「私ってモーニング娘。に必要なのかな?」

「努力は報われるわけじゃない。でも…」ドン底から這い上がった道重さゆみの現在地

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記事提供:Woman type
立ち直る、立ち上がれる、何度でも。再生する女たち

人生100年時代。長い長い人生は、楽しいことばかりではない。時には「もう無理」と嘆きたくなるような、つらい時期もあるかもしれない。でも、私たちは必ず、立ち直ることができる―。それを証明してくれる、女性たちの姿を紹介しよう。

「再生する女たち」。この特集テーマに、これほどふさわしい女性はいない。
モーニング娘。OGの道重さゆみさん。歌とダンスが苦手で、かつてはグループの落ちこぼれだった彼女は、8代目リーダーとしてモーニング娘。を牽引。

毒舌でナルシストな言動から「女が嫌いな女ランキング」で名前を挙げられることもあったが、今や熱狂的な女性ファンを獲得し、他のアイドルが「憧れの存在」として名前をあげる存在になった。

モーニング娘。卒業後、休養期間を経て芸能界に復帰してからのソロ公演『SAYUMINGLANDOLL』の総動員数は1万人を超えた。グループとしても個人としても、大変だった時期からの再生を果たした道重さんは、今何を思うのだろう。

私はモーニング娘。に必要なの? 休んでもバレないくらい目立たない存在だった

道重さんがモーニング娘。に加入したのは2003年。「モーニング娘。が好きっていう気持ちだけでオーディションを受けた」という中学1年生の少女は、大好きなモーニング娘。のCDジャケットや生写真を眺めては、「私がメンバーになったらどの立ち位置だろう?」と想像を膨らませていた。

「書類審査が通った瞬間、『これはいけたな』って思ったんですよ(笑)。自分に自信があったというよりは、当時は歌とダンスが苦手だってことを自覚していなくて。私、オーディションを受けるまで音程の存在を知らなかったんです(笑)。

それなのに、すぐにテレビで観ていたキラキラの世界の一員になれると思っていたし、実際にモーニング娘。になれたことで『私も歌とダンスが得意なんだ』って勘違いしていました」
憧れのパフォーマンスの裏には、テレビに映らない努力がある。

そんな事実に気付いて、「先輩たちに追いつかなきゃ」という気持ちが芽生えた。だが、追いついた先に待っていたのは、他のメンバーに埋もれてしまうという新たな現実だった。

「悪目立ちしていた時は、新メンバーだったし、注目もしてもらえたんです。でも1年くらい経ってよくもわるくも馴染んでしまったら、どこに自分がいるかが分からなくなっちゃって。

先輩やマネージャーさんには『キャラクターを見つけてね』って言われるんですけど、どうやって見つければいいかも分からないし、空回りしていました」

ブログもSNSもない当時、自分をアピールできる場はテレビとライブ以外にない。それなのに、道重さんの立ち位置の多くは後ろの端っこ。ソロパートもほとんどなかった。

「歌番組ではソロパートを歌っているメンバーがカメラに抜かれることが多いので、私が画面を独り占めする時間なんて、1回あればいい方。その1〜2秒で『この子かわいい!』って印象付ける表情の練習を必死でしましたが、なかなか目立てなくて。

どれだけ努力して歌の練習をしても、それは他のメンバーも同じこと。実力の差が全然縮まらなくて。『私ってモーニング娘。に必要なのかな?』って、当時はすごく悩んでいました」

“道重さゆみの歌い方”が確立されたのは、歌が苦手だったから

私のことを見ている人は一人もいないんじゃないか」。そう思っていた時期もあったという道重さんだが、そんな状況であっても頭の上でピースを2個する“うさちゃんピース”をやり続けた。

「決まった振り付けがある中、唯一自由にしてよかったのが、好きなポーズをしていいパートでした。その時にいつも“うさちゃんピース”をしていたら、ある時からファンの人に『うさちゃんピースしてください』って言われるようになって。

『え、見てくれてたんだ!』って、本当にうれしかったんです。『あぁ、この人たちがいるから頑張ろう』って、心からそう思いました」
うさちゃんピース!
時にはステージに立つのが怖かったり、自分に自信が持てなかったりすることもある。そんな時は「よし、今日もかわいいぞ!」と鏡に向かって話し掛けた。

自分を励ますおまじないのような行動が、奇しくも「キャラクターがない」という悩みを解決することにもつながった。

「先輩たちが『さっき道重が鏡に向かってかわいいって言ってた』ってMCで話しているのを聞いて、わざわざ話すことなんだ!ってびっくりして。

でも面白いって思ってもらえるなら…と思って、ちょっと大げさに言ってみるうちにキャラになったというか(笑)。キャラって、出そうと狙っている時ほど生まれなくて、ふと見つかるものなんですね」

“道重さゆみの歌”を確立することができたのも、歌が苦手だったからこその結果だ

「私は歌が上手じゃないんですけど、たまたましゃくりを入れる歌い方をしたら、それが私らしいと言われるようになりました。歌もダンスも、もちろん上手だったらよかっただろうなと思うんですけど、そうじゃなかったからキャラクターが見つけられた部分もあるのかなって。

『加工が似合う声』って言ってもらえるのもうれしくて、今では曲を聞いて、『さゆだ!』ってすぐに分かってもらえます」

「道重さゆみを知ってほしい」から「モーニング娘。を知ってほしい」に意識が変わった理由

そして大きな転機となったのが、道重さん一人で出演したバラエティー番組の仕事。

毒舌ナルシストキャラ”として知られるようになり、「嫌いな女ランキング」にランクインすることもあった。バッシングに落ち込むこともあったのでは? と思いきや、「そうでもなかったんですよ」と道重さんは笑う。

