ビジネスパーソンインタビュー
「自分の夢をバカにする奴らを絶対に許すな」
彼はなぜラクを選ぶ? 会社員から映画監督へ。27歳・小林勇貴の「夢の叶え方」
新R25編集部
初の商業映画『全員死刑』で、昨年の町山大賞(映画評論家の町山智浩氏がその年に一番優れていると感じた作品に贈る賞)を受賞し、NGT48のMVも手がけた小林勇貴監督。
弱冠27歳ながら、実際の不良を役者に起用した大胆な作風や、計算されたカメラワークが話題となり、今もっともアツい若手映画監督として注目されています。
意外にも、映画監督になる前は会社員として働いていた過去もあるという小林監督。そんな彼に夢を実現するために大切なことを聞いてきました。
※聞き手:ほかり ゆりな
映画が好きすぎるから、休めないことは苦じゃなかった
ほかり
小林さんは、映画監督になる前はデザイナーをしていたんですよね。
小林
卒業後の進路を決める際に、高校の担任に「つぶしがきくから、経済学部に行け」と言われたんです。
だけどうちは母子家庭で、母親に何千万円も払わせてまで適当な選択なんてしたくなかった。そこで真剣に将来を考えていたときに、デザイナーという仕事を知りました。
地元・富士宮にはデザイナーをしている人なんていないし、本のカバーデザインやCDのジャケットなど、見てくれのものを考えて作り出す仕事があることが衝撃でした。
漫画を描くことが好きだったのもあり、東京の専門学校でデザインの勉強をして、デザイナーになったんです。
ほかり
会社員として働きながら、映画をつくることになったきっかけを教えてください。
小林
東京には、本当に多くの映画館があって、上京してから映画を観まくっていました。当時の上司と深夜に映画について話す日が多く、「お前も映画を撮ってみなよ」と言われたことがあったんです。
当然、「撮影機材がないし、録音マイクもない。脚本はどうする? 出演者は?」となるけど、そこで思い浮かんだ言い訳すべてに、自分の頭のなかですべて反論が成立したんです。
機材はないけど、一眼レフで動画が撮れる。録音マイクもないけれど一眼レフの動画録音はある。脚本は自分で考えて書けばいい。出演者は友達に頼めばいい。自分が映画を撮れるとわかった瞬間、「やらなきゃ!」と思えた。
一作目の自主映画の撮影一日目で、もうヤミツキになりました。
ほかり
デザイナー時代、会社員をやりながら自主映画をつくっていたとのことですが、朝早くから深夜まで働いて、そのあと映画の制作という日々はきつくなかったですか?
小林
映画が好きすぎたので、きついとは思わなかったです。
もともと仕事だけで一日終わってしまうのが悔しいから、終電で帰って、TSUTAYAで映画を借りて徹夜で観続ける日々を送っていました。
映画に関しては「寝ないこと」なんてまったく苦じゃなかったですね。
周囲からバカにされて悔しい日々と、ブチ切れた最終出社日
ほかり
映画の制作のためにデザイナーをやめて、印刷所で契約社員をはじめたんですよね。
小林
映画を撮る時間を確保したいから、夢だったデザイナーをやめて印刷所で契約社員のオペレーターとして働きはじめたのですが、そこでもいつの間にか働く時間がどんどん長くなっていきました。
当時、地方の映画祭で賞を獲ったりしたけれど、まわりには映画に興味がない人がほとんどだったから「アカデミー賞とは違うよね?」「映画を言い訳にしているけれど、本当はちゃんと働きたいんだよね?」という感じで、なかなか理解してもらえなくて。
あの頃は悔しかったです。
ほかり
当時、どんな生活を送っていたのですか?
小林
印刷所で簡単な修正をやっていたのですが、とにかく映画を撮りたい気持ちが強すぎて、仕事中も映画のことばかり考えていました。
イラストレーターの横にメモ帳を出して脚本を書いて、それをこっそり印刷して確認したり、週末の撮影のために不良たちに連絡したりしていました。
ほかり
よく怒られなかったですね…!
