ビジネスパーソンインタビュー
中山敦雄著『エンタの巨匠』より
BTSを日本進出させたプロデューサーが語る、“北米チャートも総ナメにした”売り出し方
新R25編集部
ここ数年で、日本のエンタメは大きく変化しました。
『イカゲーム』『梨泰院クラス』など韓国エンタメに熱狂し、若年層が憧れるのは韓国アイドル。なかでも、多くの日本人が熱狂するK-POPの進撃はすさまじいものです。
気がついたら当たり前になってきた韓国エンタメ。
その代名詞と言っても過言ではない、BTSを日本に進出させたのが、音楽プロデューサーの齋藤英介さんです。
過去には、ビクター音楽産業(現ビクターエンターテインメント)で、KISSやサザンオールスターズ 、浜田麻里 、髙橋真梨子の宣伝を担当し、アジア・コンテンツ・センターなどで韓国人アーティストを日本に展開した齋藤さん。
エンタメ社会学者である中山敦雄さんの新著『エンタの巨匠 世界に先駆けた伝説のプロデューサーたち』のなかでは、斎藤さんがどのようにしてBTSを日本に輸入し、どうやってヒットさせたのか?ということについて語られています。
今回は、まさにその内容を抜粋してお届け。
ヒットの裏側にはどんな狙いがあったのでしょうか?
最初から感じたインスピレーション
中山さん
BTSとの出会いはどのような経緯だったのですか?
齋藤さん
もう韓国は手を引こうというタイミングだったんですよ。これから市場は中国に向かっていく、と思っていましたから。
キム・ナムギルとの契約が終わるタイミングで、ACCの韓国スタッフが防弾少年団の4人の写真を机に置いていたんですよ。
なんだか気になってね。「これ、どこのグループ?」って聞いたところ、「全然小さい事務所で、たいしたことないですよ」と。
まだまだSMエンターテインメントやYGエンターテインメントが全盛期のころで、事務所の名前もBIGHIT(ビックヒット)って何か冗談のような名前だな、と。
一度ちょっと足を運んでみるかと韓国に足を延ばしました。
中山さん
今までの経験値を超えそうな感覚があったのでしょうか。
齋藤さん
ACCの出口さんと2人で訪問したところ、もうほんとに倒れそうな古いビルで。
それでも1、3、4、5階は全部BIGHITが使っていて、どんどん広げようとしている意欲を感じました。
オーナーのパン・シヒョクに会って、なぜだかとても気が合って、そのまま2時間も話し込んでいるうちに、あっちも「齋藤、面白いね」と言ってくれて。いやいや、こちらも全く同じ感想だった。
ひとしきり話し込んだあとに、「そういえば、防弾少年団を見に来たんじゃないの? 案内するよ」と、違うビルの練習スタジオに連れて行ってくれた。
ちょうど7人がそろっていました。あれ、4人じゃなくて7人もいるのか、と思った。事務所で見た写真は4人だけだったのですよ。
中山さん
人数もちゃんと把握できてなかったくらいの出会いだったんですね。最初の印象はどうだったんですか?
齋藤さん
ビビビッときました。
まず、ボーカルのV(キム・テヒョン)。彼は絶対日本で人気になると思った。JIN(キム・ソクジン)もドラマ向きの、売れる顔をしていた。
この2人が最低いれば日本に売り出せる。あとはグク(ジョングク)はまだ15歳だったけど、このまま成長すればいい顔になる。この3トップで日本で売り出そうと思いました。
中山さん
当時韓国ユニットの日本進出はブームでした。齋藤さんが見いだす前に、日本の事務所からのアプローチはなかったんですか?
齋藤さん
もちろん日本では韓国ブームだったけど、そもそも韓国は大手事務所が寡占していたから。日本のレコード会社は当時、SM、YG、JYPの3大事務所じゃないと受けないよ、という話もあったようです。
中学生をターゲットに。母姉妹で韓流アイドル推しに
中山さん
なるほど、韓国音楽事務所の売上を並べてみると、2010年代前半にBIGHITはトップ10にも入らない。
2018年にYGとJYPを超えて、翌年SMを抜き去り、いまや北米でも十分なプレゼンスをもつ世界最大の音楽事務所になっている。
齋藤さんは、防弾少年団を日本でどうやってプロモーションしていったんですか?
