこもダメで。
いよいよ、「役者で飯が食えるわけがなかった。俺には適正がなかった」と思いました。それを機に足を洗って、26歳くらいで小さな広告代理店の営業マンになったんです。
ライター・サノ
26歳まで頑張ったのに、どうしてそのタイミングで再び就職の道を選ばれたのでしょう?
佐藤さん
食っていくためですよね。当時は2つ目の養成所で知り合った今の嫁と付き合っていて、2人ともお金がなかったので、やっぱり働かなきゃいけないよなって。
胸の底の底にある「役者になりたい」という火種を消すことができなかった
佐藤さん
結局2回目の就職で、広告代理店の営業になったんですけど、そこではかなり頑張りました。
小さな会社でしたけど、たくさん働いて、自分で言うのもなんだけど、すごい成績も出した。
でも…今思うと、俺は営業に打ち込むことで、「消火活動」をしていたのかもしれないなあ。
ライター・サノ
消火活動?
佐藤さん
当時はきっぱり諦めたつもりだったけど、胸の底の底に、薄くても、わずかにでも「やっぱり役者になりたい」という火種があったんだろうなと思うんです。きっと、仕事を頑張ることでその火を必死に消そうとしていたんだろうね。
でも、どれだけがむしゃらに働いても、それを消すことはできなかった。
それで結局2年くらいしたときに、もうどうしようもなく虫がうずいて、劇団「ちからわざ」を立ち上げたんです。
ライター・サノ
ご家族には何も言われなかったのでしょうか…? 「もういいかげんにして!」みたいな…
佐藤さん
それがねえ、嫁は「ああ、やればいいんじゃないの?」と言ったんです。よく文句も言わず、好きにやらせてくれたなと。
最初の会社を辞めたときは、「なんで1日で辞めるような会社に入ったんだ」と半泣きになった父も、俺が役者をすることについては何も言ってこなかったですね。
そういう意味では、僕を止めようとする人はいなかった。
ライター・サノ
周囲の人も、夢を諦めて苦しむ佐藤さんを見たくなかったのかもしれませんね…
佐藤さん
そうかもしれません。ただ、劇団を立ち上げたといっても、2年間のブランクがあるし、集客力だってもちろんないから、最初のお客さんは15人。
当然食っていけるわけがないし、劇団やるにもお金はかかるので、生活はより苦しくなりましたよ。
ライター・サノ
お客さんも入らず、お金もまた苦しくなって…「役者になる」という火種を消したいと思うことはなかったんでしょうか?
僕は、「いっそこの情熱が消えてくれたら楽になれるのに」と思ってしまったこともあるんですけど…
佐藤さん
それはなかったかなあ。「諦めたら楽になれる」とは思わなかったですね。
しんどくて、揺らめいて、もうほとんど消えかけの火かもしれないけれど、やっぱりそれが自分の核だと思ったから。
佐藤さん
何かの歌詞みたいだけど、「自分が自分でいる理由」というか、「お芝居をすることで、僕は僕でいられる」というふうに思っていたんじゃないかな。きっとね。
だから、諦めたいとは思わなかったです。
その証拠にじゃないけれど、鈴木裕美さんが演出を手がける「自転車キンクリート」という劇団に誘っていただいたのを機に、僕は広告代理店を正式に辞めて、アルバイト生活に戻りました。
ライター・サノ
いくら営業の成績がよくても、会社員では佐藤さんの「生きる意味」にはなれなかった…ということですか?
佐藤さん
再び役者を目指したことに、何か特別な理由やきっかけがあったわけじゃないんだよ。
ただ、「ああ、違うんだ。俺のやりたいことは」という火種が、ずっとあっただけで。
ライター・サノ
その火種を灯しつづけた先に、今のご活躍があるんですね。
「俺の芝居が見れないのは、世の中の人にとって損だ」という燃料がずっとあった
ライター・サノ
佐藤さんの20代って本当に夢と現実の間でずっと揺れていたんですね…
気持ちの整理をつけるのってすごく辛いことなのに、何度もそれに向き合っていたのは尊敬します。
佐藤さん
それは、実際に食っていくことはできないという現実を何度も突き付けられていたからでしょうね。
だから「自分には才能がない」って腹くくれたのかな…
ライター・サノ
そうですか…
佐藤さん
うーん、いや、やっぱりそれは違うなあっ!!
ライター・サノ
(ビクッ)
ど、どういうことでしょう?
佐藤さん
正直に言うと、自分の奥底にはずっと「役者としての才能は、俺、絶対あるぞ」という思いがあった。
就職活動していたときも、劇団のオーディションに落ちたときも、「俺の芝居が見れないのは、世の中の人にとって損だな」って、バカみたいだけど本気で信じていたと思う。
だから、これまで「自分には役者の適正がないと感じた」ってずっと答えてきたけど、それは全部諦めたフリだったんだよ!
佐藤さん
つまり「役者をやりたい」という火種は、「自分には才能がある」という燃料があったからこそ、ずっと燃えつづけていられたんだろうね。
ライター・サノ
…めっちゃくちゃかっこいいです。
佐藤さん
いやあの、これ書くときは絶対「この人バカだな~」とかコメント入れてね!? ホントにバカげた思い込みだから!
「絶対だよ? 俺痛いやつになっちゃうから!!」
ライター・サノ
すみません、僕の心に染み入ってるので、そんなこと書けません。
では、20代のころの自分から見たら、今の「佐藤二朗」はどんなふうに映るでしょうか?
佐藤さん
「よかった~バカなことを思い込んでて」かな(笑)。でもまあやっぱり、まったく想像もできなかったし、芝居のことだけを考えて生活できる日がくるとは思わなかったです。
まさに…“夢のよう”、だね。
夢を追う苦しさと、夢を追いつづけた理由を、等身大の言葉で語ってくださった佐藤さん。
夢を目指すうえで、才能や能力以上に、胸の底に眠りつづける想いを信じつづけた佐藤さんのあり方に、とても心強いエールをいただいた気がしました。
自分って、本当はどんな大人になりたかったんだっけ。自分のやりたいこと、叶えられているんだっけ。
この記事が、読んでくださった皆さんにとって、忙しい毎日のなかでふと足を止め、自分の胸の底で眠る火種に、想いを馳せるきっかけになったらとてもうれしいです。
〈取材・文=サノトモキ(@mlby_sns)/編集=福田啄也(@fkd1111)/撮影=森カズシゲ〉
お知らせ
佐藤さんが初MCを務める『超逆境クイズバトル!! 99人の壁』は、毎週土曜日19時からフジテレビにて放送中!
佐藤さんいわく、「MCをやっているというよりは、『お前主催者のくせにあんまり進行のことわかってねえじゃねえか!』って言ってもらえるような”クイズ闘技場の主催者”を演じている」とのこと。
役者の垣根を越えてもなお、「お芝居をすることで、僕は僕でいられる」というスタンスがブレていないところ、さすがにかっこよすぎねえかと思いました。
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