ビジネスパーソンインタビュー

「淡麗」は“没ネタ”から生まれた。キリン伝説のマーケターが仕掛けた“ネーミング”の狙い

永井隆著『キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯』より

「淡麗」は“没ネタ”から生まれた。キリン伝説のマーケターが仕掛けた“ネーミング”の狙い

新R25編集部

2022/07/09

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どうすればヒットするか、俺には分かってしまうんだ

「一番搾り」「淡麗」「氷結」など、親しみ深いお酒を次々と世に打ち出してきた、キリンビールのメガヒットマーケター・前田仁さん(1950年〜2020年)の言葉です。

一流のマーケターが商品をヒットさせるまでには、どのような嗅覚や戦略が必要なのか…?

そんな疑問を、前田さんが辿ってきた物語を通して明らかする一冊が、ビール産業を取材して30年以上になるジャーナリスト・永井隆(ながい・たかし)さんの著書『キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯』(プレジデント社)です。

今回は同書より、ネーミングや付加価値など「淡麗」ヒットの発想法について抜粋してお届けします。

この記事はこんな人におすすめ(読了目安:5分)
・キリンのヒットの裏側を知りたい人
・ヒットを出したいマーケターやクリエイター
・チームにヒットをもたらしたいリーダー

「淡麗」は“没ネタ”から始まった

「発泡酒の商品開発は、まさに死屍累々でした」

前田チームのメンバー・上野哲生は、当時をそう振り返る。

複数のチームが発泡酒の開発に取り組んでいたものの、うまく進んでいるものは皆無にひとしかった。

前田は、さっそく次のように呼びかけた。

発泡酒でも基本は同じだ。『一番搾り』の発泡酒版を作ろう

前田はまずコンセプト作りから仕事を始めた。

この時点で、タイムリミットまで4カ月を切っていた。

「一番搾り」の時のように、時間をかけて検討する余裕はない。

そこで前田は、キリン・シーグラム時代の没ネタを活用する。

前田が出向していた間、キリン・シーグラムでは「ボストンクラブ豊醇原酒」というウイスキーを発売していた。

ただこの時、商品化しなかったもう一つの新商品があった。

その幻の新商品のコンセプトこそ、「淡麗」そのものだったのである

「すっきりした味わいの酒」あるいは「アッサリしているけれど、水っぽくない酒」というのがコンセプトだった。

アサヒ「スーパードライ」以降、ビールの売れ筋は「苦くないビール」に移っていた。

「脂っこい料理に合う、さっぱりしたビール」こそ、消費者が求める味だった。

そもそも発泡酒は性質上、麦芽の使用量を大幅に落としている。

代わりに糖化スターチを使うなど、おいしさを落とさない工夫が施されてはいるが、「ヱビス」に代表される「麦芽100%の本格派ドイツビール」の重厚感は、発泡酒では再現が難しい。

だったら、それを逆手にとればいい

前田の発想のキモはそこにあった

「ズレを捉える」前田が考える“消費者理解の核心”

発泡酒ブームを前に、キリン社内では次のように言われていた。

「発泡酒はビールではない。まがいものだ」

キリンの人間は、ビールのプロだ。

キリン社内の意見は「ビールのプロ」としては至極もっともな意見で、まさに「正論」である。

ただ、問題は、その意見が「正しいかどうか」という点ではなかった。

消費者の感覚と一致しているかどうかが、もっとも重要な問題だったのである。

一般の消費者は「ビールのプロ」ではない。

それゆえ、消費者の感覚は、往々にして「ビールのプロ」の意見とはズレる。

こうしたズレ」を捉えることこそ、消費者理解の核心であり、ヒットを生むコツだと、前田は考えていた。

「淡麗」ネーミングの狙い

そうした前田の狙いが最高度に発揮されていたのが、「淡麗」というネーミングだった。

「発泡酒は本来使うべき麦芽をケチった、安いビールだ」

キリン社内の人間も、発泡酒のことをこう考えていた。

一方、前田は、「消費者は『安物』を求めていない」ことを見抜いていた

「安売り王」ダイエーの「バーゲンブロー」は、大失敗に終わっていた。

消費者は安いビールを買っている。

だが、「安物」を買いたいわけではない。

あくまで「お得な商品」を買いたいのだ。

「ビールにあまりお金をかけたくないが、できるだけ本格派のビールが飲みたい」

その微妙なニュアンスを、前田の鋭敏な感性は見事に洞察していた。

その結果、前田はあえて、カジュアルさを排した漢字2文字の商品名を採用したのである。

「淡麗」のネーミングを最終的に決める際、前田は次のような消費者調査を行っている。

中身は同じだが、「カジュアルな商品名」の発泡酒と、「淡麗」のラベルの発泡酒の2種類を飲み比べてもらい、それぞれ「飲みたいかどうか(飲用意向)」「買いたいかどうか(購買意向)」をたずねたのである。

