ビジネスパーソンインタビュー
空気を読めないように見えるが、みんなに愛される人
【コラム】会社ではムードメーカーではなく「ムードブレイカー」になったほうがいい
新R25編集部
記事提供:サイボウズ式
仕事をしていると「あいつはキャラ得だなぁ」と呼ばれる人がいる。
傍目(はため)にはおよそ空気を読んでいるとは思えないのに、なぜか愛されているような存在。
今日はその正体を紐解いてみようと思う。
一般的に仕事のチームワークでは「自分を押し通すこと」と「空気を読むこと」の競合に悩む人たちがとても多い。
下の立場の人は、自分を押し通すことが難しく、空気を読むことを求められる局面が多い。
それゆえに冒頭で挙げたような人が「羨ましい」と見られることが多いのだろう。が、断言すると「自分を押し通すこと」が「空気を読むこと」を排他したりはしない。逆もまたしかり。
まったくちがうレベルの話だからだ。
「空気を読む」ときに存在する、意味のない自主規制
まず「空気を読む」という曖昧な言葉の正体から語ってみよう。
「空気を読む」とは「ドレスコードを守る」という側面が強い。たとえば冠婚葬祭に短パンで行ったら大人としての良識を疑われてしまうように、その場で守るべき「暗黙の了解」を前提に行動しているか? という話である。
「あいつは空気が読めない」というジャッジはその暗黙の了解を破っているケースである。
この飲み会の主賓は送迎される者なのに、その人を主役にしようとしない。チームの立ち上げの会なのに、メンバー全員がまんべんなく楽しめるようにしない。
合コンで下劣な下ネタに走る男。最後ので俺は、何度キレそうになったことか…。
厄介なことに「暗黙の了解」には社会人としての常識だけでなく、会社特有のカルチャーが加味されていたりする。大きくは企業風土であり、もっと小さくなれば部署の上司がつくる雰囲気だったりする。
そう、明確な基準が存在するものではなく、おまけに守る必要があるかも怪しい「なんとなく守っているグレーゾーン」というものがあるのだ。意味のない自主規制は空気を読む世界にも存在しているのだ。
同時に、これは会社員としての窮屈さに直結している。文言になっていない自縄自縛(じじょうじばく)が、自分を苦しめていく。
「お客様とお会いするときは真夏にジャケットを着る」までは納得できても、自社のデスクでビシッとしたスーツ姿でいる必要はどこまであるだろうか?
つまらないことで上司からの減点をなくしていこうとするほどに、「何もかも自主規制しなければいけない」罠にはまっていくことになる。
だけど、ここまで読んだ人は、それが「自分を押し通すこと」とまったく関係がないことに気づくのじゃないだろうか?
「自分を殺す」必要が本当にあるか?
次は「自分を押し通すこと」について語っていきたい。
あなたが空気を読むために自主規制している「あなた自身の行動」とはなんだ? それを見つめる必要があると思う。
自堕落な性格である自分がもたらす遅刻欠勤、それは大いに自主規制するべきだ。
たとえば不遜(ふそん)な自分の場合、目上の人に敬語を使えないので、自主規制して敬語を使うように心がけたほうがスムーズにいくことが多い。
だけど、「疑問があるけど話がまとまりかけてるから」「明らかに理不尽だけど、下っ端だから」という理由で行う自主規制…それは本当に必要なことなのだろうか? それは伝え方次第で何とかならないことだろうか?
日本人の「和」の精神は尊い。
だけど、前回書いたように「摩擦」を欠いた「和」なんざまったく意味がないものだ。そこにはおのおのが自主規制をした空虚なチームがあるだけだ。
自分を殺すのではなく、マイルドな味付けで押し通してみるだけで、簡単に何とかできてしまうことは意外に多い。ソフトであることと、言うべきことを言うのは両立しえる。
悪いムードを打ち破る「ムードブレイカー」になれ
ここで冒頭の「空気を読めないように見えるが、みんなに愛される人」の特徴を書いてみようと思う。
そういう人は概して“他人を不快にさせること”をしない。
社会人として空気を読めてなさそうな危なっかしいことをしても、誰か特定の人を傷つけるような発言をしたり、他人を落として笑いをとったりは絶対にしない。
逆に、往々にして自分を落として、笑いを取りにかかっている。
同時に、よく見ていると“それぞれの自主規制をほぐそうと動いている”ことが多々ある。
誰もが「なんとなくやめておこう」と考えている行動や言動を、意識に上がらせてくる。
それゆえにヒヤッとさせられるのだけど、なんだか気分を軽くしてもらえるような、不思議な心持ちになってしまう。
これは非常に高度な勘と技術が必要な芸当で、誰にでもマネできることではない。そして取らなくてもいいリスクを取りに行っているので、ある意味ではバカとも言える。
だけど、そういった人がもたらしてくれる風通しは、本当に気持ちいい。やってほしかったこと・言ってほしかったことを代行・代弁してもらえるからだ。
そう、自分たちは職場における「暗黙の了解のグレーゾーン」をきちんと考え直してみる必要がある。
明らかに必要以上の人数が集まった会議が終わった時には、「これ、私、本当に必要でしたかね?(笑)」と言ってみればいい。
ふんわりしたまま進んでいる案件では「そもそものとこなんですけど(笑)、これってどういう意味かもう一回教えてもらえませんか?」と問い直してみればいい。
そうすることで悪い方向に進んだ暗黙の了解から誰もが解放され、ホッとできる。悪いムードなんかどんどん打ち破ってしまえばいい。むしろムードブレイカーになれ。それが良識のある大人の行動である。
今回のコラムは、前回の「人間関係は摩擦」という記事と兄弟関係になっている。
良い摩擦が起きないひとつの側面に「悪い意味でおたがいが空気を読みあってしまう」という自主規制が大きく関係しているからだ。
そして守るべき「了解」と、守らなくてもいい「了解」を判断できる社会人になっていくことが、本当の意味で大事にするべき事柄だと俺は思っている。
誰もが「率直な言葉で語れる人材」に飢えている
最後に「空気を読めないように見えるが、みんなに愛される人」の別の側面についても書いてみようと思う。
それは「何を考えているか分かりやすい」ということに尽きる。つまりは言動に裏がなさそうということだ。
特に若手社員は減点を抑えるために「空気を読む従順な人」に率先してなろうとしてしまう人が多い。
だけど、そういう人は上長にとっては使いやすい人材であっても、人間的な愛着を持たれていないことが多々ある。「本当のところで何を考えているかわからない」からだ。
少々、問題児であっても「裏がない」「愛嬌がある」ということは、愛される大きな要因になる。特にそれが守るべき暗黙の了解を判断した上でならば、なおさらだ。
意外なことに同じ立場の人たちだけでなく、役職が高い人も「率直な言葉で語れる人材」に飢えていることが多い。
優秀な人ほど「不満がないはずがない」「関わっている人たちがもっと気持ちよくやれる方法があるはずだ」という視点で物事を見ているからだ。
職場において本音を出す必要がどこまであるかは個人の価値観に委ねられている部分だと思う。
だけど、本音でない自分を出していくことが本当にメリットになっているのか、実はデメリットを大きくしていないか、その点を再考してもらう機会になればうれしいと思っている。
〈文=桐谷ヨウ/イラスト=マツナガエイコ〉
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