ビジネスパーソンインタビュー
ひとりでデモテープを送りつづけた日々も…
「15年間、毎日ブログを書きつづけた」声優・茅原実里が振り返る自身の経歴と“夢”
新R25編集部
2004年、アニメ『天上天下』の棗亜夜役で声優デビュー。2006年にはアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希役で広く知られるようになり、歌手としても武道館ライブを成功させるなど、精力的に活動を続け、今年デビュー15周年を迎える茅原実里さん。
しかし、茅原さんがもともと抱いていた夢は、「声優」ではなく「歌手」だったんです。
彼女はどのような経歴をたどってきたのか。茅原さんのデビューから今に至るまでの15年間の軌跡を、ご本人と一緒に振り返りました。
〈聞き手=いしかわゆき〉
本名:茅原実里(ちはら・みのり)
誕生日:11月18日
出身地:栃木県宇都宮市
血液型:B型
職業:声優・歌手・ナレーター
代表作:『涼宮ハルヒの憂鬱(長門有希)』『みなみけ(南千秋)』『喰霊-零-(土宮神楽)』『フルメタル・パニック!IV(ナミ)』
経歴:
2004年アニメ『天上天下』の棗亜夜役で声優デビュー、アルバム『HEROINE』で歌手デビューを果たす
2006年アニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』の長門有希役で大ブレイク。平野綾・後藤邑子とともに歌った「ハレ晴レユカイ」が大ヒットし、ゴールドディスクに認定される
2007年シングル「純白サンクチュアリィ」の発売とともに本人名義での歌手活動を再開。単発ライブ「i melody ~Minori Chihara Birthday Live 2007~」を開催
2008年初のライブツアー「Minori Chihara 1st Live Tour 2008 ~Contact~」開催。2ndアルバム『Parade』は自己最高初動売上枚数を更新
2010年3rdライブツアー「Minori Chihara Live Tour 2010 ~Sing All Love~」にて自身初となる武道館公演を実施
2011年第5回声優アワード歌唱賞受賞
2014年日本武道館にてデビュー10周年記念ライブ「Minori Chihara 10th Anniversary Live ~SANCTUARY~」を開催
2017年9度目の野外ライブ「MINORI CHIHARA LIVE 2017 "SUMMER DREAM 5"」にて単独ライブ100公演を達成
いしかわ
茅原さんのパーソナルな部分を描いた記事ってあまりないので未知です…。今回はズバズバ聞いていきたいと思うんですけど…いいですか?
茅原さん
えへへ、いいとも~!!
おっと、先行きが不安だぞ!
カラオケ大会で優勝。「誰かのために歌っていこう」と決めた日
いしかわ
茅原さんが、声優になろうと思った理由を教えてもらえますか?
茅原さん
私、高校生のとき、全然やりたいことがなかったんです。学校も「何のために行くの?」って思ってましたし…
でも、高校3年生のときに夢を見つけたんです!
いしかわ
それが「声優」という夢なんですね…!
茅原さん
いえ、「歌手」です。
あれぇ…
茅原さん
もともとお父さんが歌が好きで、子どものころは家でギターの弾き語りをしてくれたりもして。その影響なのか、私も歌を歌うことが好きだったんです。
でも、私はそもそも人前に出るのはとても苦手で、挙手して発言したりなんてとてもできなかったし、音楽の授業でも歌のテストは声が震えてボロボロでした。
いしかわ
今じゃ考えられないですね。
茅原さん
そんなとき、文化祭でカラオケ大会に出ることになったんですよ。体育の先生が企画したんですけど、全然人が集まらなくて(笑)。
でも、いつもは怖い先生が河村隆一さんのコスプレをして、メイクをしている姿を見て、ここまで先生が頑張っているんだから…と自分もステージに立つ覚悟が決まりました。
そうしたら、なんと優勝したんです。
いしかわ
ステージに立ったこともなかったのに…
茅原さん
そのときに、別のクラスの野口さんという女の子が、わざわざ私のところにきてくれて、「茅原さんの歌に感動した」って言ってくれたんです。
茅原さん
それまでの私は、内向的で自発的に動いたことがほとんどなかったんですよ。人の輪の中にも入れないような子だったし。人に助けてもらうことはあっても、自分が誰かを助けてあげるようなことはできなかった。
それが歌を歌っただけで、人に喜んでもらえた。
それは私にとって、すごく大きくてうれしい出来事だったんです。そこから、「誰かのために歌っていこう」と決めました。
ずっと「根拠のない自信」を重ねつづけてチャンスをつかんだ
いしかわ
そこからは、どのようにして夢に向かっていったんですか?