齋藤さん
中学生にぶつけたんです。
すでに高校・大学生・OLは東方神起で大ブームの時代、同じターゲットよりも、「姉は東方神起、私は防弾少年団」という形で姉妹で差別化できるようにもっていった。
母親も含めて、家庭内で韓流ドラマ、K-POPを競合させながら、ちょっとずつ浸透させていくようにした。
懇意にしているテレビ局にも話をもっていき、大親友のいるニッポン放送にも協力してもらい、レコードはポニーキャニオンに協力してもらった。
雑誌はそのターゲットに刺さるように、オリーブ、anan、CanCamなどを中心に展開しました。
今までのK-POPとは大きく異なる媒体展開を考えました。大きなメディアに載せて、社会的認知度を上げていくことです。
地方の小さなライブでもデッカイ機材を持ち込み本気を見せる
中山さん
ビクター時代にメディア営業をやられてきた経験が生きてますね!
齋藤さん
ただ、あのころと違って、メディアというより、ユーザー側の反応を巻き込んでいくのが大事な時代でした。
どんどん広げるよりは、「応援しているBTSが一緒になって成長していく」というストーリーを大事にしていたので、初期は『ミュージックステーション』などのテレビ露出のオファーがあっても断ってました。
むしろライブ体験を重視して、ハコ(会場)を少しずつ大きくしていったんです。それこそライブでしか見られなかった井上陽水さんのように。
最初、東京で小さめのハコでソールドアウトさせたら、次は大阪、福岡、名古屋と展開していく。地方の小さなライブハウスでも、赤字覚悟でデッカイ機材をもっていくんですよ。
そうすると、「ほかのK-POPと違うね、ここは本気だ」というのが伝わる。それは地方の小さなライブハウスであればあるほど効果的で。
そういうのを積み上げていくと、それ自体が成長ストーリーになっていく。
齋藤さん
当時、中学生以下はお金をもっていない層としてユーザーとしての認知がされていなかった。
でも、親にお金を出してもらいながらライブに行き始めてもらえればいい。
そのブルーオーシャンに向けて、今の14歳が18歳になったときが勝負だ、と3~4年かけたプロセスのつもりでまわしていきました。
きちんとテレビ露出を始めるのは、そういったプロセスが一巡した後の『めざましテレビ』が最初だったかと記憶してます(2015年6月)。
中山さん
たしかに2010年代前半のレコード売上をみると、必ずしも最初から快調だったわけではないですね。
2011~16年あたりはシングル・アルバムを年に数枚出して、数億円くらいの売上という水準でした。
齋藤さん
ユーザー年齢が低かったので市場の拡大に時間がかかりましたが、底辺を固めて、基盤を作る工程が重要ですからね。
でも当時のK-POPの浸透率としては破格の伸び率でした。ファンクラブ、グッズの売れ行きがすべて予測を超えていきました。
ただ、本当の人気は、北米で人気を博してから、日本に逆輸入のような形で火がついたことだと思います。
北米チャートも総ナメにした売り出し方
中山さん
北米も含めて、なぜBTSは世界的な人気を得たと思いますか?
