ビジネスパーソンインタビュー
「原点は“高校の保健室”なんです」
『爆笑レッドシアター』が転機に。迷走したジャルジャルが自分たちのスタイルを見つけるまで
新R25編集部
2017年の涙の敗戦から1年。
ジャルジャルがラストイヤーとして挑んだ「M-1グランプリ 2018」では、落語家・立川志らくさんが「99点」、オール巨人さんが「93点」と、この日の最高得点を付けました。
立川志らくさんは「ひとつも笑えなかったけど、すごくおもしろかった。これがプロの芸人を笑わせる芸なのかな、と感心しています」とコメント。さらには、ツイッターでも最大の賛辞を送っています。
よく「独創的な世界観」と評されるジャルジャルの笑いですが、彼らがその世界観を作るまでにどんなストーリーがあったのでしょうか? 今回のインタビューのテーマは、「ジャルジャルが自分たちのスタイルを確立するまで」。
この記事を読んだら、「ジャルジャルのコントって変だよね」なんて軽く言うことはできなくなるはずです。
〈聞き手=福田啄也(新R25編集部)〉
2017年の「ピンポンパンゲーム」を超えるネタはもうできないと思ってた
福田
2017年の涙から一転、2018年の「M-1」ではファイナルラウンドまで進み、お2人からは「やりきった!」というような表情が見られた気がします。
後藤さん
そうですね。まさにその通りで、できることは全部やりきりました。
福徳さん
ラストイヤーだったので、後悔は残らないようにしましたね。
左から、福徳秀介(ふくとく・しゅうすけ)、後藤淳平(ごとう・じゅんぺい)
福田
2017年の「ピンポンパンゲーム」のときは、これで優勝するストーリーだったとお話されていました。
あのネタが最高傑作だとも。
福徳さん
そうです。だから、2018年の「M-1」に臨むとき、2人とも「『ピンポンパンゲーム』を超えるものを作るのは無理やな…」って感じでした。
お互い口にはしませんでしたけど。
福田
しかし「国名わけっこゲーム」は、2017年の「ピンポンパンゲーム」を超えた見事な“芸”でしたね。
あのネタはどういう経緯で生まれたんですか?
福徳さん
あのネタができたのは、2018年の10月です。
すでに「M-1」の予選も始まってしまって、劇場の出番の合間にずっと新ネタ作りをしてました。
1日に3回ぐらい出番があるんですけど、舞台に出て新ネタを試して、戻ってきたらまたネタを作って、次の舞台で作ったネタをやってみる…という繰り返しです。
福田
ギリギリまでかなり思考錯誤されていますね…
後藤さん
かなりの難産でしたよ。最高だと思ったネタを超えるのって、やはり体力も気力も必要なので…
どんなにネタを作っても、心のどこかで「これではまだ超えられないな」と思ってしまう部分もありましたから。
福徳さん
そんなもがいているときに、「国名わけっこゲーム」の原型がパッと生まれたんですよ。
ゲームを続けていけばいくほど面白くなっていって、ボクらのテンションもバンバン上がっていく。
後藤さん
初めて「ドネシア」って言葉を発したときに、2人とも「うおおおお!!」ってなりましたね。
「ピンポンパンゲーム」の方向性で、厚みを持たせることができた。「これは完璧やな」って、お互いの目を見るだけでわかりました。
お笑いの原点は“高校の保健室”。保健室にいる子を笑わせることに熱中していた
福田
2018年の「M-1」では、中川家の礼二さんから、「過去何年か『M-1』に出ていて、ずっと形を変えなかった頑固さがすごいなと思う」と評価されていました。
お2人にはずっと「自分たちのスタイルを貫いてきた」という意識はあるのでしょうか?
福徳さん
「これだ!」というものを持っているわけではないです。
ただ、お笑いの原点のようなものはずっと持っているかなと。
福田
原点?
後藤さん
“高校の保健室”です。
ボクらは高校の同級生なんですけど、ずっと2人で保健室に入り浸ってたんですよ。
福徳さん
保健室には必ず体調の悪い子や保健室登校の子がいるじゃないですか。
「せっかく学校に来ているんだから」と思って、その子らを笑わせることに熱中していたんです。
ずっと2人で即興コントのようなものをやっていたんですよ。
福田
めっちゃ素敵なエピソードじゃないですか…!
福徳さん
そこで覚えた、“人を笑わせる”楽しさというものが、ボクらの根底に流れているんだと思います。
「芸人なんだから漫才をやらないと」から脱却した即興コント
福田
ジャルジャルさんって最初から今のような、独創的なネタを作っているのでしょうか?