茅原さん
高校を卒業してからの3年間は、とにかくオーディションをやみくもに受けていました。芸能プロダクションやレコード会社の情報がまとめてある分厚い本を買って、デモテープを作ってひとつひとつ送っていましたね。
でも、なかなかうまく行かず、時間だけが過ぎてしまうなぁと思い、20歳くらいのときから「独学ではなく、ちゃんと勉強しよう」と養成所に入ることを考えはじめました。
いしかわ
2年間もひとりでデモテープを作っていたんですか…!?心が折れませんでしたか…?
茅原さん
それはなかったですね。ひとつひとつの作業に夢しかなかったのですべてが楽しかったですよ。私には、本当に「歌」しかなかったんですよね。
茅原さん
自分は熱しやすく冷めやすい性格なので、人生のなかで、のめり込めるものがとても少なかったんです。そのなかで、「歌」は自分の人生に差し込んだ一筋の光だったんです。
オーディションに送っていたデモテープを今聞いたら、ひっくり返りそうなくらいヘタくそなんですよ(笑)。あのころは若さゆえの勢いというか、根拠のない自信があったんですよね。
いしかわ
でも、そんな「歌手」を目指していくなかで、途中で「声優」に切り替わったのはどういったきっかけなんですか?
茅原さん
エイベックスアーティストアカデミーのボーカルコースに通っていたんですけど、アカデミーでは1年に1度開かれる特別なショーケースがあって、そこに出場するためのオーディションが開かれて、勝ち抜いたひとにぎりの人だけが出場権をもらえるんです。
私も頑張ってショーケースに出ることが決まって、「ああ、このオーディションで認めてもらえれば私も!」という気持ちで臨んだんですけど…残念ながら箸にも棒にも引っかからず。
茅原さん
空っぽになっているタイミングでスタッフさんに呼び出されて。「茅原はキャラクターも声も個性があるから、可能性を広げるために声優タレントコースでお芝居の勉強をしてみないか?」って誘ってもらったんです。
最初はピンと来なかったけど、自分でいろいろ考えて、これは今の自分にとってはありがたい話なんじゃないかと思って、卒業はせずに継続してアカデミーに通わせてもらうことにしました。
それまでは歌手になることで頭がいっぱいだったけど、人の意見も聞いてみようと…。せっかくのお話なので挑戦してみようって前向きに思えたんです。
いしかわ
なるほど。歌手とは少し違うけど挑戦することを選んだんですね。
茅原さん
はい。でも、授業がスタートしてからは大変でした。お芝居をするということ自体が私にはとっても難しかったんです。大勢の中で自分の殻を破って演技しなければならない羞恥心もありました。
実際に現役で活躍されてる先生が演技指導してくれて、アフレコの実習なんかもよくあったんですけど、モニターと台本の両方を見ながら演技を成立させる難しさ…。
タイミングを合わせられなくて苦戦したりとか、何週やり続けても課題がなかなか改善できなかったりとか。スムーズにできる同じクラスの人たちを見て羨ましく思ったり。
いしかわ
歌と演技はまた別物ですもんね…
茅原さん
ただ、恵まれていたのが、先生がとても優しい方で、自分がどれだけダメだって落ち込んでも、いいところを見つけて必ず褒めてくださったんです。正直そこに救われていましたね。
そんななか、オーディションに合格して2004年にアニメ『天上天下』で声優デビューすることが決まったんですけど、デビューしてからがまたさらに大変でしたね。
いしかわ
どんな思いでやっていたんですか?
茅原さん
とにかく、ひとつひとつの仕事を手に入れていくのに必死でした。デビューできたのは良かったんですけど、声優業界とのつながりがない事務所だったので、マネージャーと二人三脚で試行錯誤しながら頑張っていました。
マネージャーが必死になってアニメの製作会社をかけまわって営業をかけてくれていましたね。懐かしい話なんですけど、声優さんの髪型だったり、ファッションについても雑誌を見て研究したりしました。黒髪で前髪がそろっていて、個性的な服装よりも、清楚系がいいんじゃないか!とか。
当時の私はオーバーオールが好きだったんですけど、マネージャーからオーバーオール禁止令が出ました(笑)。
いしかわ
そんなことまで研究されていたなんて…!