小林
だけど結局契約が更新されないことになって、最終出社日に僕のタイムカードが急に消えたんです。それがないと1カ月働いたことにならないのに。
同じ部署の人に聞くと「人事部の人が持っていった」と言うので取りに行ったら、「(人事部の)一番エライ人がいないから返すことができない」と言われたんです。
小林
ただ、そこで「てめえら、いい加減にしろ!ここで暴れてもいいんだぞ!!」と言ったら、タイムカードを返してくれました(笑)。
それが僕の最終出社日です。その日以降、映画を撮りまくる日々が始まりました。
大好きな映画を撮りつづけるために、ラクを選ぶ
ほかり
去年は、初の商業映画『全員死刑』が映画ファンのあいだで話題になりましたよね。
今年はNGT48のMVを撮影したり、新作の準備をしたり、忙しい日々を送っていると思いますが、仕事をする上で意識していることがあれば教えてください。
小林
僕は自分が甘えん坊だという自覚があるからこそ、「大好きな映画を撮りつづけるためにラクをする」ということを意識しています。
編集をしていても、脚本を書いていても、眠ければ寝る。効果音をつけるときも、徹底的にこだわる人は骨付肉を買ってきて、叩いて、自分で納得できる打撃音をつくるんです。でも僕はそういうことは一切やっていなくて、フリーの打撃音を重ね合わせたりしている。
「徹底的にやる」とか「一つひとつにこだわる」とか、それはラクを選びまくって継続できる状況がつくれてはじめてできることだと思うんです。そうじゃないと、自分の気持ちにがんじがらめになって、身を滅ぼしてしまう。
僕はとにかくやりたいことを成就させるためにラクを選ぶ。めげずにやり抜きたいから。
提供画像
地元の不良たちに協力してもらった『孤高の遠吠』はぴあフィルムフェスティバルに入選した
ほかり
地元の不良に出演してもらうなど、小林監督の作品はまわりの人をどんどん巻き込んでいる印象がとても強いです。
小林
不良たちといっしょに撮影するときは、みんなのテンションが一番上がるシーンを最初に撮影します。
何かを壊したり、アクションシーンだったり、興奮が生まれるシーンを最初に撮ることで共犯者になれる。会話劇などは中盤に撮影しています。映画を撮ることが「すごく楽しいことなんだ!」と思わせることで道連れにできると思うんです。
ブラック企業の手口と同じですね。異常な熱狂状態にすることで、ブラックであることを忘れさせます!(笑)
自分の夢をバカにしてきた奴らを「絶対に許さない」という気持ちを持て
ほかり
今、やりたいことがあるけれど、なかなか挑戦できない人に向けてアドバイスをください。
小林
やりたいことができるかわからなくて、不安な気持ちはよくわかる。
自分も東京でデザイナーをやりたいと思ったとき、僕の地元の人たちはそれを馬鹿にしてきた。「そんな職業はない」「東京に行って、失敗してきた人をたくさん見てきた」。みんなそう言っていたんです。だけど、すべてウソだった。
僕はそういう奴らの言葉を全部おぼえている。その人たちが働くお店で、何時間もただ座って彼らを見ていたこともありました。絶対に許さないぞ、という目で。
誰かに意味もなく自分の夢をバカにされたり、理不尽な目にあったりしたら、そういう怒りを持つことが大切だと思います。
それが絶対、エネルギーに変わりますから。
〈取材・文=ほかり ゆりな/撮影=澤田聖司〉
【小林勇貴(こばやし・ゆうき)】
映画監督。1990年9月30日生まれ、静岡県富士宮市出身。2013年から映画撮影をはじめる。『Super Tandem』(2014)で第36回PFF入選、『NIGHT SAFARI』(2014)でカナザワ映画祭グランプリ。『孤高の遠吠え』(2015)でゆうばり国際ファンタスティック映画祭グランプリ。2017年11月、『全員死刑』で商業映画デビュー。2017年12月には二本目の商業映画『ヘドローバ』が公開された。著書『実録・不良映画術』(洋泉社)
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