齋藤さん
パン(BTSプロデューサー)はとにかく勉強熱心だった。私とは月に1回は会って食事をしていた。
パンは躊躇なく、徹底的に日本の勉強をし、日本の芸能事務所の成功パターンを踏襲しようとしていた。
当時はファンクラブ、CD、グッズ、コンサートと日本の音楽市場が最も豊かでいろいろな売れ方の手段があった。また、パンは周辺の韓国企業のルートをしっかりつないでましたね。
中山さん
日本はアジアの中でトップ級の市場だった。音楽にお金を払うユーザーが多かったですね。韓国事務所は海外売上の半分以上は日本だった。
皆、日本でどのくらい売れるかがプライマリーターゲットだった。でもBTSは日本よりも北米など世界中で売れた。
齋藤さん
BTSは南米から売れて、北米に広がったんですよ。チリやブラジルから始まった。英国音楽の影響を受けていたK-POPは、そのイギリスっぽい音調が、そのまま欧州文化の影響が強かった南米でウケた。
米国でラテン系人口が増えているという前提も踏まえたうえで、ニッチなラテンで好評を得てから米国のラティーノから火がつくように戦略的に展開していた。
韓国と南米って何か似ているものがあるんですよね。いずれも隣に超大国があって、常に侵略におびえるマイノリティとして、文化によってうまく差別化を図ろうとする土壌があった。
そして同時にその超大国の市場で挑戦しようというアウトバウンドの気概も強かった。
日本より10年は進んでいるリサーチ能力
中山さん
韓国企業はネットに強いイメージがあります。データに基づく展開などもしていたのでしょうか?
齋藤さん
彼らは全世界的にリサーチしていました。すごいのは、新しい市場なのに、どのくらいコンサートをやったらどのくらい客がくるか、統計的に数字を出していたこと。
リサーチ会社と提携して、今トルコでやるなら3000人くらいは集まる、とか、マレーシアなら最低1000人だからそのサイズの箱を探してくれ、とか。
正直、日本に比べて10年は進んでいると思わされました。そのくらい、かっちりビジネスをやっている連中が、戦略的に展開していた。
中山さん
日本のエンタメ、特に音楽は、テレビ局と音楽事務所の関係性にもとづいてやっている歴史もありますし、データやデジタルは苦手な印象がありますね。
外国でのライブ集客予想ができるって、そのシステム、本当に羨ましい…。
齋藤さん
日本は人間関係や社会的意義みたいなものを重要視しますが、韓国はデータや新しい企業風土を重要視します。ここの違いは大きいですね。
本当にすごかったのは、上場のタイミングでパンが経営の前線から退いて会長に上がったことだと思うんですよ。
彼は私とも気が合うくらいで完全にクリエイティブ側の人間で、どんなアーティストがいいかという点ではすごいセンスがあります。
でも、データやマーケティングが必ずしも強かったわけではない。そうしたときにゲーム会社のNEXONトップをヘッドハンティングして経営を任せてしまった。パンは今、アーティストのプロデュースだけやってます。
中山さん
パンさんは当時まだ40代でしたよね? そんなに若いのに、しかも創業者が人に経営を任せられる、というのは日本のエンタメ界ではあまり見たことがないですね。大手芸能事務所が大手商社の前社長を入れるようなものですよね。
齋藤さん
学歴もあるかもしれません。パンはソウル大学出身なんですよ。韓国の東大のようなもので、エリート中のエリートです。
韓国の産業界ではソウル大学の学閥は強いですね。それまでは韓国芸能事務所でソウル大学出身者は、SMの創業者イ・スマンくらいしかいませんでした。
また、成功者には多くの投資会社が興味を持つ韓国の経済風習があり、一気に新たな企業体質と人材が拡大した感はあります。
エンタメ史に輝く伝説的ヒット作を生み出したプロデューサーたちの言葉
中山敦雄さんの著書『エンタの巨匠』のなかには、以下6名のプロデューサーとの対談が収録されています。
エンタの巨匠土屋敏男(『電波少年』の元・日テレプロデューサー)
鳥嶋和彦(『ドラゴンボール』『ドラクエ』の元・少年ジャンプ編集長)
岡本吉起(『ストII』『バイオハザード』『モンスト』のゲームクリエイター)
木谷高明(『BanG Dream!』『新日本プロレス』のブシロード創業者)
舞原賢三(『仮面ライダー電王』『セーラームーン』の映画監督)
齋藤英介(サザン、金城武、BTSの音楽プロデューサー)
日本のエンタメを飛躍的に成長させた先人たちに共通する、会社員兼クリエイターのマインドとは?
ぜひ同書を手にとって学んでみてください。
〈写真=稲垣純也〉
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