「『知名度上がったのかな!?』って。とにかくバラエティーで私のことを知ってもらいたい!と思っていたので、何を言われようと、バラエティーに出始めたばかりのころはそこまで気にしていませんでした(笑)。

せっかくキャラも見つかったんだし、自分らしくいようっていう気持ちが強かったんです」
だが、道重さんの知名度が上がる一方で、モーニング娘。のメディア露出は減少。毎週のようにライブをやっているのに、番組共演者からは「モー娘。って今は何やってるの?」と聞かれてしまう。

「誰もが知っているモーニング娘。」ではなくなっていることに気付いてから、「道重さゆみを知ってほしい」から「モーニング娘。を知ってほしい」に意識は変わった

「モーニング娘。が好きっていう気持ちは、自分がモーニング娘。になってからもずっと、全く揺らがなかったんです。高橋愛ちゃんがリーダーのころから実力を極めるためにレッスンをたくさんしていたし、後輩たちのいいところもたくさんある。

自分たちがやっていることに自信があったから、知ってもらえれば好きになってもらえるって想いがありました。だから、バラエティー番組がそのきっかけになればいいなって」

2012年にはリーダーに就任し、グループを率いる立場に。その翌年にリリースされた52作目のシングル『Help me!!』は、3年8カ月ぶりにオリコン1位に輝いた。その後も快進撃は続き、グループ史上初の5作連続オリコン1位を果たす。

自分を成長させてくれた、大好きなモーニング娘。に恩返しがしたい。その一心でした。そんな中、オリコンで1位を取ったり、メンバー全員でドッキリに引っ掛けられたり…。もちろん、それは私だけの力ではないですが、自分なりに恩返しができているのかなと思って、うれしかったですね」

振り返れば、在籍期間は11年10カ月と歴代メンバー最長を記録。2014年に行われた道重さんの卒業公演には1万2000人のファンが訪れ、会場は道重さんのメンバーカラーのピンクのサイリウムでいっぱいに。

かつて「いてもいなくても分からない存在」だった道重さんは、たくさんのファンに惜しまれながらステージを去った

応援してもらえるのは当たり前じゃない。そう思えるのはドン底の時期があったから

そして2017年、2年4カ月の休養期間を経て、道重さんは芸能界に復帰。“道重再生”前は「正直、不安な気持ちはありました」と振り返る。

だが、道重さんが再び芸能界に戻ってくるかが分からない時から、ファンは彼女を待ち続けていた。道重さんがアイドルではなく「モーニング娘。」が好きだったように、ファンが求めていたのもまた、他の誰でもない「道重さゆみ」だったのだ
「ファンの皆さんに会えた時は本当にうれしくて。応援してもらえるのは当たり前じゃないから。そう思えるのは、誰にも見られていないような気がしていた、ドン底の時期があったからです。

そういう意味では、大変だったあの時期があってよかったなって思います。つらい時も眠れない日も、明日から頑張ろうって切り替えられたのは、誰かが見てくれている、味方がいるって思えたから

それを忘れちゃいけないし、そう思えるから、いつも応援してくださるファンの方にも、自分を変えてくれて、救ってくれた人たちにも、本当に感謝しようって思います」

もしも今の道重さんが、ドン底だった当時の自分に声を掛けるとしたら? そんな質問に、「このまま頑張ったらいいことあるよ、かな」とニッコリ。その上で、「でも…」と続ける。
頑張った分が、全部返ってくるわけじゃないと思うんです。私もやろうとして無理だったこともあるし…。

ただ、結果としては返ってこないかもしれないけれど、経験や知識として身に付いていると思うんです。少しずつ前に進めてる。だから頑張ってやること自体には、絶対に意味がある。『やってよかった』と思えるときがいつか来るって私は信じてやり続けたし、今もやり続けています

苦しい思いをしている人には、今頑張っている自分を信じてあげてほしいなって思いますね」

全ての努力が報われるわけではないけれど、その努力がなければ今の道重さんもきっとない。今後は「ファンの人たちと一緒にはじけられるソロライブがしたい」と目を輝かす。

「これからも、やっぱり自分らしくいたいなって思うんです。私、来年で30歳になるんですけど、そこまで年齢を気にしていないとはいえ、『三十路だ~!キャー!』みたいな気持ちなんですね(笑)。

でも、それが今の私だし、その今の私に自信を持つことが、自分らしくいるってことだと思っています。その結果、2〜3年後に『かわいい』以外の新しいワードで褒められていたいですね。今はやっぱり『かわいい』がダントツで多いので(笑)」
「25歳がかわいさのピークだから」とモーニング娘。を卒業した道重さんは、「27歳になってもやっぱりかわいかったから」と芸能界に復帰した。常に今が一番かわいいという彼女のスタンスは、実は「応援してくれている人のために、常にピークな私を見せたい」というファンへの真摯な姿勢の現れでもある。
プラクティス 可愛さ=影練習
プラクティス 誰にも見せちゃなんねえ
プラクティス 求められるなら
プラクティス 応えるがプロフェッショナル
キラキラは1日じゃなんねえ
キラキラは1日じゃなんねえ
これは、オーディションの時から彼女を見続けてきたプロデューサーのつんく♂さんが、道重さんのために書き下ろした楽曲『SAYUMINGLANDOLL オープニングテーマ ~キラキラは1日にして成らず!』の一節。

どんな時でも期待に応えるために、見えない努力をし続ける。言葉にしてしまえば陳腐だが、そんな毎日を積み重ねていった先には、きっとキラキラな自分が待っている。
〈取材・文・構成=天野夏海/撮影=洞澤 佐智子(CROSSOVER)〉

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