その結果、「カジュアルな商品名」の発泡酒は、飲用意向、購買意向ともに振るわなかった。

一方、「淡麗」のラベルを貼られた発泡酒は、飲用意向、購買意向、ともに満点だった。

中身は同じにもかかわらず、ネーミングによって消費者の受ける印象が大きく違う

「完璧」と言っていいほど、予想通りの調査結果を前に、前田は会心の笑みを浮かべていた。

後発組の「淡麗」に、新しい価値を

こうしてネーミングが決まったものの、問題は中身だった。

発泡酒市場ではサントリーとサッポロが先行していた。

キリンはビールではシェアNO.1をかろうじて維持していたが、発泡酒では後発組に過ぎない。

2社を逆転するには、先行商品にはない新しい価値が必要になる。

「何かいい方法はないか」と、前田は技術部門に質問をぶつけた。

「すっきりした味わいの酒」というコンセプトに合う、新しいアイデアが欲しい。

麦芽の使用量を減らし、ライトな味に仕上げつつ、消費者が納得するような「本格感」を残したかった。

前田の呼びかけに応え、キリンの技術部門はあるアイデアを持ってくる。

それが、副原料に大麦を使うという提案だった。

「コクと味わいの酒」である麦芽100%ビールは、発酵度を抑えて原材料のうまみを残している。

そこでキリンの技術部門は、「うまみ」を補うために、大麦を加える方法を提案する。

ただ、大麦そのものは通常のビール造りでは使わない。

そのため調達が難しく、値段も高かった。

しかも、工場での取り扱いが難しいという問題もあった。

それでも前田は、「淡麗」に大麦を使うことにした

デメリットに目をつぶっても、前田は発泡酒の「新しい価値」を作ろうとしていた。

「大麦を使った淡麗は、本格感のある味になりました。それはつまり、従来の発泡酒とは違うカテゴリーを創出したということです」

マーケットの創造的破壊に挑む、前田仁の勝算

前田は「ビールが減っても、それ以上に淡麗が伸びればいい」という方針を打ち出し、淡麗」が「ラガー」「一番搾り」と競合することもいとわなかった

それは、かつてのキリンでは考えられない「発想の転換」だった。

この前田の判断を、「マーケットの創造的破壊に挑んだ」と評したマーケターもいたという。

前田には勝算があった

当時、景気が拡大していたアメリカでも、価格の安いエコノミー商品が販売量の6割を占めていた。

ましてや、不況にあえぐ日本で、発泡酒が売れないはずがなかった。

特に若い世代には、「お酒はプライベートで楽しむもの」という考え方が広がりつつあった。

そうしたニーズに応える「淡麗」の大ヒットを、前田は確信していたのだろう。

いざ発売されるや、「淡麗」は消費者から熱狂的な支持を受けたのである。

当初の販売目標は、98年12月末までに1600万箱だったが、実際には目標をはるかに上回る3979万箱を売る

初年度の販売数としては、「スーパードライ」の1350万箱、「キリンドライ」の3964万箱、「一番搾り」の3562万箱を上回る、「最多記録」だった。

窮地のキリンにとって、「淡麗」のヒットはまさに「恵みの雨」となった。

“天才マーケター”の頭のなか

戦後にキリンでヒットした商品のほぼすべてにかかわり、「マーケティングの天才」と謳われた前田さん。

2022年1月からキリンビール社長に就任した堀口英樹さんは、前田さんについてこう言います。

本質と信念の人でした。

つねに流行は追っているけれど、それで『本質』を見失うことはない。

前田さんにとっての『本質』とは、お客様のことです

会社の都合などは二の次でしかありません

部下にも『社内事情より、お客様を第一に考えろ』と言い続けています。

キリンを作った男――マーケティングの天才・前田仁の生涯

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