後藤さん
いや、最初からではないですね。
というのも、NSCに入った当時は普通の漫才をやっていたんです。「芸人になるなら、漫才をやらないと」って思っていて。
でも、それがまったくウケなかったんですよ。
福田
へええ。当時の漫才を見てみたいです(笑)。
福徳さん
漫才よりも楽しかったのが、ネタ合わせの合間にやってた即興コントなんですよ。
2人できゃっきゃしながら遊びでコントしてて、その後に漫才の練習をする。
「あれ? なんで本気で漫才をやっているんだろう?」っていう感覚はずっとありました。
福田
そこにギャップのようなものがあったんですね。
漫才から今のコント中心にうつったのはいつだったんですか?
後藤さん
NSCに入った2002年の「M-1」のあとです。
ボクらは1回戦で落ちてしまって、そのあとにNSCのネタ見せがあったんですけど、「落ちたネタやっても意味ないな」って話して、高校時代にやっていたような“即興コント”を見せたんです。
そしたらめちゃくちゃウケて、やっているボクらも楽しかったんです。
福徳さん
ボクもあのときの手ごたえが、今もまだ心に残ってます。
「オレらのお笑いはこれだったんだ」と見つけたタイミングでした。
ちなみにこれが初めて作ったコント『チャゲちゃう奴』
2人で坊主、トリオになろうとするなど、迷走する過去も…
福徳さん
ただ、コントに振り切っても最初は全然ハマらなくて、迷走したこともありますね。
オーディションに通らなくて、2人とも坊主にしたことがあります。見た目を変えれば、お客さんの反応も変わるかなって思って(笑)。
後藤さん
あとは1回だけ、トリオになろうと思ったことがありますよ。
福徳さん
そんなことあったなあ。ボクらはダブルボケなので、ちゃんとしたツッコミを入れようと思ったんですよ。
それでNSCの同期で、よく遊んでいた小谷真理という男を入れようとしてたんです。
今はホームレス小谷として活動している男ですね。
福田
ホームレス小谷さんとジャルジャルさんにそんなつながりがあったんですね!!
後藤さん
小谷は生粋のツッコミなので、ボクら2人とも小谷と遊ぶのが大好きだったんですよね。
だから、「もしかしたら小谷を入れてトリオとして活動するのもありかもな…」って話し合ったこともあります。
福田
2人には思った以上に紆余曲折があったんですね。意外です。
福徳さん
ボクらってめちゃくちゃ素直だったので、NSCでもダメ出しされても、それを忠実に守ってネタを作っていたんです。
後藤さん
当時は、先生の言うことは絶対だと思ってたんですよね。
でも、先生に言われたことを守って作ったネタがお客さんの前であんまりウケなくて、「結局お笑いに正解ってないんだな」って悟りました。
そのとき、ひとつ殻を破った気がします。
『爆笑レッドシアター』での経験が2人の視野を広げた
福田
15年間で大きく芸風やスタイルを変えようと思ったことはないんですか?
福徳さん
それはないですね。どんどんウケるようになってきて、実力がついている実感もあったので、逆に尖っていきました。
後藤さん
ほかの人のネタをちゃんと見ずに、「自分たち以外は面白くない」って決めつけていた時期もありましたね。
東京に出てきたときは「戦わなければ」という気持ちもあったので、特にその意識が強かったと思います。
福田
それって2009年の『爆笑レッドシアター』(フジテレビ)が始まったころですよね。
福徳さん
そうです。当時は「自分たちが一番面白い」って2人とも思っていたので、まわりの芸人とは一線を引いていました。
福徳さん
当時、はんにゃの「ズクダンズンブングンゲーム」が大人気だったんですけど、最初は「これはお笑いではないだろう」と思ってたんですよ。
でも、ユニットコントではんにゃと共演したとき、「これは面白いっていうより、楽しいんだな」ってわかった感覚があります。
福田
おお…その感覚が今のネタにも生きているんじゃないですか?
福徳さん
どうでしょうね~(笑)。
でも、『レッドシアター』でほかの芸人と深く関わったのはジャルジャルにとって大きな変化だったかもしれません。
福田
それはどういった面で?