茅原さん
あと私は、デビューしてから「声優」の仕事と「歌」の仕事を両立させることが理想だったので、音楽活動が滞ってる時期は、事務所スタッフと話し合って、「自分で曲を作って路上ライブをしたら面白いんじゃないか?」と路上ライブをしていた時もありました。
秋葉原にくり出して、ライブ前には歩行者天国で宣伝用のビラ配りもしたりして。
いろいろ悩みつつ、つねに崖っぷちではあったんですけど、何もかもが楽しかったし面白かったんですよね。「なるようになるさ」って信じてやっていましたね。
点と点がつながって線になる。無駄なことは何もない
いしかわ
これを聞いていいのかわからないんですけど、正直、「声優」を選ぶことで、歌手という夢への「遠まわり」になるんじゃないかとは思いませんでしたか?
茅原さん
たしかに、あのころは、右も左もわからない世界に飛び込む怖さだったり、不安もあったんですけど、スタッフさんが声優タレントコースに誘ってくれた時に、お芝居を学ぶことで歌も磨かれるよ、とおっしゃってたんです。
歌手を目指している途中でお芝居に出会って、それがきっかけで、役者にも歌手にもなれた。本当に不思議なご縁ですよね。すべては意味のある出会いだったんだなって感じています。
いしかわ
意味のある出会い。
茅原さん
これまでを振り返って思うのは、決して遠まわりではなかったということです。むしろ歌手になりたいと願っていた私にとっては近道だったんじゃないかって思っています。
きっと人生に無駄なことは何ひとつないんです。点と点はいずれつながって線になっていくものなんだと思います。
茅原さん
当時はスタッフさんに勧められたというのが大きかったけど、あらためて人の意見を受け入れて本当に良かったなって思うんです。夢を追いかけていると、頭でっかちになって自分を客観視できなくなるんですよね。
だからあのとき、ショーケースでうまくいかなかったことが、お芝居の道へ進むきっかけにもなったわけです。
声優の仕事も歌の仕事も、同じ「声」を扱う仕事なので、片方に新しい発見があった時に、もう片方にも必ず新しい影響を与えることができるんです。
まったく違う2つの仕事に見えるのですが、時にお互いが支え合うこともできる不思議な関係でもあるんです。私にとって2つとも大切な存在です。
いしかわ
無駄なように見えて、ちゃんとつながっていたんですね。
茅原さん
「人間、柔軟になったほうがいい」ということを身をもって実感しました。チャンスをチャンスにするのもしないのも自分次第ですよね。
私はあのとき、声優の勉強をして本当によかったなって思っています。
いしかわ
なるほど。他にも、茅原さんが仕事で意識していることはありますか?
茅原さん
あ、実は私、15年間毎日ブログ書きつづけているんです。
15年間!?
いしかわ
えっ、何のために…!?
茅原さん
15年前に、マネージャーと約束したんです。
当時は誰も茅原実里のことを知らなかったので、少しでも人に知ってもらうために始めてみようって。自分自身を発信する場所として頑張ってやりつづけようって。
そこから毎日書くと決めているんです。
いしかわ
でも、今はたくさんの人に知ってもらっているじゃないですか。それでも毎日続ける理由は何なんですか?
茅原さん
「私はいつもここにいるよ」っていう、ファンのみんなへのメッセージですね。
茅原さん
昔は本当に仕事がなくて、書くネタに困って、無理やり絞り出して書いていたこともありました。でも、そんな足跡すら愛おしくて、たまに振り返って、何年前のこの日は何をしていたんだろう? となぞることで今を大事にできている部分もあります。
ここには、私の軌跡が詰まってるんです。本当のことを言うと、15年もこの仕事を続けて来られるなんて思ってもいなかった。
だから、もしも今くすぶっていて、未来が見えない人がいたとしたら、地道にコツコツとやることが未来につながっていくと信じてほしいです。
辛くても、いつか振り返ったときに「積み重なって」今になっていることを感じられるはずだから。
「15年間、どんな苦しいことでも楽しかったですね」
と終始明るい笑顔で話してくれた茅原さん。彼女が経験してきた長い下積み時代には、私たちの想像のできないほどの辛い思いを抱えていたこともあっただろうに、夢を叶えた人からこそ、言える強い言葉だと思いました。
今、もしかしたら先が見えないことがたくさんあるかもしれません。「この苦労が報われるう日が来るんだろうか?」と足を止めたくなることもあるかもしれません。
でも、答えは「今」ではなく「未来」にしかない。
いつかそんな日々を無駄じゃなかったと思えるように、コツコツと努力を重ねていきたいと思いました。
〈取材・文=いしかわゆき(@milkprincess17)/撮影=長谷英史〉
お知らせ
8月3日、8月4日の二日間開催される毎年恒例の河口湖ステラシアターでのライブ『SUMMER CHAMPION 2019~Minori Chihara 11th Summer Live~』の一般発売がスタート!
茅原さんが歩いてきた軌跡を、会場で一緒にたどりましょう!
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