福徳さん
あるとき、ロッチのコカド(ケンタロウ)さんと2人で映画を見にいったことがあって、帰りに神社に寄ったんです。
そこでお参りしたあと、コカドさんに「何お願いした?」って聞かれたんですけど、ボクは「ジャルジャルが日本一のお笑い芸人になりますように」とお願いしたので、恥ずかしくて言わなかったんです。
でもコカドさんに聞いたら、「レッドシアターのメンバーがみんな活躍して、番組がもっと大きくなりますように」ってお願いしてて、「なんて平和な人なんや…それに比べてオレは自分のことしか考えてなかったなあ…」ってショックを受けたのを覚えています。
後藤さん
あの番組があって、ボクらもまわりを見る目線が変わったのはいいことでした。
その後、『めちゃイケ』はじめ、いろんなスタイルのバラエティ番組に呼んでもらえるようになったので、「まわりを見る」「ほかの芸人たちと一緒に、笑いを作っていく」ということができるようになったのは大きかったです。
最初から軸があったわけではない。それは継続することで確立されていくもの
後藤さん
ボクらってずっと「軸がある」と評価されていますけど、やっぱりそれは違うかなと思います。
福田
そうですね…話を聞いていると、最初からスタイルを確立していたわけじゃないみたいですね。
後藤さん
そう。もちろん今は、自分たちのスタイルや方向性とかはあるんですけど、それは「ネタを作れば作るほど、固まっていった」というイメージです。
継続することで、どんどん強固になっていったんですよね。
福徳さん
ボクも芸歴5年目のときとか、「今から10年たったら、ネタの作り方や世界観が変わってるんじゃないかな」と思ってたんですよ。
むしろ「どう変わるのかな」ってワクワクしていました。
でも、15年たってまったくネタの方向性が変わってないってことは、一生ジャルジャルのネタの姿勢は変わらないんでしょうね。
それは、時間がたたないと気づけなかったことだと思います。
ネタは8000本以上。ジャルジャルが15年で確立した“ネタ作り”
福田
現在ジャルジャルさんのネタのストックは8000本以上あると聞きました。
芸歴15年でその量だったら、毎年数百個のネタが生まれます。なぜそんなにたくさん生まれるのでしょう?
福徳さん
よく聞かれるんですが、その答えは簡単です。
ネタの完成度のハードルがめっちゃ低いんですよ。
後藤さん
「これはネタじゃないだろ」ってほかの芸人に言われるものの、1本にカウントしてますからね。
ただ歌ってるだけのやつとか(笑)。
福徳さん
ネタ作りって職人のように作り上げていくように思われますが、ボクらのコンセプトは即興コント。
だから、なんでもネタにしようと思えば作れるんです。
「屁の足音」というコントは、「ボクが屁をする前には、なぜか外から足音が聞こえる」というものなんですけど、それは2人で楽屋にいて、廊下から足音が聞こえてきたときにボクが屁をこいて生まれたネタなんですよ。
後藤さん
福徳が屁をこいた瞬間、2人とも同時に「これ面白いな」って思ってコントに仕上げたんです。
福田
ひょんなことを面白いと思えるセンサーが2人とも備わっているんですね。
福徳さん
まさにそうです。しかも、その感覚もずっと一緒に続けてきたからこそ強くなっていったんだなと思います。
チャンピオンにはなりたいけど、一番は“新ネタ”を待ってくれているファンのために
福田
最後に、これは聞かせてください。
昨年が2人にとって「M-1」のラストイヤーでした。大きな目標をひとつ失ってしまいましたが、今後はどうしていきたい、という展望はありますか?
後藤さん
「キングオブコント」はまだチャンスがあるから狙っていきたいですね。
やっぱりボクらって賞レースが好きなんですよ。バトルものは刺激にはなりますから。
福徳さん
お笑い界では最近、賞レースを批判する声も上がっていますが、やはりチャンピオンになるってことを諦めるのは違うかなと思っていて。
チャンピオンって、とんでもない運を持ちあわせているんです。
福田
やはり最後は運、という感覚があるんですね。
福徳さん
もちろん。「M-1」も「キングオブコント」も決勝に出ている人はみんな優勝できる実力があります。
ただ、その日の天気や温度、時刻、お客さん、など複合的な要因がすべてかみ合ったコンビが優勝できると思うんですよ。
そのとんでもない運を持つっていうのには憧れますね。
後藤さん
ただ、「キングオブコント」に向けて頑張る、というより「今年もどんどん新ネタも出していく」という姿勢のほうが大事かなと思っています。
福田
現在もかなりのネタ数があるのに、あえて新ネタにこだわる理由って何なのでしょう?
福徳さん
新ネタを出すことが一番ファンが喜んでくれますからね。
音楽でいうと、後藤はビートルズが好きで、ボクはスピッツが好きなんです。
後藤はよく「ビートルズにはもう新曲がないけど、スピッツには毎年新曲がでてくる。だからスピッツのファンは新曲が出るたびに楽しいよな」って話しているんですよ。
後藤さん
ファンにとっては、ボクらの新ネタは同じ感覚なのかなと考えていて。
だから、ボクらも新ネタをどんどん作っていて、楽しんでもらいたい。この姿勢は10年、20年たっても変わらないものだと思っています。
〈取材・文=福田啄也(@fkd1111)/撮影=土田凌(@Ryotsuchida)〉
ジャルジャルからのお知らせ
ジャルジャルが15年目にして初めての全国ツアーDVD「JARU JARU TOWER 2018 ジャルジャルのたじゃら」を2月13日(水)に発売します。
15年で培ったコントたちをぜひライブ映像でお楽しみください!
また、8000本以上あるコントのタネはYouTubeチャンネル「JARU JARU TOWER」でも見られますので、こちらもぜひ見てみてくださいね。
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